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読書感想  『Blue』 川野芽生  . 「カテゴライズの暴力性」

 どこかで誰かがすすめていた。
 そのどこかも誰かも忘れる頃、読む機会ができた。

 読み進めていくと、主人公の高校生は、男性であるのだけど、本人の性自認は、どうやら女性で、将来は性別適合手術を受けることを目指していることを知る。

 それで、それほど知らないはずなのに、トランスジェンダー女性、という言葉が浮かび、自分でもほぼ無意識のうちに、主人公の過去や、それから先の未来のようなものを想像していた。


『Blue』 川野芽生 

 例えば、男性に生まれながら、そのことに違和感があり、そのうちに女性として生きたい、という意思表明をしたとき、最初にその保護者-----両親には反対される、もしくは、そのことを伝えられない、といったことを、とても浅い知識でもあるのだけど、少し知っていた。

 だが、当たり前だけど、それは人それぞれで簡単にパターン化できるものではない。

正雄という名前は、幼いときから気に入らなかった。言葉を話せるようになってすぐ、彼女はその不服を両親に訴えた。 

(『Blue』より)

 このことも両親は、きちんと受け止めてくれたようだ。

女子の制服で学校に通いたい、と打ち明けると、両親はあっさりと受け容れた。まあちゃんの好きなようにするのが一番だよ、と両親は言った。両親はもともと、性別に対するこだわりがあまりなかったし、真砂のありようを否定したことがなかった。
〈真砂〉と言う新しい名前を彼女は自分につけた。
 病院に通い、二次性徴をしばしの間止める治療を受け、彼女は女性として生き始めた。

(『Blue』より)

 主人公にとって、周囲との軋轢のようなものがあったのは、男性の友人との間でだった。そして、その相手の気持ちさえ、かなり正確に見えているようだったが、それ自体を少し意外に思ってしまう読者としての自分が、トランスジェンダーに対して粗いパターン化をしてしまっているのに気がつかされる。

 蓮は多分、〈男同士の友情〉に固執していた。
 真砂はそう考えている。友情は同性の間にしか成立しないと信じていて、真砂が自分は女だと言い出したら、誰かが真砂を女として眼差したら、自分の信じていた真砂が嘘になってしまうと怯えていたのではなかったろうか。ずっと隣にいた親友が女だったらー騙されたと、思ったのではないか。〈異性〉としての感情を向けられているのではないかと、不快に思ったのかもしれない。 

(『Blue』より)

 それでも、そうした周囲の思惑をきちんと把握できる知性の力もあるし、さらには、高校の演劇部の友人によってお互いに理解され、大事にされる世界にいることによって、主人公は高校生の頃は、まだ自分が、自分が望む姿になっていない、といった思いがありながらも、かなり幸せな時代だったのかもしれない。読者としてもそう思うのは、その後、大学生になってから、また変化が訪れるからだった。

自分が自分の輪郭を見つけられたのは高校生の時だけだった。

(『Blue』より)

孤立に追い込まれる環境

 その後、大学に入り、ある女性と知り合うことによって、自分が「女の子」になるのを諦めようとする。名前も、眞青にかえる。

 狭い世界の中で、たやすく「わたしがほしいものを全部持ってる女の子」になるタイプの子だった。それなのに彼女からは、洗っても洗っても消えない体臭のように、強烈な不幸の臭いが漂っていた。 

(『Blue』より)

 主人公は、自分は恋人にもなれるわけでもないのに、それでもそばにいようとする。そのことにかなりの無理がありそうなのに、同時に第二次性徴を止める治療も受けられなくなり、だから、体は男になっていく。その上、性同一性障害という病気と診断されないと性適合手術も受けられないし、受けるにしても、費用がかなりかかる現実もある。

 多くの先人たちと同じように、多分鬱になるだろう。それによって更に医療費がかさむだろう。貧困と差別によっていっそう健康を害し、不健康と貧困が更なる差別を呼ぶだろう。トランスジェンダーの自殺未遂率はきわめて高い。

(『Blue』より)

 さらには、高校生までは女子の制服を着て学校に通うことも自然に認めてくれた両親も、性適合手術には、らしくない、という言葉も含めて反対をする。高校の演劇部の友人たちも得難い存在でもあるから、その環境を卒業すれば、他に信頼できる人がすぐに現れるわけもない。さらには、年月が経てば、その彼女たちも変わっていく。

 それでも本人の思いは、実現可能性を別にしても、はっきりしているようだが、それは突出するのではなく、周囲に埋没するような、ある意味、控えめな願望のようでもある。

 ただ「男の出来損ない」とか「偽物の女」と見なされるのは絶え難い。目立ったり穿鑿されたり不審者扱いされたりせず、普通に暮らしていくには、やたらに誇りを傷付けられることもなく、自活して生きていくには、結局は「ちゃんとした女性」に見える必要がある。そのためには見た目は重要だった。「男っぽい」見た目に変化していく自分を、眞靑はまるで、怪物の孵化を見守るように、見つめていた。

(『Blue』より)

 わかったようなことは言えないけれど、トランスジェンダーという、おそらくは本人にとっては、粗いカテゴライズをされたとしても、それがプラスに働くとは限らず、こんなに孤立しやすい環境であるとは、恥ずかしながら知らなかった。

 大学の保健センターで、鬱状態にあると告げられた。
 世間ではトランス差別がますます激化していく。トランスジェンダーだとばれたら性犯罪者を見るような目で見られる。特に、性別適合手術を受けていないトランス女性は。女性の格好をして人前に出ることがとても不可能に思えた。
 両親は、性別適合手術やホルモン治療を受けた子供が大人になって後悔する、といったデマ記事のリンクを送ってくるようになった。
 足元に深淵が開けている気がした。
 そんな自分が、他人を救いたいと思ってしまった。恋愛感情でないから恋人にはなれない。同性だから配偶者にはなれない。トランスジェンダーでその上鬱を抱えているから、支え合う友達にはなれない。

(『Blue』より)

 そんな追い込まれている時間の中にいるせいか、高校時代の演劇部の大事な友人だった女性たちに対しても、こうした言葉を、でも、それが乱暴であっても、信頼感があるからこそ、ぶつけてしまったりもする。

「思っているでしょ。女の人はみんな思ってる。トランス男性は自分だけ女性差別を逃れようとしているんだとか、トランス女性は女性差別を経験してないんだから真の女性にはなれないとか。

(『Blue』より)

カテゴライズの暴力性

 カテゴライズして名前がつかないと、普段見えにくい場所にいる人たちのことは、(私のように)多数派にとっては気がつかない。

 本当は、見えているのに見ようとしないだけなのだろうけれど、そうした無神経さには、自分では気がつかない。

 だからこそ、新しい(本当は以前から存在していたのに見ようとしていなかっただけ)カテゴリーを知っただけで、わかったような気になりがちだ。

 だけど、どれだけカテゴライズしたとしても、それが、そこに存在する人たちにとって納得できるとは限らないのは、カテゴライズは、一応のものであって、基本的には粗いものだからだろう。

 そのことに気がつかないまま、カテゴライズするだけで、わかったような気になることが、かなり暴力的なのではないか。

 これすらも、理解が届いていないのでは、という恐れを持ちながらも、そんなことも考えられた。


 現代に生きている人で、これからも様々な人と関わりながら生きていこうとする意欲がある人ほど、読むことをおすすめしたいと思っています。


(こちらは↓、電子書籍版です)。


(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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