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変わり続ける君を、変わらず見ていたいよ

年末にギャラリーの整理をした。2020年代が始まるその前に、これまでのあらゆる思い出の数々を一旦区切っておこうと考えたのである。
PCにコピーしておいたデータや勝手にバックアップされていた写真など、その一挙を現在使用しているスマホに移行した。すると2008年-2019年という11年間にもわたる膨大な思い出がデータとして残されていたのであった。写真の数は5,000枚以上にものぼる。これらが何かの拍子で消失してしまったらと思うと末恐ろしくてたまらない。PCだけでなくクラウドとやらにもバックアップを取っておこう。

しかしながら、その11年間のうち、“空白の一年半”といえる期間がある。頼みの綱であったその間の古いSDカードがどうやら経年劣化により壊れてしまっていたらしく、データを抽出する事ができなかったのである。そのため、要所要所の思い出がわりと大胆にすっこ抜けているという訳なのだ。

──なぜ、そのSDカードだけバックアップを取っておかなかったのだろうか? そんな過去の自分に対する問いかけは、“あまり触れたいものではなかったから”、それに尽きる。

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──私が居ると、都合の悪い人たちが沢山居る。という思い込みは、果たして。

2014年冬、サークルの男女関係は泥沼化していた。その様子は、ハヌマーンの『猿の学生』そのもので、あらゆるゴシップにまみれていた。そんな噂話を楽しむ傍ら、外野の人々はだいぶ気を使ってくれていた事であろうと思う。(すみませんでした)
私はというと、かつて周囲に内緒で付き合っていた同期である元彼に新しい彼女ができた。その彼女は彼だけでなく私にとっても大切なサークルの後輩なのであった。これはどこにでもありそうなとあるバンドサークルのお話である。

“友人”と“恋人”の線引きがわからないままに初めての彼氏ができた。とても気が合うし頭も凄く良くて顔もなかなか、服のセンスがない以外は申し分のない、そんな人。それが前述の彼である。
そうした過去を私は墓場まで持っていくつもりでいたのであるが、彼は「この先いつか彼女ができて人生をかけて“この娘” だと思ったその時は、きっとお前の話をするんだろうな」と別れ際に呟いていた。「やめとけ、お前はどこまで女心がわからないんだ」とは言えずに、まあそちらさんの事は任せますといった感じで彼の言葉を非情にも聞き流した。
それからたったの3ヶ月後、彼はサークル1どころか全国レベルで可愛い後輩ちゃんと付き合い始めた。切り替えがあまりにも早すぎて私は茶を吹いた。
別れ話をした時、あんなにも大泣きして暫く私の事を避けてきたというのに、冬ライブ後の打ち上げで「よお」とはまあなんと都合の良い男なんだと思った。かくいう私もサークル1どころか全国レベルでイケメンの後輩くんとスピード破局していたので人様の事は言えないが。

そんなふうに私たちが久々に話していると、新しい彼女である後輩ちゃんがその様子を見るやいなや、空気を読んでなのか身を隠していったのが見切れた。彼は早々に彼女を“この娘”だと感じ、全てを話したそうだ。「お前はバカか」と言って私は呆れた。

それは言うなれば上記掲載の過去のnoteにて中盤で記した内容の続編である。備忘録は、なかなか尽きない。

天空の都市は、聖なる夜
初めて傷つくなら君がいい、空気
誰にも内緒で繰り返す
英語の愛の言葉 筒抜けになってる
気持ち悪い  ──「祭りのあと」Base Ball Bear

事情を何も知らないその他大勢からすると、私という人間は“後輩くんの元カノさん”という至ってシンプルな肩書きで済んでいた。
しかしながら、当事者たちからすればそれはそれは複雑な相関図で、他にも数人登場してくるあたり見事なまでのヤ●サーである。
ある意味平等であったのかもしれないが、ちゃんと好きになって付き合った後輩くんにはとある特殊ルートで同期との関係が洩れ、わりと大惨事になった。
後輩くんにも後輩ちゃんにも、面倒な事がバレてしまった。仲が良いだけというだけで、泣きつかれたというきっかけで、そんな同期と付き合ってしまったのが過ちだった。まさにあとのカーニバル状態である。嗚呼、つらいけどサンバ。

私と後輩ちゃんがそんな気まずい関係性にある事など周囲は露知らず、その後に至っては何も知らない平和ボケした先輩が随分とんでもないやらかしをしてくれた。なんと彼女と私がバンドを組む事になったのである。
それは次の追いコンライブに向けたもので、既存の3人構成にやっぱりギターをもう一人加えたいとの話の末、先輩がたまたま彼女をオファーしてしまい、なんと彼女はその話を承諾したのであった。
どういうつもりか知らないが、誰に対してもすっかり懐疑的になっていた私は、そんな彼女が末恐ろしかった。断る事もできたというのにどうしてわざわざ…、と思ってしまった私はおかしいのであろうか。
そして追いコンで演奏した曲のひとつが、皮肉にもBase Ball Bear『祭りのあと』なのであった。何も知らない、他のメンバーによる選曲にさぞ私は遠い目をしていた事であろう。誰も悪くない、という苦しみがそこにあった。

スタジオ練習終わりにメンバーでご飯を食べたりする中で、勿論話題は“彼女と例の同期カップル”の話で持ちきりなのであった。“クリスマスはどうだった?”だとか“なんて呼びあってるの?”だとか、そんな話。彼女は照れながら答えたりはぐらかしたりしていたけれども、マジで聞きたくもない話ばかりなのであった。でも空気的にそれは致し方なかった事でもあった。
彼女が私に対してこれまで通りごく自然に接してくれているとするならば、それは嬉しい事である。彼女がInstagramを始めた時も他の人と同様に私をフォローしてくれた。
ただ、彼女の誕生日に夜景が素敵なレストランで嬉そうにしている二人の写真がTLに流れて込んできた時、私は動揺のあまり誤操作でいいねを押してしまった。はは、なんて良い先輩なのだろう。
それはバイト仲間とカラオケ店でだべっていた朝5時の出来事なのであった。私は、速やかにいいねを取り消した。彼女にバレていない事を祈りつつ。

お祭りのあとの あとの祭り 永遠か

私は、とにかくむしゃくしゃしていた。私をわざわざフォローしておきながら可愛い顔してわりとやるもんだねという思いと、あの同期に対する行き場のない苛立ち。どちらかといえば、後者の思いが強かった。

同期がまだ私の彼氏だった時は、私たちはお互いに恋愛初心者で初々しさに溢れていた。
夕食でなんとなく入った洋食屋さんでキャンドルでも灯っていようものなら、お互いに「やばい!お洒落すぎて爆発する!早く出たい!」などと言っては笑い合い、一緒におでかけするのは定番のテーマパークよりもその川を挟んで向こう側にある葛西臨海公園を選んで遠目にディズニーなんとかを眺めながら「あそこはリア充どもの巣窟だ チェだぜ」と言い合っているような二人なのであった。私は彼のそんなところが好きだった。友だちとして。

それなのに、そんな彼が彼女に随分と気取ったサプライズをしている様子を見て、怒りよりも何よりも強く感じたのは、なんともいえない彼に対する“虚しさ”なのであった。
私への誕生日プレゼントが可愛いブタさんのマグカップだった一方で、彼女へのプレゼントが高そうなイヤリングであった事に腹を立てたのでは決してない。
そもそもプレゼントは値段ではない。江ノ島の景色を見ながら「誕生日おめでとう これ実はお揃いで俺はパンダさんだよ」と言われた時、私は嬉しいというのになぜか泣いてしまい、広がる海を目の前に彼を大層困らせた。
そんな事を思い出してか、“彼はもう、あの頃とは違うんだ”という虚無感が私を包み込んで放さなかった、という訳である。
私でお金がかからなかった分、年下の可愛い彼女にたんまりとお金をかけたまえと皮肉交じりに思いつつ、荒れ狂った気持ちを落ち着かせたのであった。

それからというもの、いつからか彼らの右手に光り始めたペアリングは見えないフリをし、同期の飲み会において彼が言い放った「お義父さんから彼女伝えで大学院合格のお祝い金をもらった」というエピソードに対しては「それはマジで直接お礼を言いに行くべき、その勢いで娘もついでにもらってこい」などと言っては痛々しくも強がった。
本当に大学生という感じだ、精々よろしくやれよと嫌味ばかりが頭に浮かぶ。取り急ぎクローゼットの奥に封印していた彼からもらったマグカップやハンカチ、彼用の髭剃りなどの小物、衝動的にその全てをゴミ捨て場にぶち込んだ。

もう正直うんざりだった。そんな浮かれている二人にも彼らをもてはやす周囲にも、こんな腹黒い自分にも。
私が「実は付き合ってたんだよね」というとっておきの一撃を投下さえすれば、周囲や当人らは凍りつき、確実に私の前でその類いの話はしなくなるに違いない。
しかしながら、そんな最低な女にはなりきれず、一時私は黙って姿を消した。

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私はあらゆる記憶を消去し、データを放棄しようとしただけでなく、そのサークルから自分の存在をも抹消しようとしていた。
かつて自分の彼氏であった同期の今カノが客観的に見るとなかなか嫌な女であった事も、スピード破局した後輩くんを自ら振っておきながらその後も彼に翻弄され続ける無様な自分も、そんな私たちが付き合っていた当初から実は彼を好いていて私にやたらと媚びてきたあざとい別の後輩の子も、一度振っても私の事をずっと好きでいてくれた先輩の存在も、全て、全て、消したかった。──私はただ、ベースが弾きたくてバンドがやりたくて、バンドサークルに入っただけなのだから。

それからの私は、TwitterやInstagramからサークルの人間を全員排除した。ライブが3daysで行われれば、自分が出演しない日程は観に行くのをやめた。不要と判断した全体飲み会は不参加、さらには別のバンドサークルにまで加入した。
ただ、そのサークルから姿を消す事は不本意以外の何物でもなく、そのせいで結局は唐突かつ中途半端にサークルと距離を置くという不自然な身の置き様となってしまった。
このコミュニティーからすっぱりと姿を消す事ができなかった理由、それは一つしかない。そこが私にとって唯一無二の大切な“居場所”そのものだったからである。

そのためか、半年ほど経ったある時、“どうして自分ばかりがここまで遠慮に遠慮を重ねているのだろう?”と不意に思ったのであった。自分以外の人間は、どいつもこいつも好き勝手にやっているじゃないか、と。
それならば、これまでの私が主要メンバーとして好きでこのサークルに尽くしてきたように、つまりはそれまでのようにこれからは自分だって人間関係を好きなように選んだって良いではないかという思いが生まれたのであった。

私は、昔から空気を読みすぎるところがある。その方が嫌われはしないし、身勝手な振る舞いをして誰かと対立するぐらいなら自分を圧し殺した方が全然マシだと思ってきた。だけれども、そんな“自己犠牲精神”が度を過ぎると自分ばかりが損をするという事を、この一件のおかげでそれはもう身に沁みて感じた訳なのであった。
どのような心がけをしようとも、人様に100パーセント嫌われない術などない事は解っている。それならば、たまには自分の思うままに立ち振る舞う事ぐらい許されたい。何もどっかの同期ちゃんみたく「先輩への片想い、応援するよ!」なんて恋愛相談をしてきた子に言っておきながら結局自分がその先輩と付き合い始めるだとか、どっかの先輩さん方みたく、親友の(に)彼女を寝取って(取られて)そのまま結婚する(される)なんていう泥沼展開な起こそうという訳ではないのだから。やれやれ。

そんな考え方の変化により、私は新たにTwitterのアカウントを作成し、自分にとって“無害な”人たちだけをフォローするようになった。
感の鋭い人には、一時は謎にいきなりリムってきたというのにどういう風の吹き回しなのだろう…、と思われたかもしれないが、それでも良いじゃないかと自分に言い聞かせた。
あと、この人はフォローするしないの線引きは難しかったけれども、それはガンの手術と同じで、ガン細胞だけではなくその周辺の正常組織ごと切除するように、私にとって都合の悪い人間と近い距離にある人ごと避けるのは鉄則である。とはいえこちらだってそれは断腸の思いの末の決断であるため、頼むから深くは気にしないでくれという感じなのであった。
おすすめユーザーとかいう要らなすぎる機能を不快に思ったり、誰かがその“都合の悪い人たち”と絡んでいる様子やそんな人物との写真がTLに流れてくる事は未だに嫌でびくびくしてはいるけれども、どのみち誰しもがTwitter離れしていくであろうと見ているので暫くの我慢である。

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そういえば、一体何を思ったかふらっとOBライブを観に行った事がある。誰が来るかも把握しないままに一人で行くというなかなかの賭けに私は出たのであった。
早速、例の同期がライブに来ていて、私はロングヘアーから訳あってショートヘアーにしていた事もあって周りの皆も色んな意味で随分と驚いていたけれども、一番目を丸くしていたのはあの可愛い彼女だったような気がした。
ライブが始まると同期の男は相変わらず弾き語りをしていたのであるが、今回はいやに歌詞を飛ばしまくっていた。「いやあ、ちょっと練習不足でして~…」とは言っていたけれども、私の存在に動揺しての事であれば良いのにと大胆にもそう思った。
その後、あからさまによそよそしく声をかけてきたその同期に対し、私は堂々とそして何気ない態度で接した。私たちが話している様子を彼女が近くで見ているだとかを気にせずに、ただ懐かしさと久々に話せて良かったというごく自然な感情をのせて。

その日は懐かしい空間とそのバンドサウンドに浸り、久々に会えた人たちとあれこれと喋り、新入生だという4,5歳も年下の子たちに挨拶をして好きなだけOBライブを楽しんだ。
本当はその後の打ち上げも参加したいところではあったけれども、下手に捕まる前にその場を後にしたのであった。どこまでも自意識過剰が過ぎるけれども、やはり私がその場にいつまでも居座っていてはあの娘が可哀想だ。
大学校舎を出ると、外はすっかり暗くなっていて星が見えるそんな夜になっていた。後ろから足音が聞こえた。弱々しい声で名前を呼ばれて振り返ると、そこにはあの同期の男が立っていたのであった。

少しかじかむ夜空の下、二人で話をするのはいつぶりだったろうか。少し声を震わせた彼と頑なに真っ正面を向いて話そうとしない私の姿が、そこに在った。
いつか彼は友だちに戻ったばかりの私に「30歳になってもお互いに独り身だったら結婚しよう」なんて事を言った。マジでこんな事言う男って居るんだ、当時の私はそう思った。
だけれども、そんなふざけた言葉を結局はいつまでも憶えていた。別に期待などしていない。それは単にそう言われた事があったという“記憶”のうちの一つでしかなく、これこそ聞き流してもいいようなバカな話である。

そんな事を思い出したのは、一人で帰りの電車に乗っていた時だったけれども、私の目からは涙が零れていた。
私には彼が一体どういうつもりで私を追ってきたのかは解らない。彼も彼なりに何か罪悪感のようなものを感じていたのであろうか? 私がサークルと距離を置くようになっていたのを気にしていたのは確かのようであったけれども。
それでも人様の心境なんざ考えるだけ無駄である。解る訳がない、思った通りな訳がない。だから私は死刑囚や犯罪者の心理や動機をさも解ったかのように語るワイドショーのコメンテーターなんかが大嫌いだ。

僕はいま僕のことだけ 僕がいま僕のことだけ
考えられればきっと傷つかないのに
──君の短い髪が揺れて隠れた横顔 表情:「short hair」

誰かに嫌われたくなければ、誰とも出会わなければいいとは思うが、誰とも出会わなければなんの思い出もできやしない。それでは一体何のために生きているのか、わからなくなる。
だからこそ、人はコミュニティーに交じり、楽しい思い出を作りながら時に傷つけ傷つけられて、許し許され生きていく。誰もがお互い様であるとするならば、自分ばかりが病的に気を揉み続けるのはナンセンスのように思える。
そのあたりをどうにかして自分の中で気持ちの折り合いをつけられたら、というには少々遅すぎた感は否めないけれども、これからは少しでも自分自身を生きやすくさせてあげたいと考えている。

いよいよ時代は2020年代に突入した。これからの私はもっと自由に、人の目を気にしすぎないような伸び伸びとした生き方をする。
それからこれからも多くの写真を撮って沢山の思い出を残していきたい。その中で、これまであまり触れたくなかったはずの過去も少しずつ浄化されていくのであろう。
今年こそは何かいざこざするような事は極力ないと嬉しいし、どうか平凡な一年であってほしい。
そして最後にいつもスキを下さる方、こうしてご一読下さった方々にとっても今年が良い一年間になりますよう、心より願っています。

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