「最速の懐メロ」------『少年時代』 井上陽水
2000年代初頭の、高齢者ばかりの病院に、母親が長期入院することになり、そこに毎日のように通った時があった。
それは、7年にも及んだが、その病院は、比較的小規模で、職種に関わらず、どの病院内のスタッフも、入院患者を「人として」大事に扱ってくれていた記憶があるから、その病院で母が亡くなってから、もう10年以上経つけれど、まだ感謝の気持ちがある。
歌集
そうした病院や施設では、おそらく共通することだと思うけれど、病棟の広いロビーのような場所に集まり、気持ちに刺激を与えたり、安心感を増す目的もあるのだろうけど、そこで定期的にレクリエーションを行なっていた。
年に一度は、その病院の1階のもっと広い部屋で、安全に配慮された運動会を開いたり、音楽に親しむという目的で、病棟の遠い場所でも響いてくるような強い歌声を持つプロのシンガーを招いたりもしていたり、毎月、誕生会も開いてくれたりもした。私は、その誕生会に、患者さんに渡す誕生日カードを制作するボランティアに参加するようになり、母が亡くなったあとも関わることになり、それは現在も続いている。
そうして、いろいろな催し物もあったけれど、患者の家族から見て、もっと大事に思えるのは、日常的な集まりのようなことで、そこで、母は他の患者さんと仲良くなっていた。
時には、その友人の方が「今日は、氷川きよしが出るから」とテレビ情報を伝えてくれたり、私が病院に来るときに、その人が窓から見つけたらしく、病棟のカギを開けてドアを開けたら、母と、母の友達となった二人で迎えてくれることもあった。
そして、その日常的な集まりの中で、もしかしたら、最も多く行われていたのが、みんなで歌を唄うことのようだった。
そのために必要なのは「歌集」で、おそらくはスタッフの方が手作りで製作してくれたものが、そこにいる患者さんに渡されて、終わったら、回収する、というシステムのようだった。
懐メロ
その「歌集」も見せてもらったことがあるのだけど、そこには、当時の高齢者にとっての「懐メロ」が並んでいた。
例えば、『青い山脈』(1949年発売)。『高校3年生』(1963年発売)など、30年も40年も前の、文字通りの「懐かしのメロディー」や、音楽の教科書からなくなると言われていた『ふるさと』や『赤とんぼ』などの、さらに古くからの童謡が載せられていた。
それらは、やはり私が見ても、ずっと昔からの音楽、というイメージだった。
つまり、その病院に入院している患者さんたちにとっては「若い頃」に流行し、しかも、その時代に生きていた誰もが知っているような曲、という共通点があった。
同様に、病院のロビーのテレビで流されているのは、その頃、夕方に再放送していた『水戸黄門』だったり、レクリエーションの時に視聴するのは『男はつらいよ』だったりもした。
だから、その歌集を見ながら、例えば、もっと時代が経ち、団塊の世代が、こうした場所の住人の多数派になったとしたら、音楽は「ビートルズ」になったりするのだろうか、などと思っていた。
『少年時代』
その「歌集」のラインナップを見て、唯一、違和感があったのが『少年時代』だった。
発売は、1990年。同名の映画の主題歌として制作された。というのは有名な話だったし、この楽曲もかなりヒットしていたのは知っていた。
ただ、母親が入院をしていたのは、2000年代の初頭だから、発売から10年ほどしか経っていない。
だから、その病院内での「歌集」の中では、ダントツに新しい曲だった。
それでも、井上陽水という、当時の入院患者たちにとっては、もしかしたら「新しい音楽家」が製作していることも、他の楽曲に比べたら、かなり新しいことも、おそらくは知らないままだったと思う。
母親は、この『少年時代』を聞いて、「いい曲ね」と言っていたし、懐かしさも覚えているようだった。
「最速の懐メロ」だと思った。
発売10年で、長く歌い継がれる曲に、すでになっていて、その歌詞の中に「風あざみ」という、本来ならば存在しない言葉もあるのに、それも含めて、いい楽曲だと、高齢者にも言われていた。
すごいことだと思った。
あと、さらに年月が経って、その頃、今のような高齢者施設があるかどうかも分からないけれど、もし、そういう場所があったとしたら、その時に、みんなで歌う一曲の中に、例えば、パフィーの『アジアの純真』とか、『渚にまつわるエトセトラ』がありそうな気がする。
そこにも井上陽水は、関わっている。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。