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阿波踊りがしたかった

3番目の子、ミコは、最近吃音が悪化して、話すときに苦しそうな様子になってしまった。相談先の言語の先生から「家庭環境に問題あり」的な認定を受けつつある母として思い浮かんだキーワードは「阿波踊り」だった。

風が吹けば桶屋が儲かる、的に話がとんでいるが、まず、阿波踊りの話をしたい。阿波踊りについて何の知識もない、ただの一ファンとしての阿波踊りの魅力。

昔から、お祭りと名のつくものが好きで、中でも阿波踊りが特に好きだった。本場に見に行ったことはないが、近郊で阿波踊りがあると聞けば、毎年のように見物に行った。

見物といっても、ただ突っ立っているだけではなく、友達と盛り上がって手拍子したりうちわを振ったり掛け声をかけたりして、踊り子さんと言うのだろうか、その人たちに「こっち見て!」とばかりにアピールする。すると、タイミングが合えば私たちの集団の前で、男踊りの人がソロを踊ってくれたり、女踊りの人がチラッとこちらを見て微笑んでくれたりする。その時が一番こちらのテンションがアガる。

阿波踊りのいいところは、どのポジションも全員カッコイイ、というところだと思う。

鳴り物はまずその技術が素晴らしい。そして、サビのような部分では、エネルギーを絞り切るように全身を反らせたりかがんだりして演奏する人もいる。その反対で、高齢の人などが、淡々とリズムを取り続ける姿もカッコイイ。

阿波踊りは男踊りと女踊りに別れているが、女性が男踊りを踊ることも多いし、多分、男性が女踊りを踊っても何も問題ないだろう。

男踊りは、中腰の姿勢を保ちながら、横っ飛びに飛ぶような激しい振り付けだと、会場はものすごくもりあがる。また、振り付けよりも表情に重きを置いている人もいて、顔芸をずっとやり続けるのだから、これもまたすごい。

女踊りは、一糸乱れぬ動きと華やかさが魅力。揃えた掛け声は、阿波踊りのメインテーマとして家に帰ってからも頭の中で響く、一番印象深いメロディーだと思う。

年齢も性別も関係ない、美醜も関係ない。全員が主役なのが阿波踊り、というのが私の持論だ。

そうやって見物客として参加しているうちに、私も踊る側になってみたい、という気持ちが高まってきた。そのとき、1番上のいっちゃんがまだ幼い時で、この幼い子を連れて、もしくは誰かに預けて「阿波踊りがしたい」と言うのは、はばかられた。

もし、何か失敗があったら、例えばこどもがケガをしたり、火の不始末で火事になったりしたら、「阿波踊りなんかしてるからだろ!」と誰かに叱られそうな。イメージとしてはちびまる子ちゃんで、阿波踊りをしていて叱られるというのは、情けなさの頂点な気がした。

私を叱るのは誰だろうか。具体的に誰に叱られる、というものはなかったが、あえて言えば、世間様に叱られる、と思ったのかもしれない。

初めての子育てで不安も多く、結局、私がどこかの連に参加することはなかった。そのうち2人目、3人目とこどもが増えて、2人目の障害もわかって検査入院を繰り返す日々となり、阿波踊りの見物に行くことすらなくなった。だから、私の中で阿波踊りはもう、長年、意識の奥の奥にしまい込まれたままだった。

それがなぜ、ミコの吃音でまた思い出されたのか。前回の記事にも書いたが、ミコの吃音を改善するためには、まず私自身が人生を楽しむ必要があるような気がしたからだ。

そうそう、例えば阿波踊りとか。もうこどもも大きくなってきたから、一緒に参加できるかもしれない。うちの子が、したいかどうかはわからないけど。

ネットで検索すると、近所に阿波踊りの連があった。この社会情勢なので、お祭り自体がいつになるかわからない、いろいろ落ち着いたら、この連に今度こそ参加してみようかな。

「いろいろ落ち着いたら」がいつになるのかわからないので、家でできることを、と思って、とりあえず瞑想とかマインドフルネスの本を読み返してみたりした。でもちょっとよくわからない。

次に、ニンタが放課後デイサービスでやっているという「ハンドクラップ」というYouTubeをこどもたちと一緒にやってみた。エアロビクスみたいなものだが、これはこどもたちもとても喜んで、汗だくになるまでやり続けて、私も気分がよかった。

こどもの吃音が悪化→母が瞑想、エアロビ、阿波踊り。となると、言語の先生が血相を変えて飛んできて、「おかあさん、気を確かにしてください!」と止められる気がする。先生はそんなこと何も言っていない。ちょっとこどもとゆっくり遊んであげて、と言っただけだ。

指導を受けに行きながら、勝手に自己流で問題を突破しようとしている。生徒としては一番タチが悪い。

吃音の一件でこれも思い出したのだが、ミコは1ヶ月検診の時に体重が全く増えておらず、私は奈落に突き落とされる思いだった。3人目にしてそんなことは初めてだったので、この1ヶ月間、必死に授乳してきたのは何だったのか、どうしてこんなことに…と、ものすごく落ち込んだ。

それからは、こまめに親子教室などに足を運び、体重をチェックするようにした。ミルクも併用した。あのときは、胃が絞られるような思いだった。

しかし、ミコは全くの健康体で、体重もゆっくり増えていき、そのうちミルクを使わずとも体重が増えるようになったので完母に戻して、全ての不安が、なかったことのように消えて行った。

過ぎ去ってしまえば、何のことはない。…ということが、子育てには時々起こる。しかし、過ぎ去らない、本当に一生引きずるような大事という場合もあるので、「気にしない、個人差あるし」とばかりは言えず、最悪の事態を想定して動くことになり、ものすごく心を削れられるのだ。

吃音だって、気にしないで放っておけば治るかもしれない。でも、治らないかもしれない。だから、最善は尽くすけれども、吃音というものは、本人に関して言えば、気にすれば気にするほど悪化する。であれば、私がまず気にしない、揺らがない精神を持つことから始めたらいいんじゃないかな、と思ったのだ。

そのための、阿波踊り。別に神頼みで祈祷しているわけでない。阿波踊りの良さはトランスの良さだと私は思っていて、小さな事でもすぐ傾いてしまう私の頭をガシャガシャっとシェイクして、はい!なんもなし!という暗示をかけようとしているのだ。

というわけで、阿波踊りができるような環境になるまで、家で踊ったり跳ねたりして、トランス状態になることを試みている。いっちゃんとニンタはまだ「ハンドクラップ」楽しんでいるが、残念ながらミコは最初だけ楽しんで、もう飽きてしまった。まあ良い、これは私が楽しむのが1番の目的だから。

ミコのケアについては、次回の面談で、たっぷりこってり先生から課題が出るだろうから、その時まであんまり考えずにいよう。

昨日、眠りにつく時に、ミコが私に抱きつきながら言った。「ミコ、いますごく、…ハッピー」。ハッピーなんて言葉をどこで覚えたのか。最近好きな映画「トロールズ」の影響かな。そういえば、トロールは、「歌うこと、踊ること、時々のハグ」があれば、ハッピーに暮らせると言っていた。幸せの三要素のうち、我が家に「踊ること」が欠けていたけれど、エアロビという形で獲得しつつある。その先には阿波踊りという本丸も待ち構えている。

大丈夫。ミコは絶対に、ハッピーに暮らせる。

意味がよくわからないとは思うけど、おかあさんはそのためにも踊ります。錯乱しているわけではありません。

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