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超短編小説:ツキヒコ

 今宵は満月、明るい月があたりを照らしている。キジトラ猫のツキヒコは、夜空を観察することを趣味とした風流な猫で、よく晴れた今夜も例外なく空を見上げていた。
 
「こんばんは、月がよく見えますね」
 下から声がした。ツキヒコが座っている塀から目を向けると、マリィがにこにこしてしっぽを振っていた。マリィは塀のなかのお屋敷で暮らしている、大きな白い犬だ。
 マリィと暮らしている人間はキョージュだかセンセイだか呼ばれている偉い人で、そのせいかマリィはものをよく知っていた。しかしこのマリィ、謙虚なやつで、自分の物知りを威張ることもなく、むしろ自由に町を歩き回っているツキヒコのことを尊敬していた。敬語で話すもんだから、ツキヒコはマリィを子分くらいに思ってしまっているのだが。

「月が綺麗だな。まんまるでまぶしいぜ」
 塀の上からツキヒコが言うと、マリィはくすくす笑った。
「ツキヒコさん、『月が綺麗ですね』って、アイラブユーという意味でもあるらしいですよ」
「あいら…、何?」
「アイラブユー、あなたを愛しています、という意味です。遠いところの言葉ですよ」
「なんで月が綺麗だと愛してるになるんだ」
「昔の賢い人が、そう決めたんですって」
「ふうん」
 じゃあ今度、あのカワイコちゃんに言ってみようかな、とツキヒコはこっそり思った。

 ツキヒコとマリィはしばらく満月を見上げていたが、ふとツキヒコがきょろきょろとあたりを見渡し、言った。
「そういえば、お前のとこのあれはどうしたんだ。あの、びかびか光るやつ」
「光るやつ…、ああ、イルミネーションのことですか?」
「いるみ…、そう、それだ。やけに月がよく見えると思ったが、あのびかびかが無くなっているじゃないか」
「片付けたんですよ。クリスマスが終わったから」
「クリスマスってのは、お前がこの間言ってた、ごちそうを食べてプレゼントをもらう日ってやつか」
「そうです。私もおいしいお肉を食べて、新しいお椀をもらいましたよ。それと、このリボンも」
 マリィは耳のあたりにつけたピンクのリボンを見せたが、ツキヒコはふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「お前のごちそうはどうでも良いんだ、なんであのびかびかを片付けたんだ」
「あれは、クリスマスのあたりにだけ飾るきまりなんですよ。昔の賢い人が、そう決めたんですって」
「ふうん、まあ、いいや。あのびかびかは無いほうが好きだ」
「空も、よく見えますしね」
 マリィも内心、あのイルミネーションを鬱陶しく思っていたのだろう、大きくうなずいた。イルミネーションが無いぶん、やはり夜空は綺麗に見える。あのびかびかよりも、ツキヒコと一緒に月や星を見たほうが楽しい、とも思っているのかもしれない。

 のんびり夜空を見上げていたツキヒコは、突然小さく「あ」と声をあげた。そしていそいで
「なあ、おい、さっきの、何だったかな」
 とマリィに尋ねた。
「さっきのって?」
「あいら…、なんとか。月が見えるね、だったっけか」
「アイラブユー、ね。月が綺麗ですね、と言うんですよ」
「そうかそうか」
 月が綺麗ですね、ツキヒコは口のなかでくりかえす。ちらちらと塀の下を見ると、わざとらしくあくびをして
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
 と言うと、マリィの返事も待たずに向こうへ飛び下りた。きっと、塀の向こうにカワイコちゃんでもいたのだろう。

 マリィはツキヒコがいなくなった塀を、しばらく眺めていた。それからゆっくり月を見上げ、ため息をつくと、ふさふさのしっぽにくるまるように丸まった。

「月が綺麗ですね、ツキヒコさん」
 マリィの小さなつぶやき声は、夜だけが聞いている。








 


※フィクションです。
 クリスマスが終わり、もうお正月が控えている。ひえぇ。






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