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ショートショート:一輪挿しのある部屋

 みもりさんが小さな眩しい液晶から顔をあげると、もうすっかり暗くなっていた。時計を見てため息をついたみもりさんは、こたつから立ち上がり部屋の電気をつける。

 朝から閉めたままのカーテンから外を覗くと、案の定、真っ暗だ。振り返ってワンルームの全体を見たみもりさんは、もう一度ため息をついた。
 テーブルの隅にあるのは、先週買った文庫本だ。プロローグも読み終わらぬまま、置きっぱなしになっている。カラーボックスの上にはとっくに交換時期を過ぎ、香りのしなくなったアロマスティック。床には畳んだものの、仕舞っていない洗濯物。うっすら聞こえてくる雨音。憂鬱な土曜日の夜。

 それでも、お腹は空く。
 みもりさんはキッチンに向かった。ほとんど空っぽの冷蔵庫から見つけた、しなしなのネギと干からびたニンジン、それから冷凍ごはん。小鍋に水と顆粒だし、めんつゆを目分量で入れ、切った野菜と米を放り込んだ。
 年末には綺麗にしたはずのキッチン。さっそくリサイクルの日に出し損ねたペットボトルが三本。うち一本は、ラベルも剥がさず、中も洗っていないままだ。

 完成した雑炊のようなものを食べながら、左手は小さな液晶に伸びてしまう。開いたSNSには、高そうな肉料理を食べている大学時代の友人。
 みもりさんが何度目かわからないため息をついたとき、
「もう、いい加減にしてよね」
 と声がした。

 みもりさんは一人暮らし。ぎょっとしてきょろきょろする。
「あたしよ。ここ、カラーボックスの上!」
 声は、アロマスティックと並んだ一輪挿しから聞こえた。
「ね、あんた、あたしのこと忘れてたでしょ」
 その一輪挿しは、みもりさんが仕事始めの帰り道に買ったものだ。そのときは、みもりさんもやる気があった。素晴らしい一年を過ごそうとしていた。だから、そのスリムで、薄い緑色で、気泡のある一輪挿しが、まるで海のようで一目惚れしたのだ。今年は部屋に花を飾ろうと思ったのだ。
 しかし結局、花は無いし、水を入れたこともない。

「ため息ばっかりついちゃってさ。鬱陶しいんだから」
 そんなことを言われても、憂鬱なんだから仕方ない。
「どうせ、人と比べて自分の生活が惨めだとかなんとか思ってんでしょ。別に良いじゃない。だらだらしてたって、ちゃんと雑炊作って食べてるんだから、えらいわよ」
 一輪挿しは、怒っているのかほめているのか、みもりさんにはわからなかった。
「あんただって生活の全部を公開してるわけじゃないでしょ。今日みたいな日もあれば、素敵な一日だってあるじゃない。今日は良いもの食べてる人にだって、あんたみたいにあるもので適当に済ませてる日があるの」
 一輪挿しは一気にまくしたてる。

「しょうもないのよ。自分から見に行ってるくせに、勝手に比べて、勝手に被害者ぶってんじゃないわよ。これだから人間風情は」
 どうして、一輪挿しにここまで言われなくてはならないのだ、とみもりさんは思った。自分だって好きで人間をやってるわけじゃない、こちらには一輪挿しごときにはわからない大変さがあるのだ、とも。
 しかし、そんなことを言うと一輪挿しはもっと喚きそうなので、みもりさんは黙っていた。

「これ以上あんたが被害者みたいな顔をしてるのは見てられないの。いつまでもそんな顔して『一日を無駄にした』とか嘆いてるんだったら、さっさとその左手にある機械を置いて、お風呂にでも入りなさい。そしてあたしに似合う花でも考えておくのね」
 みもりさんはうなずいて、立ち上がった。一輪挿しの言葉に納得したと言うよりは、偉そうに説教されるのが嫌になったのだ。

 さっさと仕度をして湯船につかる。一輪挿しは今は黙っているようだ。代わりに、穏やかな雨音が聞こえる。
 みもりさんは、あんまり花には詳しくない。何の花にしようかな、とぼんやりしていた。

「…駅前の商店街に、親切な花屋があるわ」
 部屋の方から、一輪挿しの声がした。
 うるさいなぁ。
 でも、みもりさんは、明日はその花屋に行ってみよう、と思ったのだった。






※フィクションです。
 雑炊、好き。





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