僕は片づけができない。
僕は片づけができない。
もし、そんなタイトルの小説があって、ベストセラーになり、それが西島秀俊主演で映画化されないだろうか。
子どもの時だけではなく、大人になっても、整理整頓的なことが苦手というよりは、努力してもできない人間がいることを、基本的にはコメディーでも、時にシリアスに、それでいて感動的なラスト、というような作品があったら、今の自分も、社会から少し大目に見てもらえるのだろうか、と思うことはある。
ただ、現在は、そうした作品をつくるときに、発達障害といったことを避けて通れなくなるだろうから、そうなると、より表現が難しくなるかもしれないが、これまでとは違って、もっと本質に迫れるようなものになったら、それはより豊かな表現だと思う。
ランドセル
子どもの頃は、学校でもらった連絡事項が書かれたプリントなどを、忘れないようにととりあえずランドセルには入れる。だけど、他の教科書やノートなども、それほど考えなしに入れていくから、薄い紙のプリントはつぶされるようになり、だから、ランドセルを開けた時には、どこにあるか分からないから、その存在を忘れている。
しばらくたって、ランドセルの底からジャバラ状態になっているのが見つかるけれど、その時は、その連絡事項の期限が過ぎていることもある。今だと「アコーディオン状態」と言われて、親は専門家へ相談するかもしれないが、その頃は発達障害という言葉自体が知られていなかった。
そういうとき、それほど怒られた記憶もないから、途中からあきれられたか、悲しさのようなものを向けられることが多くなったのか、学年が進むにつれて改善したのかもしれないけれど、今も片づけができないから、その可能性は低そうだ。
机
今も、机の上は自分としては大事なものを取っておいたせいで、地層のように色々なものが重なってしまって、使うには難しくなっている。それは、やはり片づけができないからで、自分ではどうにもできないような気がする。
そういえば、雑誌の編集部で働いていたとき、ベテランの編輯者から「机が汚い人間は、仕事ができない」と言われていたけれど、その頃の私は一つの机がごちゃごちゃしてしまうと、そのオフィスは比較的、空いている机が多かったので、もう一つ机を使わせてもらっていた。そのことで迷惑をかけたり、あまりよく思わなかったりしそうな方々には、いろいろと気を使うことによって、なんとか乗り切っていたこともあった。
だけど、考えたら、最初から片付けたり、整理できれば問題ないのに、それができないままだった。だから、今でも机だけでなく、あちこちが乱れている。
ノートパソコンの設置状況
人に見せると、ちょっと笑われてしまうのが、ノートパソコンの設置状況だった。
細長い机に、プリンターを置き、その隣に、大事そうに置いてあるからだろうけれど、それは今も、この精密機械に対して慎重というか、怖さのようなものを感じていて、だから自分の乱雑になっている机や部屋のあれこれから距離を取らないと、何か故障などをしてしまうのではないか、という気持ちがあるせいだ。
それで、今はノートパソコンの下には半透明の薄い引き出しを置いてある。
そこには、これから先はますます使わなくなりそうだけど、CDのデータを取り込むための装置や、記録のための外部ハードディスクや、さまざまなコンピュータ周りの機器が入っている。それに加えて、本を読むときに使う付せん紙を保存しているし、さらには保存しておいた方がいいと思ったもの、なくしてはいけないものを入れていたら、いつの間にか、その引き出しはいっぱいになってしまった。
引き出しの整理
その引き出しが、開け閉めのときに、自分でも何が引っかかっているのが、分からなくなるくらいになったけれど、そのたびに中に入っているものを壊さないように、上からそっと押さえて、引き出しを動かしていたら、妻が見かねて、その引き出しを整理してくれることになった。
とてもありがたい。
もう自分一人では、どうしようもできなくなっていた。
妻に、その引き出しを渡すと、丁寧に全部を出して、それで、また入れ直したりしてくれたのだけど、その過程で、実はなくしたら困るものと思っていたものが、すでにいらなくなっていたのに気がついた。
その作業の途中で、妻は、さらに色々と分類してくれて、わざわざ聞いてくれたので、それで、いろいろと捨てることができた。
その中に、すでに使ってしまったから文字通り用済みになったしまったアマゾンプリベイドカードが思ったよりもたくさんあって、だから、それをやっと捨てることができた。
他にもいろいろなものが、これ取っておいたんだ、と思うくらい、自分でちょっと嫌になるようになったけれど、妻がやってくれたことで、やっとその引き出しがちゃんと使えるようになって、とてもスッキリした。
すごくありがたくて、御礼を伝えたのだけど、妻は、少し戸惑ったのは、それほどの消耗はしなかったみたいで、それにも感心もした。妻も、自分では、それほどのキレイ好きではないし、整理もそれほど上手くない、と思っているようだけど、私から見たら、ほとんど神技のように見える。
ただ、確かに本当にキレイ好きだったら、私のような人間と暮らすのは耐えられないかもしれないから、そういう意味では、やっぱりありがたい気持ちになる。
引き出しはすごく使いやすくなった。
自分が何を保管しているかも、ファイルや袋にまとめてくれたので、別の棚に置いてある。ただ、机も含めて、まだ整理しなくてはいけない場所が多いことに改めて気がつく。
暖かくなってから、また考えよう。
と思った。
(この人の、その後は、なんだかすごいと思っています↓。)
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