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吃音と生きていく (療育から通級指導へ)

吃音がある三番目の子、ミコの記録。

三歳からお世話になっていた療育センターの言語指導は、就学と同時に卒業しなければならないのがこの地域の決まり事である。

なぜなら、療育はとても混んでいるので。人口が多い都市部の多くはそうであるらしいし、また逆に、体力がない小さな自治体でも起きることらしい。

私もミコも、言語指導の先生をとても頼りにしていたので、この強制卒業はつらい。けれども決まり事であるので、前々から覚悟はしており、しかしそれでも、「卒業前に一度おかあさんだけで来てください」と言われた時には、私がこれから責任者として引き継ぎを受けるのだと、改めて不安を感じた。

言語指導の先生から、日常生活での注意点や今後の見通しなどを聞いたが、一番印象に残っているのは『友達からのからかいがあったらどうするか』という点である。

保育園では長い付き合いなので、周りもミコの話し方に慣れてしまって、からかいはない。

けれども、公園などでたまに会う年上の子などは、疑問に思ってオウム返しにミコの話し方を真似したり、「え、ちょっと一回落ち着こう?」などと笑ったりする。

そういう場面に出くわすと、私は咄嗟に対応が出来ず、しかも遊びの途中、すれ違いざまだったりするので、親の瞬発力が問われるものだなあと感じている。

言語指導の先生による対応は、衝撃的かつ高難易度のものだった。

「小学校になったら、担任の先生とも共有して欲しいのですが、からかいやオウム返しがあった場合、その子を叱るのではなくて、逆に褒めると良いと思っています。

『ミコちゃんのお話をしっかり聞いてくれていたんだね、ミコちゃんの話し方に気付いてくれてありがとう』って。その上で、興味を持ってくれたら吃音について詳しく説明する機会もあるかもしれません。

いきなり叱られると、その子がからかいをやめるにしても続けるにしても、吃音という現象に心を閉ざしてしまうので、まずは褒めてこちら側に入ってもらう。そういう方法が良いと思います」。

吃音は悪ではない、どうしても治さなければならないものでもない、というのは、私と先生の共通認識で、だからこその対応なのだが、難しい。難しすぎる。

練習を重ねて、なんとか私は出来たとしても、それを担任の先生や他の人に実践してもらう説得力が、私にあるだろうか。

世の中はまだ吃音を受け入れていない。吃音に苦しむ当事者も多い。先生の対応に賛成はするが、今の状況下で『吃音のからかいを褒める』という高難易度なやり方を、私が伝道できる気がしない。

が、やるしかない。私しか居ないのだから。

療育の先生とは三月でお別れとなるが、困った時の電話相談ならいつでも、との事だったので、壁に当たったら頼りにさせてもらおう、と名残惜しく思いながら、先生に御礼を言って別れた。

療育センターの自動ドアを出ると、桜の木が、せっかちに蕾を膨らませていた。この桜が咲くのは見られない、もうここに来ることもないのかもしれない。

寄る辺を失っては次の岸へと漕ぎ出す。ハンデのある子を育てるという事は、その繰り返しである。

もう一つ、気になるのは就学後の言語指導が早くても九月からだという点だった。

吃音の場合、小学校での授業を2コマ程抜けて、他の小学校に設けられた通級指導教室に通う。

小学校一年生はまだ学校に慣れる段階だから、しばらくは授業を抜けずに過ごしましょう、という点が一つ。

もう一つは、通級指導への申し込み、審査、などの手続きがあって、それに一定の時間がとられることだった。

理屈はわかるが、小学校入学という環境の激変は吃音に大きく影響すると思われ、その時期にまるまる半年間、何の指導も受けられないのはどうなのだろう…。せめてその半年は療育に残れないものなのか…。

天に向かって「切れ目のない支援とはー!?」と叫びたくなる心持ちであったけれど、これがこの自治体の提供する今の限界なのだと、受け入れるしかない。

就学前から「通級指導を希望しています」と申し入れ、入学後は、担任の先生との面談で「通級指導はいつからでしょうか」とせっつき、ようやく学校が動き出してくれたのが六月だった。

担任の先生にも『からかいがあったら、相手を褒めながら、吃音について伝えると良い。周りの大人は、吃音はかわいそうだとか、治さなければならない、と思わないで欲しい』という心構えをお伝えしたが、理解してもらえた手応えはなく、若くて美しい先生は、ニコニコと微笑まれるだけだったので、不安が残った。

通級指導教室に通うには審査を通らねばならない。審査も何も、吃音が明らかで保護者も通級指導を希望しているのに何をするのかとも思うが、これも決まりなので仕方がない。

外部職員が授業の様子を見に来るが、私が特にやることはなく、提出資料としてミコは音読をして動画をとらせてもらう、との説明だった。

特にやることはないけれど、日程が決まったらお伝えしますね、とのことで、私はその連絡を待っていた。ところが、その日程が伝えられたのは音読の動画を撮影し終わった放課後で、私は音読の事をミコにまだ伝えていなかった。

ミコは仏頂面で帰宅し、半泣きで「なんか、ミコだけ呼ばれて、音読しろって言われて、動画撮られた…」。と言う。

その後すぐに「今日、動画を撮りました」と学校から電話があり、「ミコは自分が吃音で、話し方の勉強をしている、とわかっていますので、きちんと事前に本人に説明して頂きたかったです」。と注文を入れた。

その後の対応も疑問が残る。

外部職員が様子を見に来た日も、学校から電話報告があり「吃音の様子が確認出来ましたので、通級に繋げたいと思います。あいうえおの時が多く、特にい、の音で出やすいようですね」と言われた。

ミコの吃音の出やすい音は、私も把握していた。でも、本人がその単語を避けるようになる恐れがあったので、本人には伝えていなかった。

ところが帰宅一番、ミコがこう言うのだ。「ミコさあ、い、の音が出にくいんだよねえー」。

…言ったな。ミコ本人に言ったな。

動画を撮る時に、ミコ本人に何故それが必要かと説明して欲しかった、と言ったが、なんでも本人に言っていい、という解釈をされてしまったのか。

これまでの療育での三年間、どのタイミングでミコに吃音について直接話す機会を作るか、どこまで話すか、療育の先生は慎重にミコの吃音の程度と知的な成長を見極めていた。

ところが、学校の対応は雑過ぎやしないか。専門知識がないのは仕方ないが、説明ゼロだったり、逆に本人に言わなくて良いことまで言ったり、わからなかったら保護者に聞くとか、それこそ通級指導教室からアドバイスをもらったりしないものなのか。

保育園の場合、どう対応したら良いか、親に詳細な聞き取りがあったものだけれど。

…。まあ、もう言ってしまったものは仕方ないけれど、今後も次々と問題が起こりそうな雰囲気を感じ、とにかく早く通級が始まってくれと思うしかなかった。

無理解はどこにでもある。その時に、頼りになる知識や場所があれば、乗り越える事が出来るかもしれない。

梅雨明けを待たずに真夏のような暑さがやってきた。学校でプールの授業が繰り返される頃、ミコの審査なるものが通り、いよいよ通級指導教室で面談という運びになった。もちろん授業を抜けていく。

授業の切れ目に教室へ迎えに行くと、「ミコちゃんどこ行くのー?おかあさんなんで来たのー?」とニコニコ子供達が寄ってくる。

「用事が済んだら戻ってくるからねー」と、曖昧な返事をしつつ、こういう場合の返答も用意しなければならないのだな、と、準備不足に頭があせる。

学校は頼りにならない。私もこのありさまである。誰か、私達をお導きください…。

そういう思いで、私達親子は通級指導教室が設置されている他学区の小学校へ車で向かった。

その小学校は大きく、駐車場があるのがありがたい。車を降りて、大きな校門をギギギと手動で開けると、連日の暑さに慣れたとは言え、すぐに汗が吹き出した。駐車場に車を停め、また大きな門を閉めに走る。

通級指導教室は別棟になっていて、ひっそりとしていた。広い校庭を挟んで、少し距離のある本校舎では、通常通り授業が行われている賑やかな様子が見える。

ミコは「あー緊張する!」とソワソワした様子だ。「今日はお話するだけだからね、大丈夫だよ」。知らない小学校へ乗り込む体験は、小さな子にしたらいかほどだろう。

『通級指導教室』。古い看板が掲げられていて、建物もだいぶ年数が経っている。小さな玄関は、古い学生寮を思わせるような簡素な造りだった。

生徒の姿は見られない。玄関を入るとすぐ、小さな職員室というのか事務所というのか、そこに10人弱の事務机が並べられており、「すみません、面談で参りました」と声をかけると二人の先生がすぐに立ち上がった。

ミコと私はそれぞれ別の部屋へ案内された。後で様子を聞くと、ミコと担当の先生はゲームをしたりお話をしたり、ミコにとっては遊んで過ごしただけで、楽しい時間だったらしい。

私は私で、ミコの生育歴やこれまでの経緯を駆け足で説明する時間だった。

その時に、学校での対応に不満があると話すと「い、の音が出づらいって、本人に言ったんですか?」と驚かれたので、私の感じた不安は間違っていなかったのだ、と頼もしく感じた。

「学校での対応についての指導は、私達の仕事でもあるのですが、正直行き渡らないところもあって、申し訳なく思っています。

吃音があってもいいんだ、という世の中になるにはまだ時間がかかるかもしれません。でも、こちらに通うことで、ミコちゃんが吃音を持ちながら学校生活を送る、手助けになればと思います」。

ここは大丈夫。私は久しぶりに安堵した。

ニンタの場合もそうだが、ハンデがあるという状況をすぐに飲み込んでくれる人と、戸惑ったり的外れな事を言い出す人がいる。それは性格の良し悪しではなく、単純に経験値の問題で、それはもう最初に会った時にわかる。

専門機関ならば安心、などと言うこともなく、こればかりはアタリハズレがあり、ここは大丈夫だと確信した。

話が終わり、ミコの通された部屋へ迎えに行くと、楽しそうに先生とジャンケンで陣地取りをして遊んでいた。

「言葉の教室に行くよ」と伝えていたので、いつもよりゆっくりと話していたらしい。要はネコを被っていたのだが、通ううちにすぐにバレるだろう。

ともあれ、ミコが楽しそうなのが良かった。帰りの車中では、いかにジャンケンで勝つかというミコなりの法則を熱弁していた。

良かった。私達親子は新たな岸へ辿り着いた。これからの学校生活、平穏無事とはいかないだろうが、ミコが自分を守る術を手に入れていくしか方法はないのだ。


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