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死にたい気持ちがなくなる時期

今のこのくらいの状態なら、もうしばらく生きててもいい。

そんなふうに思えてしまうくらい、調子がいい。

今、25歳。
12歳から死にたさに埋もれて生きてきて、何がなんでも、絶対に、常に今すぐ死にたい日々だった。
死にたい気持ちと共に過ごすのが当たり前になりすぎて、死にたい気持ちがない状態がどんなだったかを思い出せなかったし、死にたい気持ちが消える瞬間が訪れることなんて、1ミリも、0.1ミリも、想像できなかった。
22歳までは。
22歳頃、周りの環境からいい影響を受けたことが大きくて、死にたいと思わない日があったり、死ぬのは今すぐじゃなくてもいいかも、もう少し生きてるのもありなのかも、と思える瞬間が訪れるようになった。
ただ、それはあくまで“その日”“その瞬間”だけの出来事で、数秒後、数分後、数時間後には、死にたいベースの自分に戻っていた。

私の精神状態には、だいたい数か月ごとの波がある。
落ちてる時は、
“今、落ちてる”“落ち続けてる”
“落ちた1番下でずっととどまってる”
というのが感覚でわかる。
そして、それと同じように、
“今、少し上がってる”
“少し上がったところでとどまってる”
“少し前よりまた上がってる”
“上がったところでとどまってる”
というのも、わかる。

もうここ何年も、この感覚を自分で感じながら、でも自分ではコントロールできなくて、精神状態の波にのまれて、上がったり下がったりしながら生きてきた。
今回は落ち具合が深いなぁとか、落ちてる期間が長いなぁとか、反対に、浅めだなぁとか短いなぁとか、色んなことを思いながら、色んなタイプの波にのまれてきた。
その波は、どれだけ上がっても、死にたい気持ちはベースにあって、死にたくない瞬間があったとしてもそれが何週間も続くことなんてなくて、それが当たり前だった。

その当たり前が、今、なくなっている。

なぜだか突然、
数か月続けて
「死にたい」と思わない毎日で、
「このくらいの状態なら、もうしばらく生きてていいかも」と思ったりしている。

そんな日々が始まる直前は、自分でもびっくりするくらい、落ちていた。
精神科の先生と、精神科入院について話をするくらいに。
職場にも、入院の可能性について話をするくらいに。


死にたいと思わない。毎日、毎分、毎秒。
このくらいの状態で生きていけるのなら、死ななくてもいいかも。
なんて。


そう思っているからって、別に、精神状態が良くなっているわけではないことはわかっていて、
ただただ、波の中の“いい時期”なだけだと思うから、
このあと、また落ちていくんだろうなと、落ちていった先の今との落差に、余計に苦しさを感じるんだろうなと、もう既に怯えている。



ただ、
私にもこんな時期がきたんだよ、と。
死にたいと思わない、
生きてていいと思えるくらいの、
そんな前向きな心が、私にもあるんだよ、と

それを、記録として残しておく必要がある気がして書いてみた。


落ちてる苦しい時期に、これを読んだからって、「前向きになれる時期もあるんだから今は耐えて頑張ろう」と思えるだなんて、微塵も思っていない。
苦しい時期が、どれほど苦しいか、自分が1番知っているから。
死ぬことだけが希望に見える世界になることを、自分が1番知っているから。


だからなんのための記録か、自分でもよくわからない。
でもなんか、記録しておく必要がある気がした。なんとなく、直感で。















最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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