書評「勉強するとバカになるから安心してバカになろう」(千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカになるために』2017,文藝春秋)

はじめに

 自分語りを少しだけ。それまで浸っていた経営学に片足を残しつつ、大学院では文学・社会学方面の学問に片足を突っ込んだのだが、結果脳内に残ったものは「たくさんのわからないこと」と「過剰な情報」だった。大学受験期よりも頭の中は霞がかって、バカになったとさえ思った。というか今もバカなままだ。
 もし似たような、つまり「勉強しているはずなのにむしろバカになってる?」、「勉強してもしても全然進んでない…」といった悩みを持っている人に、『勉強の哲学』を紹介したい。きっとその勉強は正しい方向に進んでいるはずなので。

勉強するとノリが悪くなる

深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。
(引用元:はじめに,12段落)

 自分を変えるために勉強をする。そう聞いて違和感を感じる人は少ないと思うが、実はこの変化は「自分を破壊すること」だと筆者は述べている。深く勉強することは、自分の知識を、そして可能性を広げる行為だが、それは逆にこれまでの自分の知識や世界の矮小さを感じさせてくる。
 そのため深く勉強すると、これまでの自分の世界や行動、周りに合わせていたノリがバカバカしかったことに気づく。結果ノリが悪くなる。「学生時代バカやったよなー」といった思い出語りは、あの頃の自分の小ささを懐かしみ、いまの自分では出来ないことを暗に意味している。
 たとえば所属する組織について「本当にこれでいいのか?」と批判的に可能性を考えることも勉強の形であるが、これはいまの環境のノリに対して、ノリが悪いことをあえてしていると見れる。別な言い方をすれば「浮いている」状態だ。勉強とは環境や場にフィットしない、ノリが悪く浮いた人になる行為なのだ

自分の環境を疑うツッコミ

大きく分けて、思考にはツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアがある。根拠を疑って、真理を目指すのがアイロニーである。根拠を疑うことはせず、見方を多様化するのがユーモアである。
(引用元:結論,7段落)

 環境に対して批判的な視点を持つことで、可能性を広げることができる。その時「ツッコミ」と「ボケ」の二つが本質的な思考スキルである。
 私たちは知らず知らずのうちに環境のコード(規範意識)に従って生きている。「はんこ文化」はその最たる例で、誰も幸せにならないけれど、なぜか従って今日も押印を上司に頼んでいる。こうしたコードに対して「そもそもそれって何?」だったり「なんでそんなことしなきゃいけないの?」といった、ある種皮肉的な意見を向けることが必要で、そうした思考を「ツッコミ」と筆者は表現する。
 よく聞く言葉で言い換えると、ツッコミとは「当たり前を疑う」ことだ。いままでわかっていたつもりだったけど、実はよくわからないことに気づくのがツッコミ思考の特徴である。勉強はわかることが増えていくことに焦点が当たりがちだが、実は勉強を深めれば深めるほど、同時にわからないことが山積していくのだ。

予期せぬ方向に可能性を広げるボケ

ユーモア〔引用者注:ボケ〕とは、コードから「ズレた発言」です。変な方向に、「斜めに浮く」ような発言。それはアイロニー〔引用者注:ツッコミ〕とは違って、コードを批判するものではありません。
(引用元:第2章,第1項,1段落)

 ツッコミ(アイロニー)は「当たり前や根拠を疑うこと」だったが、一方でボケ(ユーモア)は「見方を変える」こと、つまりこの環境のコード(規範)の中で、どこまでなら許されるのかといった実験的思考のことである。
 たとえば持ち込み自由なドイツ語のテストで、ドイツ人の友人を持ち込んだエピソードなんかは、まさにボケ的思考だといえる。この場合「持ち込むものは普通、辞書やノートでしょ」といった環境のコードに対して、「人間だって"持ち込む"ことは可能だ」といったボケで見方を変えている。
 これによって何が起こっているかというと、可能性が広がっている。例のような解釈の拡張もそうだし、新たな繋がりを発見することもそうだ。先日footballistaで掲載された記事「サッカー理論を解く鍵は生物学にあり!あなたはイワシ?それともハチ?」なんかは、ボケによって元々繋がっていなかったサッカーとイワシ・ハチを繋げることで、新たな見方を提示した例だといえる。
 筆者はツッコミ的な、環境のコードを批判的に客観視することが勉強の基本であるとしつつも、適度なタイミングでボケへ折り返すことを推奨している。これが本書で述べられている勉強のスタンスである。

おわりに

 ちなみにボケが行き過ぎると話が収束しなくなる。会議の方向があらぬところに行き、「なんの会議だったけ?」みたいな時はたいていボケ的思考によるものだ。
 このようにボケ的思考を続けていくと意味が飽和する、つまり可能性が広がりすぎて手に負えなくなる、といった状況に陥る。こうした「情報過多」には「有限化」という勉強のテクニックが必要だと筆者は述べている。が、ここから先はぜひとも本書を読んでほしい。


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