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呟きのようなことを書きたくて...

先日、元夫Dとハグをした。
それはこの4年間で終ぞなかった長さのハグになった。

最近9年ぶりにドイツ語のインテンシブコースに通っていて、疲れてお昼寝(夕寝)をしてたら家の用事で彼が来ていた。

頭がしっかり起きているいつもの自分だったら、私の意識はそんな風にすることを許さなかったはずだ。起き抜けで意識が鮮明でなかったから、ボーっとした頭は理性のネジが少し緩んでいて、ときにはそのくらいが良いみたいになる瞬間もあるのかもしれない。

突然のことで驚いた様だったが嬉しさが伝わって来た。肩ごしに、夫婦だった時の時間がフッと運ばれて来た。

いろーんな事があった。

なんでハグしちゃったのかな...?
夜、寝床に入るまで不思議だった。

そしたら「もういいかなぁ...」って声が聴こえてきた様な気がした。

9年前に同じ語学学校に通っていたとき、それは次男が生まれた翌年で、ウツが5年ぶりに治ってすごく前向きに頑張っていた。ドイツという国に住み始めて、まだまだ分からない事が多いなか手探りで進んでいた頃。
でも夫の不倫はその頃から密かに始まっていたんだって、ずいぶん後になって気がついた。

同じ場所に今また通い始めて、もちろん先生も違うし、多くの生徒は人生のレースをスタートさせたばかりのヤングな若者がほとんど。
自分はといえば、この国に来て15年という時間が経っていて、あの頃と全く違う景色に立っている。そのことに驚く気持ちもあるけど、どのくらい自覚するかは別にしてもそれが私がここで過ごした時間の長さだ。

辿った道を振り返って、よく歩いて来たなぁって思う。とても長い道で、先が見えなくって、予想外の景色ばかりだった。

道は私を思いもよらない場所に連れてきてくれた。
そしてここまで歩けてよかったな...って思う。

そうやって歩いた道すがらに溜まった出来事を、日々の時間の流れの中にそっと流していけたら、と思うようになった。

語学学校のすぐそばにある
カスターニア(マロニエ)の並木道

我々現代人は、毎日起きている間の70〜80%の時間を過去か未来について考えてるのだそうだ。

つまりほとんど現在 “今” に存在していない。

せっかく生きているのに “今” を感じずに生きるのはなんという頼りない、落ち着かないものだろうか。
かつて掌からサラサラと大切な時がこぼれて落ちていく感覚が離れなかった時があった。
あの焦燥感が忘れられなくって、思い出すと胸が切なく痛くなる。私はどのくらい大切な時間を掴み損なったのだろう。


“今” を感じるのは怖かったり、不安だったりもするけど、足を下ろして、しっかりと掴んで、そしてまた掴んだものを放していく。

手放していくこと、今を生きること。


それは何か大きなゆるしに繋がる気がしています。

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