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「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」④「どうしようもない不安や恐怖への対応」(後編)。

 この「コロナ禍の中で、どうやって生きていけばいいのか?を改めて考える」のシリーズは、これまで約2ヶ月をかけて、3回にわたって、「コロナはただのカゼと主張する人たち」 「見えにくい政策」 「自粛警察はどこにいるのか」を書いてきました。

 さらに4回目の「どうしようもない不安や恐怖への対応」(前編)では、「 新型コロナウイルス感染の可能性への直接的な不安と恐怖への対応」と、「感染者になってしまった場合の予測もつかない変化への不安。そして、差別と排除の恐怖への対応」を考えてみました。それに続く、「どうしようもない不安や恐怖への対応」(中編)では、「 医療崩壊への不安と恐怖への対応」のことを、感染者拡大のニュースのことも思いながら書きました。

 自分の不安に対応するために考えてきたせいもあり、いろいろと長くなり申し訳ないのですが、今回の「どうしようもない不安や恐怖への対応」(後編)は、「今の生活が続くことでの経済的なダメージ。場合によっては失職の不安と恐怖への対応」「 コロナ禍が、いつまで続くか分からない不安への対応」を考えたいと思います。

「今の生活が続くことでの経済的なダメージ」への対応を考える前提

「今の生活が続くことでの経済的なダメージ」への対応を考える時に、最初の前提として確認したいのは、今、経済を回すためには感染拡大は仕方がない、といった言説がありますが、それは間違っているのではないか、と、さまざまな専門家の言葉として聞くことがあり、そう思うようになりました。


 この放送の中で、社会学者の西田亮介氏は、経済と感染予防は相反しない。感染拡大しないようにしなければ、経済も回らない。とWHOとIMFが言っていると確認している。そして、今回のコロナ禍は、それが長期間に渡っているということを考慮しつつも、過去の災害対策に学ぶべき、という話をしています。

 さらに西田亮介氏は、ツイッターでも同様の発言をしています。


 この番組の「2020.11.16」放送で、ゲストにノンフィクションライター・石戸論氏を迎え、このような話をしていました。(あくまで概略なので、詳細は、微妙に違っている可能性があります)。

 コロナ禍に対しては、不安がふくらむのは当然。これだけ続くと無力感を感じていても自然ではないか。
 感染症災害として扱い、命と経済のどちらかはおかしい。命は大事なのは確認したい。ただ、若年層に比べて高齢者層に重症化リスクが高いとなると、この生活が続くほど、年齢での分断が出てくると思われるので、それをどうするのか。
 テレビなどのインタビューを見ていると、外出へ肯定的な一般の人の意見をよく聞く。だけど、そのインタビューに答えている人たちは、いろいろな事情で、街へ出なくてはいけない人達。だから、いやでも、外出し、不安があったとしても、肯定的に語らざるを得ないのではないか。だから、その思いについては、さらに慎重に考えるべきではないか。

「失職の不安と恐怖」への対応

 私自身は、持病を持つ家族がいるので、やはりかなり感染を恐れていて、外出は最小限にして、経済的なことの優先順位を下げる生活をしています。このままだと1年先はわかりませんが、とりあえず半年先は、携帯も持てないくらい(リンクあり)の貧乏状態は続きそうですが、それでも、なんとか生きてはいけそうなので、この状況でも恵まれているのだと思います。

 そんな人間が、何かを言っても、それほどの説得力がないし失礼だとは思うのですが、コロナ禍の今の状況では、失職することがあっても、それは感染災害による被害だと思います。さらには、「失職への不安と恐怖」が高まっても自然ではないでしょうか。

 とても余計なことだとは思いますが、もし失職するような機会があったとしても、ご本人に落ち度はないのだと思います。もし、可能であれば、自分を責めることは避けたほうがいいのでは、と思います。

「失職への不安と恐怖」があったり、実際に失職してしまった時は、誰にも何も話したくない時期があるかもしれませんが、もし、少しでも話せる気力が出てきた場合は、誰か信頼できる人に話すとずいぶんと気持ちは違ってくると思います。もし、相談するような相手が思いつかない場合、もしくは、知り合いだからこそ話せない時などは、公的な電話相談なども利用してみるのもいいかもしれません。

 いろいろな悩みに対応する「よりそいほっとライン」という電話相談もあります。(ただ、つながりにくいと言われています)。

 誰かに話すことは、思った以上に、自分を救うことになる可能性があると思います。

公的な資金援助の利用

 不正に給付金を受け取る事件などが、各地で報道されました。これだけ、大がかりに発生することは、かなり珍しいことではないでしょうか。

 不正なことをする必要はもちろんありませんが、こうした犯罪が横行するほど、今回はさまざまな資金援助がされている、ということではないか、とも思いました。

 私のような、よく分かっていない人間などに言われたくはないと思いますが、現在、資金面で困窮状態にある場合、申請の煩わしさもありますし、申請が通らない可能性もあるのですが、一度は相談してみてもいいのではないでしょうか。


「コロナ禍が、いつまで続くか分からない不安」

 あいさつの言葉として、「今の状況が落ち着いたら」という枕詞を使うことが多くなったような気がします。

 今の「コロナ禍」が本格化してから、それが2月からとして、もう10ヶ月くらいたっています。だから、そうした言葉が使われるようになってからも、そのくらいの時間が過ぎているはずなのですが、だんだん、コロナ禍の前の状態や気持ちを忘れそうなくらいです。

「早く終息してほしい」という願いと共に、「今の状況が落ち着いたら」と語られているのだと思うのですが、今だに「いつ終息するかどうかが」分からない時間が続き、先が見えるわけでもなく、もしも「終息」したとしても、以前の日常が戻ってくるかどうか分かりません。

 いつまで続くか分からない不安の中で生きていくことは、人間にとっては、もっとも辛いことの一つだと言われています。

「あいまいな喪失」という概念を創出したのが著者のポーリン・ボスと言われています。それは、たとえば家族が行方不明のままで、状況的には、生存は絶望的なのだけど、遺体が発見されたわけでもないので、死亡が確定されたわけでもない、といった状態を「あいまいな喪失」と名づけ、それがどれだけ辛いか。そして、その辛さに対して、どのように対処すればいいか、という内容です。


 いろいろなことを、強引に当てはめるのは、あまり褒められたことではありませんが、現在の、「いつコロナ禍が終わるか分からない不安」というのは、どちらかといえば「あいまいな喪失」に近い状況のように思えます。

 基本的には、今の「いつ終わるか分からない」という状況は、人間の精神にとって、とても辛い、ということは、長引くコロナ禍の状況下では、再確認した方がいいのかもしれません。

 もし、現在、心身の不調、特に精神的な不調があったとしても、それは、今の「いつ終わるか分からないコロナ禍」という「異常な状況の中での正常な反応」かもしれない、と捉えた方が、理解しやすくなる可能性もあります。

「不確かな希望」の危険性

 テレビを見ていたら、コロナのワクチンの話題がずいぶんと多くなっています。

 すぐにでも、全国民に接種可能になりそう、といった印象さえ振りまいているように感じますが、実際は、他の国ではそうなっても、日本では、ワクチン接種開始は2021年の10月以降とか、日常に戻るのは2022年4月よりあとになるのではないか、といった見通しまで語られています。

 そして、もちろんそのワクチンが完成したからといって、新型コロナウイルスは、今も不明な点も少なくないようなので、本当に以前の日常に戻るかどうかも分からないとも言われています。

 こうした「人の希望をつむようなこと」を改めて確認しているのは、「あいまいな喪失」が辛いように、「不確かな希望」の危険性を、思い出してしまうからです。

 この本は、第2次世界大戦中、心理学者のフランクルが、ナチスの強制収容所での経験を記した歴史的にも貴重な書籍で、今のような状況を生き抜くために、(不謹慎かもしれませんが)参考にできる記録でもあると思います。

 一九四四年のクリスマスと一九四五年の新年との間にわれわれは収容所では未だかつてなかった程の大量の死亡者が出ているのである。(中略)この大量死亡の原因は単に囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという、世間で行われる素朴な希望に身を委ねた事実の中に求められるのである。クリスマスが近づいてくるのに収容所の通報は何ら明るい記事を載せないので、一般的な失望や落胆が囚人を打ち負かしたのであり、囚人の抵抗力へのその危険な影響は当時のこの大量死亡の中にも示されているのである。

(この文中で、囚人という表現は、ただユダヤ人であるという理由だけで収容されているので、抵抗感はありますが)。


 こうした「不確かな希望」は、特に困窮状態にいる人にとっては、それが叶えられない場合には、命を奪う可能性もあることを示している例だと思います。

 もちろん、この状況と直接、比べることもできませんが、それでも、今の「いつまで続くか分からないコロナ禍」で、「不確かな希望」が示され、それが叶えられない場合を考えると、やたらと「叶うかどうかわからない希望」を振りまく危険性も考えた方がいいのではないでしょうか。

「いつまで続くか分からない不安」への対応

 とても個人的なことですし、これまでに何度か書いているので、いつも読んでくださる方には、繰り返しになり、申し訳ないのですが、私は、2018年の年末まで、家族介護者として、生活の中心は介護の年月が続いていました。完全に無職で、ただ介護に専念する時間も10年以上ありましたが、介護の期間は、トータルで約19年になりました。

 それだけの時間、介護を続けてくると、介護が終わったあとも、「いつまで続くか分からない時間」の中で「常に注意を向け続ける」という行動と意識が、なかなか抜けず、微妙な緊張感で24時間体制で過ごしていた状況から、「日常的」な感覚に、1年以上をかけて、やっと戻りつつあったのが、2020年の初頭でした。

 そうしたら、コロナ禍で、世界は一変してしまいました。

 「いつまで続くか分からないコロナ禍」の中で暮らしているうちに、せっかく解放されたと思っていた「介護中の感覚」に微妙に戻っていくのを感じていました。


 「介護中の感覚」とは、介護を始めて、何年かたつころ、時間に関する感覚が変わったりすることです。

 それは、いつ終わるか分からない介護なので、終わることを考えず、知らないうちに、いつまで続いてもいいような気持ちの持ち方になっていたようでした。

 イメージとしては、先が見えないのではなくて、この生活がずっと続くのは分かり(しかも悪くなることはあっても、よくはならない)、その無限の膨大さが怖いので、気持ち的には、無理にでも首を下に曲げるように、「いまだけ」に集中し、今日だけしかないような時間感覚になっていたようです。

 その「いまだけ」がいつまで続いても、終わりを考えないようになることで介護生活に適応したのだと思いますが、それは、ある種の副作用として、「未来のことが発想できなくなる」といった感覚に近くなっていました。今の「コロナ禍」の時間が長くなっていくうちに、その頃の感覚に少し戻ってきたように思います。

 今のコロナ禍も「いつまでも続く」という前提で気持ちを整え、その上で、どうしていくか?を考えたほうが、そうした気持ちに変化させる時には大変かもしれませんが、慣れれば、その方が、今の状況が続く場合は、楽かもしれません。

 そのことによって、「不確かな希望」に期待することも少なくなくなるので、何かの希望が叶えられない時にも、ショックが少なくなるような気がします。

 もちろん、これは個人的な感覚に過ぎませんが、「いつまで続くか分からない不安」に対応するには、「いつまでも続く」という前提で、気持ちや行動を変えたほうが、生き残れる可能性も少しでも高まるように考えています。

利他的な行動

 ただ、介護中と、一番違うのは、孤立感です。

 介護をしている時は、妻と一緒に介護をしていたのですが、それでも、社会から隔絶され、まったく違う時間を生きているような孤立感がありました。

 だけど、今は「いつまで続くか分からない」時間の中で生きている感覚があったとして、その感覚を維持するための負担感はあるとしても、自分だけでなく、世界中の人が同じような時間の中で生きていると想像すると、孤立感はすごく少ない状況です。


 そして、街に出て、ほとんどの人がマスクをしているのを見かけると、同調圧力はあるのかもしれませんが、それでも、マスクをするのはどちらかといえば、自分の感染を防ぐというよりは、もしかしたら、自分が感染しているかもしれない、という前提で、他人への感染を減らすという「利他的」な象徴の光景のようにも見えています。

 結果として、医療崩壊を防ぎ、利己的でもある行動かもしれませんが、これだけ大勢の人が、基本的には「利他的な行為」をしている、と思うと、少し希望がふくらむような気持ちもあります。

 そして、こうした言葉↓にも、嘘の少ない希望を持てて、社会を守ることも考えなくてはいけない、といった気持ちにもなります。



 予定よりも、記事の投稿が遅れたせいで、結果として三ヶ月近くかけて、「いつまで続くか分からないコロナ禍の中で、どう生きていったらいいのか?」について、考えて、書いてきました。

 いろいろな点が未熟で、あいまいだったりするので、申し訳ない気持ちもあるのですが、平凡な人間が生活の中で考えたことを、書いてきました。何より自分の不安を減らすためだったように思います。

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 疑問点、不明点、ご意見などございましたら、コメントしていただけると、うれしいですが、何より、ここから考えや行動を広げていっていただければ、さらに嬉しく思います。




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