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『繊細な若い才能』------「国川広」展。2023.8.26~9.16。小山登美夫ギャラリー天王洲。

 記憶力に自信がないから、最初にどこで知ったのかも忘れてしまったけれど、確か、美術専門誌のサイトで見た気がする。

 このサイトには、いろいろな記事が載っていて、そして終了間際の展覧会は、おそらくより目につきやすくなるのだと思う。

 そこで初めて知った作家だった。


国川広

 絵画という長い歴史と蓄積を持つ分野でありながら、画像で少しだけ見ただけでも、なんだか新しく見えた。そして、そのプロフィールでも若いことがわかった。

国川は1992年埼玉生まれ。2015年武蔵野美術大学油絵学科卒業、2017年武蔵野美術大学大学院油絵コースを修了し、同年「アートアワードトーキョー丸の内2017」で小山登美夫賞を受賞しました。

(「小山登美夫ギャラリー」より)

 あまり年齢だけにこだわるのは、本人にも失礼だろうし、それこそが「人と比較する習慣」がなくならない理由だとは思うのだけど、それでも、私にとっては、若いアーティストで、しかも、美大の大学院を修了した年に賞をとっているのは、とても順調に思える。それも、小山登美夫の賞だから、今回、このギャラリーで個展をやるのかと素直に思えた。

 だけど、ここから急に文章の方向がかわる。

その翌年2018年には8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Galleryで初の個展「未分のレポート」を開催し、評判を博しましたが、その後2021年残念ながら他界いたしました。その繊細な若い才能が惜しまれてなりません。

(「小山登美夫ギャラリー」より)

 初めて知って、作品に興味を持って、だけど、すでにその作家が亡くなっている。しかも、プロフィールで計算をすると、30歳になる前だから、本当に若くして亡くなっていることがわかった。

 才能があって、若くしてこの世を去った人。

 それは、場合によっては、妙な思い入れや、過剰な伝説を生んでしまいそうだけど、私には、そんなことを思えるほどの情報すらなかった。

 そして、あと数日で、この個展の会期が終わるときだった。

ホテル

 迷って、やはり行くことにする。
 確か、行ったことがあるギャラリーだけど、すでにその行き方を忘れていた。

 ただ、毎週出かける場所から、家に戻る方向へ進み、少しだけ違う路線を使うと、その最寄りの駅に着く。

 前も来たはずなのに、初めて降りたような気さえする。
 目的のギャラリーへ向かう地図を見ながら、不安と共に駅の階段を降りる。

 不思議な、どこか知らない場所へ行くような入り口があって、何かと思ったら、ホテルのロビーだった。電車を降りて、階段を降りて、外へ出るまでの間のスペースに、新しくホテルができていて、ここに建物が建てられる空き地があったことを、ホテルができて、初めて知った。

 ほぼ線路のそばのようだ。よく建ったと思う。

 そのあと、今までは通らなかった道を歩いたら、そこは街道かもしれず、商店街があって、さらにはお祭りのようで、今まで、この駅の近辺は人通りがないイメージしかなかったので意外だったけれど、そのためかいったんは全く違うところへ行きそうになって、そこで留まって、また地図を確かめて、違う道を歩いた。

 そばまで来たら、確かに来たことがあるのを思い出したけれど、前は歩いて左側にあった気がしていたのに、今日は右側にそのギャラリーがある建物があった。

 なんだか自分の記憶に納得できなかった。

エレベーター

 どんな事情か詳しくは知らないけれど、ギャラリーはよく場所が変わる。

 そして、この小山登美夫ギャラリーが昔あったのは、倉庫の一部みたいなところにあって、やたらと大きなエレベーターで、上の階に登ってから、降りる時には「閉」を押さないと、エレベーターは1階に戻らないという注意書きがあるようなところだった。

 今の場所も、エレベーターは大きくて、ドアがゆっくりとしか開かなくて、そこに乗り込むだけで、ちょっと違う場所に行くような気がした。

 4階で降りる。

 開いたエレベーターのすぐ前が、小山登美夫ギャラリーだった。

ギャラリー

 このビルの中にはいくつもギャラリーがある。

 こういう場所には、久しぶりに来た。

 ガラスの、開いている扉を入る。
 絵が並んでいる。

 ワンルームだから狭いとも言えるし、だけど、壁に絵画が並んでいて、他に何もないから広くもある。

 これだけ正方形に近いスペースのギャラリーは珍しいかもしれない。

絵画

 人物をモチーフにした絵画が目に入る。

 それも、周囲と溶け込んでいるように、さまざまな色や、形で出来ている。
 近くで見ていると、ちょっとざらついていたりとか、さらに質感も含めて、思った以上に多くの要素でできているのがわかる。

 小さめのドローイングが壁一面に並んでいて、壁2面には大きめのペイティング。

 大きいペインティングの方は、くっきりとした人物画(とは言っても、性別も、しかもちょっと人類とは違うような造形)から、人物と背景が混じり合っていくような絵になり、さらに右側は、全体が少し焦点があっていないようなぼやけ方をしているような印象になっていく。それは、左から右へと視線を移していくように鑑賞していた。

 小さめのドローイングは、壁の一面にたくさん並べられている。

  右側に、はっきりとした人物画。そして、真ん中あたりが、人物も背景も一体化しているようで、色も混じっていて、その人物の表情も定まっていなくて、そういうところも含めてとても魅力的だった。

 そこから、左側へは抽象化が進んでいって、クレーのような感じになってきて、それでも、穏やかというよりは、激しさが増しているように見えた。

 そのせいか、自分の中では、より古い作品が抽象画で、そこから具象画に向かっていると思っていた。それは、どこかで制作年数が重なった方が穏やかになっていくことが多い作家が多いという印象があったので、この作家は、具象画に向かっていったのだと勝手に思っていた。だから、壁の左から右へ制作年数が経っているのだと勝手に思っていた。

 ただ、ギャラリーのスタッフに聞いたら、逆だった。制作年は、右側が古く、左に向かって新しくなっている、ということだった。

 壁一面のドローイングは、右から左へ。具象画から抽象画という、絵画の歴史をたどるような変化をしていることになる。

 なんだか意外だった。

 ただ、個人的には、ペインティングも、ドローイングも、その変化のちょうど真ん中ぐらいの、人物と背景が混じり合い、さらには、人物もはっきりよりも、少しあいまいな存在になったくらいの絵画が、とても魅力的に思えた。

言葉

 ハンドアウトにもサイトにも、作品に関する言葉がある。

彼の作品には裸の人物が描かれ、さまざまな場所で色々なポーズをとっています。
それは特定な人物でなく、性別や国籍も不明な抽象化された存在であり、漠然とした人の「気配や雰囲気」です。

「裸にこだわるのは、人に対する興味からであり、目の前にいる人よりも、単純に人の怖さ、不思議さに興味がある。
服を着てしまうと文化的なものが出てきて、『言葉やジャンル』が出てきてしまう
それをこえた、とらえられないような、はっきりしたものの間にあるものを描きたい 
それが結果として裸となった」
(国川広コメント「渋谷のラジオ」2018年より)

人物を最初に、その後背景を描く。人の形ができるとぼんやりと空間ができ、なんとなく線をひいて形ができてくる。
最初にイメージがあるわけでなく、感覚的に出てきた結果だと述べています。

 こうした言葉を読んで、作品を見て、確かにその通りだと思ったりもするのだけど、でも、それだけではないような気がする。

小山は「アートアワードトーキョー丸の内2017」の際、国川作品をこう評しています。
「人物画という一見、伝統的な主題をモチーフにしているようでいて、人が生きていく空間を描くことの実験、確認が続けられている。主眼は人物でも風景でもない。そんな謎に富んだ作品を見て、モランディをちょっと思い出す。境界線上に繰り広げられるとてもスリルに満ちた画面はとても魅力的です。」

 確かに魅力的だった。

 帰りに、いつもと違う電車に乗って、あまり来ない駅で降りて、ちょっと迷いながら、10分ほど歩いて、すごく汗をかいて見にきてよかった。このビルの他のギャラリーも少し見て、やっぱりアートのある場所にしかない空気感があって、充実感もあった。

 気がついたら、天王洲にはギャラリーがたくさん出来ていた。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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