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走る人

私がヒトとして、母として、まともに機能するためには、最終的には走るしかないと思っていた。これは比喩ではなくて、そのまま、ランニング、ということ。

私は小学生の時、運動系は平均以下で、体育の授業が本当に嫌だった。遊びに関しても、外を駆け回る喜びもドッチボールの楽しさもわからない。休み時間に外へ遊びに行けと言われるのが苦痛で仕方なかった。

ところが、中学生になると「長距離走」が体育に加わり、それに関してだけは唯一私がまともにできる種目だとわかった。プロならともかく、体育のレベルなら技術もいらない、スピード勝負でもない。ただ辛抱強く最後まで走りきれば良いので、これだけは運動部の友人とも対等に勝負できる種目で、私が自尊心を保つのに一役買ってくれたと思う。

高校生、大学生になっても、私は何か壁にぶつかると、きまぐれに近所を走り、目の前の困難な状況を乗り越えてきた。何年にも渡る習慣にはならなかったが、走ると何かが解決するような気がしていた。

社会人になり、私はぱったりと走らなくなった。困難はあったけれど、走る元気は残っていなかった。

そもそも人間というものは、「運動しない」という状態が異常であるらしい。私は社会人になって、その異常なまま仕事をしたり、そして結婚して子を産み、異常なまま子育てをしていたということになる。

「いつかまた、走らなければ」

そういう気持ちのまま20年が過ぎた。運動と仕事、運動と子育て、とにかくいろいろ両立できるほど器用でもなく、体力もなく、いつかいつかと先延ばしになっていた。その三つを両立する人も居るくらいなのに、我ながらキャパが小さい。

そうはいっても、子育て中はヨガをやってみたこともある。筋トレしようとしたこともある。でもピンとこない。私にとって、運動とは走ること。それ以外はレジャーか美容のカテゴリーに入っているらしかった。まともに取り組んだこともないのに、とても失礼なことであるけれども。

いつかまた、走りたい。走る生活をすること。それがいつの間にか、避けては通れない課題に設定された。

いろいろ悩みもあるだろうが、とにかく、走ってから。話はそれからだ。

その日は、休日に突然訪れた。

とある要件があって対応窓口に電話したところ、不運にもとても機嫌の悪い人にあたってしまい、つっけんどんな対応。なんとか要件を伝えたところ、電話を突然ガチャンと切られた。何かのミスかと思ってかけ直したら、「まだ何か?」と言われ、ああ、わざとだったんだ、と理解して電話を切った。

なんとも言いようがない。どこにもぶつけようがない。運が悪かったな、ただそれだけの話。

キッチンに行き、夕飯の準備をする。

ごはんを炊く。野菜のスープを作る。メインのおかずにお刺身を買ってきたから、これは切るだけ。ちょっと量が少なかったので、頂き物のさつま揚げも焼く。

子どもたちが夫とお風呂に入っている。早めに出来上がった簡単な夕飯。手持ち無沙汰な時間。

あー…。少し、走ってこようかなあ…。

私は、長らく運動から遠ざかっていたので、「ストレス解消に運動する」という状態がよくわからなくなっていた。でも、今の私はまさにその域に居る。さっきのよく分からない電話のことを忘れるために走ろうとしている。

お洒落なランニングウェアなど持っていない。適当に走れそうな服を見繕い、量販店で買ったランニング用でもないスニーカーを履いて、人目隠しにキャップを被り、外へ出た。

まだ明るい、初夏特有の夕暮れ。生活に制限のかかる現在、唯一公に許されているような運動は、屋外で、独りの、走ること。近くのランニングスポットに向かうと、大勢のランナーが居た。

私のように部屋着と変わらないような人。明らかにテニスの人。明らかにサッカーの人。かなり走り込んでいる熟練のランナー。でも、とにかく今はみんな走っている。

20年ぶりの私の体は初心者と変わらない。変わらないどころか、昔にやってしまった古傷もある。歩くのとそう変わらないスピードで黙々と走る。一つだけ私にあるとすれば、それは「走った経験」だけだ。走るとはどういうことか、知っている。 

呼吸を乱さないように走る。久しぶりの体を一通り点検する。心肺機能は問題ない。筋力がないから足があがらない。頭がすうっと落ち着いてきた。こんなにゆっくりなら、いつまでも走れそうだけど、初日だから早めにやめなければ後が怖いな、などと思う。

たくさんの人に追い抜かれながら、とにかく同じペースで走る。ひとつ気にかかったのは、古傷が思ったよりも痛むこと。今日はお試しにと思っていたけれど、もう私の体は思い切り走れなくなっているのかもしれない。いつか必ず走ると思っていたのに、ケガが原因で走れないとすれば、それはかなりショックなことだ。

ケガをかばうための筋トレなら、やってもいいかもしれないな。そんなことを思いながら、一時間ばかりで切り上げて帰宅する。家ではもう夕飯が始まっていた。

あんなに、いつかいつかと思っていたのに、特に大きな感動もなく、発見もなく、とても自然に帰宅した。また走りたいけれど、続くかどうかもわからない。でも、とにかく、さっきの応対の悪い電話の事は気にならなくなっていた。

1日走って何かが変わるわけではない。でも、ずっとずっと心に引っかかっていたことに踏み出せた事は、大きな一歩だった。

やっぱり、私は走るのが好きだ。これは私の緊急避難路になる。生活の基盤にもなる。古傷のメンテがどうなるかわからないけれど、また2日目の「走ろうかな」が来るといいな、と思った。

そして何より、疲弊しきった私を心配してくれている家族や友人に「走ったよ」と報告できることが、とても嬉しかった。私の過去を知っているみんなが、また私が走った、というのが、どういう意味なのかが、何も言わずとも分かると思うので。

私という人間と、走ることが、どんなふうに繋がっているか、皆知ってくれていると思うので。





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