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公園デート何かを間違えた恋

    1

 岡田春菜は大学に通いながら、居酒屋で2年前からアルバイトをしている。
 谷野陽太がたびたび居酒屋へくる常連客。春菜へ言う台詞は、2年まえから変わらない。
「公園デートしたいなー」
「誘われても、困ります」
 挨拶がわりの会話。最初のころは本当に迷惑だと思えた。ただ、しつこく迫るでもなく、話のきっかけ作り。

(豪快な男だね)
 食べるときに大きく開ける口。閉じて大袈裟にうごめく唇。それが可愛いとも思ってしまう。
 柔らかな視線に見つめられるのを、いつからか待つようになった。クーラーの利きすぎた店内で、陽太は春菜に、ぬくもりを与える春の木漏れ日。

(わるい人じゃあ、ないみたいだけど)
 恋というものは不思議。仕事中はむりだけれど、もっとお喋りがしたい。
 前に付き合っていた男は、身体だけが目的で、ゲームに夢中なやつ。
(子供から抜けない人)
 それで別れた。大人の付き合いって何だろう。肌を重ねるのが大人の恋愛なら、十代で経験しているはず。

(分かってるよ)
 春菜は、1年半も前に見てしまった。ショッピングモールで陽太が親子連れで歩くのを。髪も整えて背広を着る。まじめで家族思いの父親だった。
 なーんだ冗談で口説いている。陽太も本気じゃないと思っていたが、いつもいつも、まじめな口調で誘う。それに、春菜は彼へ好意を持ち出してもいた。
(あなたは遊びでも。私の恋は本気らしい)

 まだ体験してない、危ない香りと甘い台詞が欲しいときもある。だから、誘いに乗ろうと思う。
「公園デートしたいなー」
「大きな声で。困ります」
 春菜は紙切れを渡して、すぐ仕舞うように合図する。中学生時代に告白したバレンタインみたいな、初心な気持ちにもなる。
『日曜日、午後1時。近くのコンビニ、駐車場で待つ』
 書かれた内容だが、あとから、読んでくれると思う。
「今年の甲子園はどうだろう」
 陽太が話題を作りながら胸ポケットへ紙切れを収めた。仕事中に長く話せるわけもない。春菜は団体客へ刺身の盛り合わせを運ぶ。返事もまだなのに、不安と期待が膝の動きを浮かせる。

 来春は地元に戻り、有名な不動産会社に就職するのも決めた。二人の兄たちがコネはいくらでもあるから。この恋にケジメをつけたい。諦める前に、昼間のデートなら深い関係にもならないと思う。妻子ある男の願いもかなえよう。
(好きだから。それを知って欲しい)
 正直に相手へ伝えられる訳もない。 
(強引な男の行動をしちゃうのかな、谷野さんも)
 それに期待と不安もある。どこまでもつながりたい恋が揺れる。

    2

 甘く匂うグラジオラスにベンチが囲まれる。
「静かな公園ね」
 春菜はなるべく無邪気に話す。ベンチで右隣りに座る陽太へ顔を向けると、目が会った。
(やだ、もう)
 目を逸らす。自分のなかにある、飢えた恋がばれないように。
 陽太はいつも微笑しているような顔のつくり。真面目な人だとは思うが、ちょっと服装には大らか。気取らない性格なのだろう。
 木陰に吹く風が、ほんわかと匂う。

 陽太はいつも自信あり気に喋る。
「良いところだろ、ここ」
「まあね。谷野さんには、きっと、良いひとがいるのでしょ」
 陽太は、おどけて、なんのことだ、と首をかしげる。
「いい子なら目の前にいる」
 まっすぐに見つめられて、うつむく。
「べつに、悪い女だよ私。お話したかっただけ。でも、誰かに迷惑をかけないかしら」
 言い方を変えてみるが、はぐらかす。

 本当のことを話してくれて、割り切った関係なら、一度は身を任せて良いと考えてもいる。
(そうか。逆に私は知らなかったほうがいいのか)
 不倫だと知らなかった、と言える。でも、自分自身はごまかせない。
(いい思い出になるのか、後ろめたさを残すことになるのか)
 昼間を選んだのは、男と女の関係になるのを避けたかったから。恋のルーレットは、何かを選ぶごとに変わる。

「あついなー」
 陽太は立ち上がる。半袖の開襟シャツから、たくましい太い腕が伸びて日差しを受ける。
「夏だから」
 ほかに言い方はないかとも考えるが、何か仕掛けてくるのを用心もする。まだ心の準備ができてない。デートはするといったけれど、抱き合うのに怯えている。一緒にいるだけで十分な恋もあるのだが、どうだろう。

 奥さんへの不満とか並べるなら、同情もできるし、私が慰める、と恋の勢いで深い仲へ発展するかもしれない。
(谷野さんにとって、私は遊びなはず。でも)
 男を好きになったら、不倫の相手になってしまうときもある。
(谷野さんから。奥さんのことも話して欲しい)
 それでも、深い関係を求めたいのか、と春菜は自分の恋を確かめようとしていた。

「どうした。仕事のときみたいな元気がないな」
「そんなこと。あるかな。普通は大きな声なんか出しませんから」
 元気いっぱいな女の子と思ったのだろうか。
(それなら私に幻想をみているんだ)
 いまは、はしゃぐ場面じゃないとも思う。
「なにか心配なのか。俺は春菜さんといるだけで良いんだよ」
「そうか。谷野さんは、本当のことを言わないのね」

 これ以上の進展は望まないし、強引な行動に出るなら、帰ろう。振り子はいつも微かに揺れる。
「ずっとデートしようと言ってきただろ」
 それはそうだが。結婚しているはず、についてはとぼけて聞いてないふりをするつもりらしい。これは騙してることなんだよ、と言いたい。

「遊び上手なのね」
 彼が立ち上がったときは、迫ってくると思っていたのだ。前に付き合っていた男は、せっかちで、駆け引きもない、やりたがりだった。この男は女の扱いが上手いかもしれない。
 春菜のことばに、とぼけるている陽太。
「カラオケは飽きたが、一緒にいこうか」
「その遊びじゃ、ないの」
 春菜は話しながらも、陽太が誘ったのは身体が目的だと考えている。いままで付き合いもない女へ、ただ話し相手を求めるには、陽太も若い。二歳は年上と話してた。

(強引に触られてきたら、どうしようか)
 やはり抵抗しよう。しかし、恋は、彼とひとつになりたがっている。それで、一緒に歩いても、すべてを許しているわけではない。陽太は上手い流れで誘っていくのだろうか。

 春菜の思いとはうらはらに、陽太が、いなかへ帰るのか、と聞く。
「面接とかは、これから」
 故郷は好きだけれど、うっとしい付き合いやしきたりもある。
「嬉しくはない顔をしているが」
 陽太は顔を合わせて話したかっただけらしい。そりゃ、座っていたら、近づきすぎる、と春菜は納得。へんなところへ気をまわす人だ。

 ちょっと、楽な座り方をする。へんな妄想はやめよう。
「べつに。うん、半々かな。この街も好きだし」
 自然の中のような、この公園や大型ショッピングモールもある。
(そうか。大人だね)
 春菜は、自分の話をゆっくり聞いてくれる陽太に、大人の恋が分かりかけた。

「この街にいたら、ほかに行きたくはないがなー」
 陽太も、居酒屋では話せない自分の思いを言う。
(立ってて疲れないのかな)
 思うが、今は口を挟めないだろう。木陰が少し伸びたらしいが、夏の日差しのせいか、陽太が眩しくみえる。

   3

「大人の恋って何だろう」
 春菜はつぶやく。
「ん。それは。あれだ。将来を考えるということだ」
 断言した言い方は頼もしい。たしかに重ねた年齢で思うことも増えるだろう。
(私は、まだ憧れだけで恋してるんだな)
 思っていても、止めようがないのが恋。
(上手なリードで翻弄されるのもいい)
 成熟な大人のやりかたに憧れてもいた。少女みたいな恋と、さよならをしよう。

それなのに、陽太はあくびをした。
(あの。デートだよね)
 女の前であくびをするな、と言いたい。どうやら女心を分かってないようだ。それとも、高等な騙しのテクニックなのか。
「お昼寝しようぜ」
 陽太は自分のバッグを持って、ベンチをまわり後ろへ歩く。
(えっ。うしろから、突然ハグ)
 夏の日に温まる空気だが、春菜は、さー、と冷たく身体が冷まる。
 春菜は右に置いてあるバッグへ手を伸ばす。スマートフォンへ指をかけた。
(背中から抱きしめられるんだ)
 正面から迫られて、春菜も蹴飛ばしたりとかはしないが、背後からハグはよくある。
(もう少しは気の利いたことばも、あるでしょう)
 防犯ブザーを押すか。

 押さないでおこう。
 男からはポーズをしていると思われる拒否。いや、本気と戯れは表裏一体の感情もあるから。

(谷野さんがわるいんだ。むりやり。して)
 強引に迫られたら言い訳もできる。短い間で、不器用でまじめな性格は分かった。指先まで強く脈打ちだす心臓の響きが伝わる。愛とはべつの引力で陽太に堕ちて行く。ハグまでは許せる。

 4

(あれっ。あれれぇ)
 陽太の気配がしない。振り返ると木陰の芝生に寝っ転がっている。ほんとうに、おひるね。
 春菜はトートバッグを持って立ち上がる。花柄のAラインワンピースが、新芽のように陽光で輝く。
「あのねー」
 彼女は彼へ近づいて、しゃがんだ。
「ほんとに、寝ちゃった」
「起きてるよ。気持ちいい。春菜もねてみて」
「それは。ちょっと」
 無防備に横たわれますか。それでも、大自然に身を任せた陽太が羨ましくもなる。行動も大らかな男だ。

「だめか。ちょっと起こしてくれ」
 腕を伸ばす陽太。
 飢えた恋の指先は、春菜の焦らされた思いが動かす。    
 汗ばんで筋肉質の男の腕に触れる。初めて触れた彼の身体は、指になじむ。
(もしかして、嵌められたかな)
 緑のじゅうたんへ誘う、彼の作戦かもしれない。それでも良い。

 陽太が上半身を前に進めて言う。
「春菜。愛している」
(あ。いま、それ)
 待っていたことば。好きな男から言われたら、ほかのことがらは些細に思える。直球ど真ん中、ゴールキーパーも吹き飛ばす。もう、野球かサッカーか、分からない。春菜の胸内に陽太だけが残る。
「谷野さん! 私も。大好き」

 お日様の匂いがする芝生。陽太の左で足を崩して座る春菜。
「良いだろ」
 肩を抱かれてもたれる。
「うん」
 うなじから頬へ、やわらかく伝わる唇に、春菜も吐息で口元は緩む。歯磨きのミント味が微かに残っていて、食べてもないショウガの匂いが頬から鼻へかすかに伝わる。

 いまは彼を愛している。
(子供が走ってふざけているのを注意してたよね)
 奥さんらしい人と一緒に、どれが安いかな、などと仲良く肉を選んでいた。

 春菜は唇を固くして閉じた。
(壊せない。陽太のしあわせは)
 陽太の唇が触れるが、迷うように離れる。
「どうしたんだい。急ぎすぎたか」
 しあわせそうな、たにんの生活を壊したくはない。いつか恋の核分裂も収まるだろう。もう会わないほうがいい。身体を小さく揺らして彼から離れた。
 陽太も、いまなら気の迷いですまされるはず。春菜はうつむき、服を整えながら言う。
「これで。お終いに。してください」
 つい、鼻がつまる。
「奥さまと子供が、いらっしゃる、でしょ」
 普通に話せているか不安だ。
「なんだ。もしかして」
 バッグから何か取り出すような音。
「私もあなたが好きでした。でも」
「弟だろ。双子だが、質問ある」
 割り込んで喋る陽太。春菜が顔を上げると、スマートフォンの画像を見せた。
 弟の家族と、ひょうきんな表情の陽太の写真。弟と比べれば、陽太が丸っこい顔をしている。
「あれっ」
 春菜は顔のこわばりが消えるのを感じる。作らなくても笑顔になる。
「よぉた。ねっ。ちゃんとしたところでちゃんと、してもらえますか」
 瞳に溢れる涙が、きらきら陽光に映える。悲しみを喜びが追いかけるしずくは、頬で虹色になって流れた。
「2年前から、そのつもり。春菜ちゃん、いいだろ、ずっとこの街で。俺と」
「うん」
 もう、二人にことばはいらない。陽太の腕が伸びて、春菜は彼の、たくましい胸に抱かれた。

    了



 

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