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亡くなった知人との思い出


私には重すぎる思い出がいくつもあって、その中でも最近は、知人の死についてよく思い出し、考えていた。
“メメント・モリ”、”Live Fast, Die Young”など、海外には死生観についての有名なフレーズが存在するが、日本にある有名な死生観を現すフレーズというのは私には思い当たらない。良ければ知っている方、コメントで教えて欲しい。
死に方は、その人を現す。どう生きたいか?はどう死にたいか?にも繋がる。

そこでとある人の死について今回は語っていこうかなと思う。(もう1人の知人の死についても書こうと思ったが、書けない内容が多すぎてやめました。)


☆精神科病棟にいたYさん(女性)

Yさんと精神病棟で出会った時の私は、確か心の荒んだあまり髪色を紫に染めていて、パニック障害もあり慢性的に息が苦しく、言いたいことを素直に言えないような状態だった。というか総じて昔は、言いたいことはひとつも言えなかった。
そして寂しさが募った夜に、個部屋にいた私は、Yさんのいる大部屋にお忍びで入り、Yさんがこっそり病棟内に持ち込んでいたMDプレイヤーで浜崎あゆみの曲を聞かせてもらっていた。そしてよく看護師に見つかって追い出されていた。Yさんにとっては迷惑だったと思う。

Yさんは浜崎あゆみ世代の、私より一回り年上の女性で、大人しく、ポツポツと僅かに語るような人だった。
Yさんはとにかく雰囲気に棘がなかったので、人に滅多に甘えられなかった私も甘えてしまっていた。今思うと怒ったりするような元気もないくらい憔悴した状態だったのでは、と思う。

格好は少し肉付きのいい体に身体のラインが出るような服を着ていて、いつもブラ紐が透けていて、アイラインのアートメイクをしていた。男の目を意識しているのは明白だった。私はその自分を軽んじていそうな雰囲気に、なんとなく闇を感じていた。

Yさんは病棟内で患者同士でゲームをする時、「私はバカだからなんのゲームも出来へんねん、ごめんね」と語っていた。私は仮に軽度知的障害だったとしてもそんな事あるだろうか?と疑問に思ったが突っ込んでは聞かなかった。Yさんはそういう時寂しそうにしていた。いや思い出す限りでは、いつも寂しそうな雰囲気を漂わせていた。

その後、ある時Yさんは病棟内の男性と院内恋愛を始めたのだと報告してきた。
「私、〇〇君(Yさんの彼氏)と会う為に抗不安剤飲んでんねん、おかしいやろ」と元気なく笑って話していた。

今なら、「それはおかしくないですよ。抗不安剤で安定して楽しい時間が過ごせるなら、それでいいんですよ」などと言えるのかもしれないが、私は当時気の利いた事がひとつも言えなかった。(最近も言えてるか怪しいが)

そして両者の退院後、まず、Yさんが彼氏と別れたと人づてに連絡が入った。私はへぇ、ぐらいであまり気にしていなかった。
その後、私のLINEに、ついに、Yさんが練炭自殺で亡くなったという連絡が入ったのだ。
そしてYさんの遺族である姉から、遺影の写真と、生前交流のあった人に自分の死を伝えるように言われたとの文面が送られてきた。詳しい内容は覚えていないが。
Yさんの姉の文面からは、怒りのようなものが感じられて怖かったのを覚えている。理由は分からない。とにかく不条理な感じを受けた。正直、気持ち悪かった。

仲良くしていたと言っても病棟内でだけの話だし、追い詰めるような言動は何一つ取っていなかった。それでも、何度も話していた人が亡くなったのは初めての事だった。
Yさんの姉からのLINEで、自分が責められてるかのような感覚を感じた。
死ぬほどの不安定さを抱えていたYさんに少しの間でも甘えていた私を責められているかのような。
そして、命が簡単に無くなる事を知った。

私にはどうにも出来なかったとは言え、LINEからは、自分の死によって人の記憶に残ろうとするYさんのジメッとした暗い意志が感じられた。それは自分を軽んじてきた(そのように感じた)彼女なりの精一杯の自分の重みの表現方法だったのかもしれない。

少し書いていて気持ちが整理されたような気がしたので、また記憶の中にある事について書くかもしれない。

※死者を冒涜するような目的では決して書いておりません。

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