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毒家庭に育ち、すべてを諦めた私のはなし④

就職をしてからも実家暮らしでした。
まず、その当時家を出るという選択は許されなかった。

母について少し触れておきたます。
恐らく(というか絶対)【毒親】というジャンルの人なのだと思う。
【過保護】【過干渉】【依存】当てはまる言葉がありすぎて困る。
ただ親が子どもを思って育てているのとは違うように思う。
父親がいなかったぶん、母は父の分まですごく頑張ってくれたのだと思う。
けど、それがとても重かった。
母なりに、普通の家庭と変わらないように育てたいと思ってくれてたのだろうけど、その頑張りが苦しかった。
そもそも、どんなに頑張ったって父親がいないことは事実。
理由を説明してない時点で私としては不信感を抱いていたし。。

頑張ってくれる母のために、
そして気分を害して無視をされないために
母の思ういい子でいるよう努めた。

学生の頃から何度も何度も無視はされてきた。
長いときは3ヶ月ほど?
ちなみに、叔母(母の妹)は、きっかけは知らないが5年近く無視をされていた。
とことん徹底的にやる人なのだ。

高校3年生のとき彼氏ができた。
母にそのことを話すと「そう」とだけ言われ、そこから2月ほど無視をされた。
そして、祖父からも何故か文句を言われた。

私は恋愛もしてはいけないらしい。
その時悟った。
でも、男の子と遊びたいし、恋愛だってしたい。
家でいい子でいられるよう頑張っている分、外では自由にしたい。
そんな私は、嘘をつくようになった。

彼氏と遊ぶときでも、女の子のお友達と遊ぶと言ってでかけた。
合コンがあっても、会社の飲み会…とか友達と会うだけと言ってでかけた。

他にもたくさん嘘をついた。
はじめは自分を守るための嘘だったが、慣れてくるとぺらぺら嘘の物語が作れた。
いかに母にバレずに過ごすか。。
それが何より大切だった。

親に嘘なんてつきたくなかった。

私は婦人科系の疾患がある。
かなり以前に、母が仕事でいないとき、妹が生理痛がひどくて倒れたことがあった。あとからそのことを知った母は「清潔にしてないからだ」と言い放った。
その印象が強かったため、私は怖くて言えなかった。
ストレスで生理が止まったり、子宮頸がん検診でひっかかったり、内膜症と診断されたり…
女親なので、身体のこと、恋愛のこと、普段のこと…たくさん相談したかった。
でも否定されるのが怖くて言えなかった。

母は気分を害すと無視をするし、大切なことは話してくれないし、相談もできないし…
思えば、話す内容も全て正直に言えてたわけではないし、なんか寂しい関係だな。

母は、少し精神が弱い人だと思う。
口では大きなことを言う割に、気がとても小さい。
例えば、車を運転していてどこかの会社の社用車が危ない運転をしていたとする。
「電話してやろうか!」と口癖のように言うが、実際に行動を起こさない。
中学生の自転車のマナーがなってなかったときも、同じように「番号控えて電話してやる!」と言うが、しない。
といったように、思ったことを特に考えずにそのまま発言してしまう。
また、気分を損ねたら限度が分からないのか徹底的に相手を追い詰める。

仕事で不快なことがあると当たってきた。
私も妹も、よくはけ口にされていた。
でも、母はそんなつもりはないのだろう。
というかそんな記憶はないのだろう。
都合の悪いことは書き換えているように見える。
機嫌が悪そうな日は、理不尽な文句を受け入れた。

普段、機嫌が良いときは面白く冗談も言う人なので、落差が激しく疲れてしまう。
そんな環境から早く逃げればいいのに…と思われると思う。
でも、その境遇が染み付いていると変化が怖くて仕方がないのです。
きっと「出ていけばいい」「自立したらいい」簡単にそう言う人は、とても幸せな環境で生きてきた方なのだろうと私は思う。 

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