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ダウン症のある子は戦わずして普通級に入れないのか


息子が小学校に上がる際、私たちが住んでいた地域ではダウン症=支援校という図式ができあがっており、通っていた幼稚園の園長先生もはっきりと異論を受け付けない態勢を打ち出していた。

もちろん、支援校という選択が悪いわけではない。手厚いしどこより経験則があるのは大きい。けれど、本来ならば「支援校」に加えてダウン症のある子だって「普通級」や「支援級」といっった選択肢があるのに、私たちが住む地域では実質選択肢として加味されていなかった。

幼稚園で3年間仲良く過ごしたお友達はあたりまえのように普通級に行くのに、そこで分けられてしまう。それがフツウだった。

長男が生後2ヶ月からお世話になっている専門医の先生は、障害のある子もない子も同じ教室で学ぶインクルーシブ教育を推奨されている方で、我が子も早くから普通級を勧められてた。

ダウン症のある子はお友達の真似が得意。真似することで大きく成長すると言われている。だから真似するロールモデルがたくさんいる普通級にいくべきだというわけである。

親として、子がより成長できる環境を願うのは当然。我が家も早い段階で普通級を希望していた。

しかし、悲しいことに、ダウン症のある我が子を普通級にと希望すると、

「我が子の障害を認めたくない親のエゴ」

とか

「こどもの能力に見合わない場所に入れられてこどもがかわいそう」

とか言われることがある。

少し前に、都議会議員の龍円愛梨さんのある記事を読んだ。

普通級に進学されたダウン症のあるお子さんが安全の確保が難しいという理由で短時間の登校を余儀なくされているという。

みんなと一緒に通常日程をこなしたければ、親が付き添ってくださいという話らしい。

私はなんてひどい話だ‼️と腹が立った。学校が子どもの学ぶ権利を奪うなんて、と。

学校で学ぶ権利はすべての子どもに当然あるはず。それは大人がなんとしても確保してあげなくてはならないはず。

加配の先生を雇ってくれよ、ボランティアの募集を盛大にかけてくれよ、と思った。近ければ私が行きたいよ、とも思った。

しかし、コメント欄には親のエゴで子どもの学ぶ機会を奪うなんて子どもがかわいそう、という論調のコメントがズラリと並んでいてびっくりした。

学ぶ機会を奪っているのは、親の付き添いを要求している学校ではなく、普通級を選択した親だという論調だ。

ダウン症のある子どもが普通級で学ぶことの大切さは一般にはあまり知られていないのか、学校に負担を強いるのは間違いという考えなのか、私にはよくわからない。

けれど、やはりこれが世間一般の反応なのかと落ち込んだ。

豆腐メンタルな私は、ダウン症のある長男の進学の際、

幼稚園の園長先生や地域の小学校の先生、教育委員会等々のこの手の考え方を前に、普通級に入れてもらえるよう粘り強く交渉することができなかった。

専門医の先生には、

「普通級に入れるために戦わないのは、子どものためにがんばることを放棄したダメな親だ」

と言われたけれど、

普通級希望のむねとその理由、専門医による助言の話を一貫して伝えていたにもかかわらず、園長先生側も一貫して支援校推しの姿勢が崩れず、私は途中で対話をあきらめてしまった。

ダメな親で申し訳ないと涙が出たが、あたたかい眼で息子を見てくれている同じ幼稚園のママ達にさえ、普通級を希望していることは反応が怖くて言えない私である。教育委員会や園長先生と戦い、全然ウェルカムじゃない現場の先生とやりとりする毎日なぞ生きて戻れるわけがなかった。

でも、息子の将来がかかっている大切な選択。あきらめることもできないわけです。そうして、戦わずして普通級に行く道を模索することに。。

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