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フード・インク 感想 資本主義と持続可能性と人間心理の矛盾について考える

フード・インクという映画を見ました。
私はドキュメンタリー映画初めて見たんですけど…こんなに面白いんだーと思いました!

内容

一言で言えば、アメリカの食と資本主義(大企業)の関係暴露映画

除草剤に強いコーンを遺伝子開発する→除草剤を売る→大量生産する→コーンを家畜の飼料にする→本来草食の家畜は、コーンを食べるせいで胃の中にO157菌が発生→子供の死亡事故発生→消毒のために塩素(化学物質)使用の悪循環ループ

遺伝子操作されたコーンや大豆などは大企業が特許を取得しており、農家は収穫した種子を植えることができず、毎年企業から種を買う必要がある。
牛や鳥なども契約農家は新しい機械の導入を求められ断ったら契約の更新はない。

つまり、大企業が儲かるシステムが構築されており、着手され続ける農家という構図。
それだけならまだしも、この資本第一主義の農業システムのせいで食の安全が脅かされている

本来は牧草を食べ、糞が牧草の肥料となり、雑菌の発生しない持続可能な農耕が可能であるはずだが、大量生産するための徹底的自動化システムのせいで化学物質を添加しまくる悪循環に陥ってしまっている…。

感想

正直薄々気づいてはいたものの、ここまでひどいんだーと思いました。
安いお菓子やファストフードに対して高い生肉や野菜。
利益構造が絶対におかしい!と普通なら気づく。
そりゃ大量生産して薄利の農家と儲けまくる大企業…ならば激安ファストフードは頷けますよね。

日本はここまではひどくないと思いますが、アメリカ産の安い牛肉を輸入しているのは事実。まだ日本は世界でも高いレベルで食の安全を保証できていると思うので、こうなることを阻止すべきだと思います。TPPにもっと国民は意識を向けるべきですよね。一体国民の何割が理解しているのやら。
年金や医療制度を批判する前に、自身の健康を見直すという意味でこういう問題に真剣に取り組むべきではないでしょうかね。

人間がガンになるは、たとえ植物だろうが、遺伝子をいじるという神の領域に踏み出してしまった罪に対する罰のような気がしてきました。
癌ってのは免疫系の異常、もっと深掘りすると遺伝子の異常ですからね。
遺伝子を改変した食べ物を食べていたら、異常になってしまうのも頷ける気がします。

資本主義の行く末を見ているような気がしました。食品業界に限らず、資本主義を突き詰めていくことが人間の幸福かどうかは微妙ですよね。

この映画にもありましたが本来の「持続可能」とは「自然に任せる」ことだと思います。添加物を加えない。草食の牛には草を与え、化学肥料ではなく糞尿を土に返す。

さて、私たちの資本主義社会がやっている紙ストロー化が果たして「持続可能」に繋がっているか?と言われると疑問でしかありません。
紙ストローを作るのにもプラスティックストローを作るのにも同じように利益が発生している。紙ストローの加工に水や化学燃料が一切使用されないと言えるのか?例えば紙ストローを作る工場の電気はたどっていけば火力発電や原子力発電で作られた電気なのではないか?生産効率が紙ストローがプラスティックストローに比べて悪かった場合、はて、環境へのやさしさは素材そのものだけで語れるのか?損益分岐点の考え方は変わりますよね?

とまあ、私はそう考えましたね。
しかし地球という星や環境を考えた場合、「持続可能」を真剣に考えた場合、今の増えすぎた人口を支えることができるんだろうかという疑問はあります。石油を掘り尽くして大量生産して化学物質を添加したナニカを食べないと私たち人類が寿命生きられないのならば、それもそれで仕方ないと思うんですよね。

食に満たされないと争いが起きてきっと戦争になるます。
じゃあ大量生産の資本主義が正義だったのか?というループに陥る。
もし自然に任せていても全世界の人口を賄えてしまった場合でも、今度は人間の本能「欲」が芽生えてまた富の争いが起こること請け合いなのです。
だから、自分で考えて自分を守っていくしかないんですよね、結局。

フードインクは、自然や持続可能性を再認識すべき、そして資本主義を考え直せという警鐘を鳴らす作品です。

現在「有機栽培」や「持続可能」はホットなワードです。だからこそこの映画の公開は許されたんでしょうし、そしてそれが示すことは資本主義の終わりなんじゃないかなーと私は思っています。

ただ、かつて資本主義が謳歌した時に讃えていた大量生産をただただ批判すると、資本主義万歳だった頃の二の舞なんですね。

全人類を考える前に自分の健康を。
次に家族の健康を。
そして…と広げていくのが正しい形です。
最初から森を見過ぎて、目の前の木が腐っていくのを放置するのはただの盲目なバカですよ。

そうそう、この映画を見る前にオタキング(YouTube)で宮崎駿の「シュナの旅」という漫画を解説している動画を、私、偶然にも見ていました。
そこで取引される作物(食べ物)には、種がないんです。枯れ果てた大地で人間の生贄と引き換えには取引されるとても貴重なもの。主人公は種のある作物を探す旅に出ます。
あれ、これって特許で守られ、大企業が富を着手する資本主義社会のコーンや大豆の隠喩でしょうか。

弱者は虐げられる弱肉強食は人間の本能です。
平和に飽きて争い始めるのは人間がそう作られているから。
資本主義社会はそんな人間の本能そのもの。
全体最適なんてあり得ない。絵空事です。
だから願うべきは世界平和でなく、自分自身の幸福。
正義は固定概念ではなく、信念なのです。

このような作品の真の意図とは、むしろ「有機栽培への回帰」という表面的なことではなく「自分自身の問題を見つめ直せ」なんじゃないかと私は思います。

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