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練乳へのあこがれ。

 スーパーに、新しい商品が並ぶけれど、その中でもペットボトルに入った飲料は、行くたびに確認し、新しいもので、安くなっているものは買ってしまう。

 それも、できたら、少し変わって、それまでにないような飲料だと、余計に買ってしまう。その多くの場合は「サンガリア」の商品であることが少なくないのだけど、今回は、カルピスが主になっている飲み物が気になって、購入した。


カルピスと森永ミルクれん乳

 それが、この『カルピスと森永ミルクれん乳』で、妻に飲んでもらおうと思っていたのだけど、いつの間にか、自分が飲みたくなって、一応、妻には確認して、飲んでしまった。

 なんだかおいしく感じた。

 もしかしたら、やや甘いのかもしれなかったが、もっと甘くてもいいと思っていた。

 そうしたら、次に行った時は、すでにスーパーの棚から姿を消していたのだけど、また買って、何本も飲むようになると、カロリーも多そうだし、ムダに体重も増えてしまいそうだから、どこかでほっとしていた。

 のだけど、その次にスーパーに行ったときには、また棚にあった。そのそばに「好評につき、再販」という文字が踊っていた。

 つい、また買ってしまったのは、昔の記憶が後押ししているのかもしれない、と思った。

いちごと牛乳

 おそらく小学生くらいの頃、春くらいのおやつの一つとして、イチゴが並ぶことがあった。ただ、その見た目とは違って、特に昔のイチゴは、普通のフルーツのように、そのままでは、どちらかというと酸っぱさが強かった。

 だから、子どもにとっては、そのまま食べるのは、あまり気持ちが盛り上がらないので、そこに牛乳と砂糖をかけさせてもらうことが多かった。

 そのときは、親にはほめられない行為だったけれど、スプーンの背でイチゴをつぶし、牛乳と砂糖とよく混ぜると、出来立てのイチゴジャムのような感じになって、ちょっとうれしく、おいしく食べていた。

 ただ、そこに至るまでの行為が、かなり面倒くさかったし、何度もやって、その度にそのつぶし具合いのようなものを調整したりしているけれど、それでも微妙にあきてくるのが欠点だった。

練乳

 そういうイチゴとの付き合いの中で、いつの頃からか突然現れたのが「練乳」だった。

 それは、残念ながら自宅ではなく、同じ社宅の別のお宅でだった。

 そのころは社宅に住んでいたのだけれど、その中で明らかに少し経済的に豊かな家庭が何件かあって、そして、そういう家は早めに社宅を出ていくという傾向はあったのだけど、それでも子どもが小さい頃は、一緒に鉄筋コンクリート4階建てで24世帯で、同じ屋根の下に住んでいた。

 そういうちょっと経済的に豊かなお宅に遊びに行って、おやつのとき、イチゴを出してもらったとき、自分にとっては見慣れないものがあった。

 それが「練乳」だったのだけど、昔の方が、相対的に高額だったこともあって、それまで家で見たことがなかった。

 イチゴにかけると、牛乳とは違って粘りがある。それは、どちらかというと、ケーキにかかっているクリーム寄りの印象で、そして、やっぱりおいしかった。

 だけど、そのおいしさの気持ちを素直に出すのも恥ずかしい気もしたし、それが何なのかも含めて、わからなかったのだけど、その家のお母さんにも聞けなかった。

 ただ、またイチゴを食べるときには、かけたいとは思っていた。 

牛乳をかき混ぜる

 そのことを、母親に言って、買ってもらうということもできなかったのは、自分の家が決して裕福ではないのを知っていたからだし、そのくらいのことで何かお願いをすることもできなかったせいだ。

 だけど、次に自宅でイチゴを出してもらったとき、牛乳と砂糖を混ぜて、そこにイチゴをつぶすのではなくて、あの「練乳」(そのときは名前を知らなかったけれど)のようなものは、どうすればできるのかを考えた。

 そのとき思い出したのは生クリームのことだった。液体になっているのをかき混ぜるのは、自分の役割だったのだけど、そのときに、ずっとかき混ぜることによって、途中から、グッと手応えができて、クリームになっていく。

 ということは、もしかすると、この牛乳も砂糖と混ぜて、これまでには気がついていなかったのだけど、さらにかき混ぜて、ずっとそれを続けていけば、もしかしたら、途中から、グッと手応えが出てきて、この牛乳も、あのうちで食べたクリームに近い牛乳のようなものになるのではないか。

 それを露骨に始めると、母親にも不審に思われたり、何か理由を聞かれるのだろうから、それをできるだけ見つからないようにするしかないと秘かに思う。

 だから、今になってみると、いつそれをしたのか覚えていないのだけれども、牛乳と砂糖を混ぜて、スプーンでかき混ぜる。ずっと続ける。飽きても、続ける。多少、腕が疲れても続ける。

 クリームであれば、すでにグッときているはずなのだけど、まだ、まったくサラサラしていて、牛乳のままだった。だけど、さらにかき混ぜて、しばらく経って、あきらめた。

 ちょっと悲しかったけれど、どれだけ混ぜても「練乳」にはならないと知ったのは、もう少し後だった。

イチゴの変化

 当然だけど、時代が変わると、イチゴも進化する。

 様々な新しい品種が登場して、それも糖度が高くなってきて、イチゴの印象自体が変わってきて、本当に甘いものになってきている。

 だから、以前ほど、「練乳」が合わなくなってきている部分もあるのだろうけれど、それでも、今もイチゴを食べるときは、どうしても「練乳」を使ってしまう。

 スーパーなどに行くと、イチゴが販売しているそばに、「練乳」が置いてあることも多くなった。だから、うちでも「練乳」を普通に買うようになってきて、イチゴを食べるときには、妻はそれほど必要でないので、忘れることもあるのだけど、その度に、あ、ごめん、持って来る?などと「練乳」のことを気遣ってくれるようになった。

 本人は、それほど意識はしていないのだけど、イチゴを食べるときには、本当に欠かせないもののように「練乳」を使っているらしい。なんだか、ちょっと恥ずかしい。

 ただ、不思議なのだけど、ギョーザの時のラー油のように、練乳もイチゴ以外には、ほぼ使った記憶がない。

 
 それでも、カルピスと練乳のドリンクを何度も買ってしまうのだから、やっぱり「練乳」に関しては、自分の記憶と共に、かなり好きなのだと思うけれど、そのドリンクが、好評で再販、みたいなことを知ると、自分だけではないと感じ、ちょっと安心もする。

 そして、カルピスだけではなく、練乳も、発売されてから100年以上、ということを、この商品の説明で改めて知ると、そんなに歴史があることも初めて知った。



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