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とても個人的な平成史⑪「“SNS化”が進んだ時代」

 私自身は、今だにスマホも携帯も持っていない(リンクあり)。それは、いつも読んでくださる方は、ご存知だと思うので繰り返しになり、申し訳ないのだけど、それでも、ツイッターがどういうものかは知っているし、「ブックマーク」に登録して、特定の人たちのツイートは毎日のように見ている。そうしないと、参加できないイベントがあったりするせいだ。

 これだけの「情報弱者」にも、SNSについて、「全く知らない」と言うのではなく、ある程度は知っている、というくらい、平成の時代に急速に広がり、その変化の大きさと速さを忘れてしまうくらい、今ではすっかり「自然」なことになっている。それは、少しでも冷静に振り返れば、「SNS化」といってもいいような、とても特殊な変化なのかもしれない、と思う。

 そんな変化が平成の時代にあったから、私のような人間でも、令和になって、こうしてnoteを始められたのだと思う(リンクあり)

ミクシィ

 私よりはるかに詳しい人が、たくさんいるのは確実だけど、「ミクシィ」という言葉を聞いたのは、21世紀に入ってからなのは間違いない。その時は、自分より若い友人に誘われて、「ミクシィ」を始めませんか?と完全に善意で誘ってくれたにも関わらず、それを断ってしまったのは、やはり警戒心があったのだと思う。

 それは、新しさへの戸惑いもあったのだけど、大勢で話したりするのが元々苦手だったり、たわいもない話をインターネット上でおこなう、ということがどうしても自分に必要だと思えなかったから、社交性のなさ、といった要素も大きかったのかもしれない。

 その時に、申し訳ないのだけど、と思いながらも、断ってしまったのは、いいことばかりはないのでは、という屈折した思いもあっただろうし、人間関係は、特に新しくできた関係性は、トラブルになることもあって、そのころは、介護を始めて、自分自身が仕事もやめていて気持ち的には追い詰められていたから、何かの負担になりそうなことを、少しでも増やす余裕がなかったのだと思う。

 もしも、介護を始める以前に、そうしたSNSがあって、すでに始めていたら、孤立しがちな介護者に対しては、もしかしたら気持ち的には逆にプラスだったのかもしれない、と今なら思う。

フェイスブック

 その後、2000年代の後半以降、久しぶりに会った同世代の人間から、フェイスブックという単語をよく聞くようになった。

 ミクシィと比べると、フェイスブックの方が広い世代に利用者がいたと思う。そして、「え、やってないの?」と聞かれることが、数年続き、その間にも、スマホもないのだけど、コンピューターのメールアドレスはあったので、突然「友達申請」がきて、戸惑うこともあった。

 自分がフェイスブックをしていなかったし、せっかく申請してくれていたのだけど、一度も受けることはないまま、時間がたつと、2010年代の後半になってからは、フェイスブックという単語も、友達申請もほとんど目にすることはなくなったのだけど、SNSから距離が遠い人間の個人的な印象に過ぎないかもしれない。

スマートフォンとツイッターとインスタグラム

 スマートフォン、というよりも最初は、アイフォンという固有名詞とイコールであった「スマホ」は、登場したのが2007年で、だから、まだ15年ほどしかたっていないのに、世の中への馴染み感で言えば、持っていない人間が言う資格はないのかもしれないけれど、個人的な「体感年数」としては、30年以上前からあるような印象になっている。

 今、コロナ禍になっても、電車に乗ると、スマホに触っていない人を探す方が難しい。

 そのうちに、それまで「iモード」と共に、最先端だったはずの携帯電話は「ガラケー」などと、遅れたもののように扱われるようになっていった。こんなに早く時代が変わったことは、それまでにほとんど記憶になく、もしかしたら、テレビが登場して、ラジオが遅れたもののように思われた頃と似ているかもしれない。

 確かに、「スマホ」は、電話ではなく、「電話もできるコンピューター」であるのだから、実は携帯とは元々は質が違うものだし、さらに、触って操作できるということで、「情報に直接触れる感覚」を新しく生じさせながら、一気に、生活に食い込むように浸透してきた、という印象がある。

 ツイッターが、日本市場で展開を始めたのが2008年だった。
「スマホ登場」の翌年で、最初に「なに、それ?140字で、どうするの?」といったような言葉が投げかけられたのは覚えているが、そんな戸惑いが嘘のように拡散し、定着していった。
 
 2011年の東日本大震災によって、ツイッターの利用は爆発的に広がった、と言われているが、ツイッターは、まだ始まってから15年に届いていないのに、世の中への馴染み具合としては、やはりスマホと同様、「体感年数30年」はたっているように感じる。

 そして、個人的な印象としては、そこは「24時間365日、戦いが繰り広げられている場所」でもあるので、情けない話でもあるのだけど、今のところは、自分自身が参加する勇気はとても持てない。

 インスタグラムは、2014年に日本語でも利用できるようになった。これは、利用していない人間だから、偏見かもしれないが、ツイッターは、かなり激しさもあるが、インスタグラムは、かつてのフェイスブックが担っていた役割も、一部譲り受けるようになっているように思い、同じようなSNSなのに、かなり印象が違う。

 そして、インスタグラムも、ツイッターより5年以上あとにもかかわらず、その「体感年数」は、ツイッターと同様、あくまでも個人的な印象だけど、なぜか「30年」は超えている印象がある。

 日本国内ではスマホ、ツイッター、しばらくしてからインスタグラムの登場によって、SNSが本当に隅々まで広く、さらには生活の中に深く根を下ろしたと思う。こんなに深く、生活どころか人生にまで食い込むように発達したのに、そのスピードは史上最速の可能性はある。

 私自身は、特に1999年から2009年までは、介護に専念し、仕事もしていなくて、人ともほとんど会わずに、ほとんど社会と断絶したような時間にいた。とにかく節約するために、携帯を持たないまま、生きてきて、だから、その10年でのインターネットをめぐる変化は、微妙に「外側」から見ていたから、その急激さを、余計に感じているのもしれない。

 そして、物心ついて、すでに当たり前にSNSがあった世代にとっては、『SNS以前』で、なかった時代のことは、おそらくは想像も難しいのではないだろうか。だから、私のようにスマホどころか、携帯も持ったことがない人間は、理解ができない「人類以前」に思われているのかもしれない。

 2010年になって、幸いにも、介護をしながらも学校へ通う機会を得ることができて、その時に、当時20代の同期と話した時に、そんなことを感じた。そして、自分のことを、「特殊な思想」を持っている人間ではないと納得してもらうのに、やや時間がかかったのは、覚えている。

ポストインターネットの時代

美学校」という美術の専門学校がある。

 そこは、現役のアーティストが講師を務める講座がいくつもあり、その成果を発表する修了展として、展覧会が行われ、一般にも公開されている。私も、たまに、一般の観客として見に行くことがある。

 松蔭浩之。三田村光土里。という現役のアーティストが講師を務める「アートのレシピ」という講座があり、2018年にも、第8期修了展があった。その展覧会は、私にとっては、「インターネット」をテーマにしているようにも見えた。そこには、平成生まれの人たちの SNSへの感覚も、かなり率直に現れているようにも思えた。

 平成23年、東日本大震災が起きた。そのあまりに巨大な現実を前に衝撃を受けた、私たちを取り巻く環境は本来激変するはずだった。
 しかし出来事の当事者ではない私たちの生活はそれほどの変化もなく、ただ続いてきた。
 それはなぜなのか。

 その時の展覧会の時に配られた文章から引用している。

 全ての始まりは平成7年である。同年に発売されたPC,Window95が広く一般家庭に普及して以来、平成とはポストインターネット時代へ向かう過程の時代であった。現実は非現実へ拡張を続ける一方、非現実は現実へと浸食し続け、両者の境界は融解しつつある。
 そして今日では、たとえ重大な事件が起こったとしても、その場に居合わせていないその他大半の人に対しては、そん事件の表象はデジタルへと変換されてから、〈分かりやすくなって〉インターネットを経由で私たちの元へ届くようになっている。

 その過程で、全ての出来事は、文脈から切り離され、単なる情報になってしまう、という文章があって、さらに続く。

今日においては、自分の生活圏外で起こったことに対して、現実味を持つということは、最早困難である。
「大きな物語の終焉」という言葉が初めて唱えられてから、早くも50年が経過しようとしている。しかし、本当の意味で大きな物語が影響力を失ったのは、この平成の時代ではなかったか。
 現代では、インターネットの存在は完全に人間社会の前提となっており、SNSは人々の生活の隅々まで張り巡らされている。交通網と情報技術の発達によって、世界はどんどん小さくなった。
 もはや世界の中心は存在しない。世界は断片だけでできている。
 たとえ、日本のどこかで大変な事件が起ころうとも、私たちはもうかつてのように怒り、悲しみ、集団で行動を起こすということはない。ただただ自分の個人的な関心を求めて漂うだけだ。

      「アートのレシピ」第8期生修了展 「平成気分」
      出展者:大桃耕太郎、長雪恵、上條信志、田上杜夫、結城海月


 情報があまりにも多く、生活の中にあまりにも深く自然に入り込み過ぎ、常にそうした情報にさらされすぎているので、あらゆる出来事に対して、ほとんど反応ができなくなっている、ということなのかもしれない。

 それは、今の社会にフィットしてこそ、実感として分かる感覚なのだと思う。

SNSの副作用

 ただ、現代の人間であれば、ほぼ例外なく感じていると思われるのだけど、SNSにはつながりを生んだりする「いい点」もあるものの、近年になるほど、その「副作用」ともいえる「悪い点」も目立つようになり、炎上による犠牲者まで出るようになっている。

 そうした「悪い点」は、目立ってきてから、思った以上に長い時間がたっているようだ。

 2006年にネットの未来を明るく語った梅田望夫はわずか3年後に2009年には、日本のネットは残念な結果に終わったと述べ、事実上の敗北宣言を出してネット上の議論から撤退した。

 この著書は、2016年に出版されているが、炎上に関して、今も説得力があるということは、ここで指摘されている課題が、まだ解決されていない困難さがあるのだと思う。それでも、炎上に参加する人の少なさを証明したことは、炎上を語る上で、今も前提とすべき価値ある事実だと思う。

 炎上に参加する人はインターネットユーザの0.5%程度である。さらに、攻撃相手の目に見えるところに書き込んで直接攻撃する人となると0.00X%のオーダーのごく少数となる。すなわち、炎上は例外的な人々が起こす現象である。
(スマイリーキクチ事件)8年間にわたった大規模な炎上・中傷事件の主犯が18人しかいなかったのである。

 さらには、炎上に関して、かなり本質的な指摘にまで到達している。

この学術的な、あまりに学術的なネットワークが、少数であるが特異な人もいる世界全体への適用に堪えなかったこと、ここに炎上問題の本当の原因がある。


 この著書では、「炎上」へ向けての対策まで提示されているものの、こうした「副作用」への対応の試行錯誤は、平成から令和に変わっても、さらに続いていくと思う。


「とても個人的な平成史」について

 すでに30年以上前に終わっている時代にも関わらず、「昭和らしい」とか、古くさいという意味も含めて「昭和っぽい」みたいな言い方は今だに聞くことはありますが、「平成っぽい」「平成らしさ」という言葉は、あまり聞いた事がないような気がします。

 新しい令和という元号が始まって、すぐに今のコロナ禍になってしまい、「平成らしさ」を振り返る前に、このまま、いろいろな「平成の記憶」が消えていってしまうようにも思いました。

 すでに2021年になり、令和も3年となり、平成は遠くなっていきます。だから、個人的にでも「平成史」を少しずつでも、書いていこうと思いました。

 私自身の、とても小さく、消えてしまいそうな、ささいな出来事や思い出しか書けませんが、もし、他の方々の「平成史」も集まっていけば、その記憶の集積としての「平成の印象」が出来上がるのではないかと思います。




(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただけたら、うれしく思います)。



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