あんまりにも楽しそうに雨粒をのむものだから

ニュージーランド人は、傘をささない。なんて、断言すると怒られそうだけれど、実際に傘をささない人が多い。

車社会と、街にはアーケードが多いこと、天気が変わりやすいのも関係していると思う。

その日は、朝からぽつぽつと雨だった。娘を学校に送っていくため、車に乗り込む。学校に到着したら、雨足は、と、と、と、と大きな粒に変わっている。

あらま、と思いコートのフードをかぶる。こうしたとき、アウトドア用のはっ水効果の高いアウターは便利だ。車からおりる娘にも、フードをかぶるようにいった。たたた、と降り注ぐ雨と、ぴゅうと冷たい風。

冬だなあ。風邪ひかないようにしなきゃ、と教室へと足を動かす。

***

気持ち足早に歩く私に手を引かれ、娘が半歩さがってついてくる。

ふと横をみると、娘は口を大きくあけて上を向いていた。

なにしてんの、と尋ねなくてもわかった。雨粒をのもうとしている。

雨粒って、汚くないのだろうか。「そんなことやめなさい」「前を向いて歩きなさい」。つい、言いたくなる。

しかし、すでに校庭を歩いている。娘は、私に手を引かれている。危険という状況でもない。雨粒がどれくらい汚いかは知らない。楽しんでいる娘にケチをつけるほどのことでもないな、と思って言葉を引っ込めた。

前から歩いてくる、娘より少し大きな女の子たちも、口をあけて雨粒をとらえようとしている。

流行りなのか。

仲良しの子たちと合流する娘。えへへ、と笑いながら「舌で雨をキャッチしたんだよ」とかなんとか英語で話している。朝に会った第一声がそれなんて。

なんて、平和で優しい世界でしょうと三十路を超えた母は思わずにはいられない。

仲良しの3人組はそろって天を仰ぐ。おでこに雨がついたよとか、それだけで笑えるなんて、きみたちは全員可愛すぎる。ほんと、幸せに毎日を過ごしてほしい。

***

教室に入ると、数人の子どもたちと先生がいた。

先生に「おはよう」と話しかけられて、笑顔で返す娘。ととと、と先生に近づいたかと思うと、得意満面に「口をひらいたら、雨が入ってきた」と報告していた。

そんなこと、いちいち報告するのか……と思う。ああ、しょうもないこと報告してすみません、みたいなもやもやが心を漂う。

先生、なんて返すのかなとみていたら「それは素敵ね!雨はどんな味がしたの?」と笑顔で娘に話しかけてきた。

ああ、この先生いいひとだなあと思った。私が先生の立場だったら、そんなこと言えるだろうか? まあ、雨粒は汚いのよとか、つまらないことを返しちゃうんじゃないだろうか。

***

子育てって、なんというか、先のわからない呪いとの闘いみたいなところがある。「〇〇すると、△△になっちゃうよ」みたいな。

泣いてすぐに抱っこすると、抱き癖がつくわよ。一度お休みすると、ずっといけなくなるわ。ごはんの前におやつなんて、そればかり食べるようになるよ。

たしかに、子どもに「教える」ことは大事なのだ。人によっては、それを躾と呼ぶだろう。子どもが大人の気まぐれを、学習するのも事実である。だけれども。

勝手に呪いを想定して、守るための予防線を張って。「〇〇しちゃいけません」って。この世界には、好奇心を殺す言葉があんまりも多すぎやしないか。できることなら私は、世にある呪いを振り払って生きていきたい。

こうやって書くと、「でも、雨粒は汚いし上を向いて歩くなんて危険です」と思う人がいるのだろう。うん、私だってそう思う。雨粒、できれば口に入れてほしくない。

けれども、私はもう雨粒ひとつであんなに楽しくなれない。友達と、濡れながら笑いあうなんてしない。

だから、雨粒を飲む子らを傍で見守っている。

そんな楽しい毎日が、ずっと続くといいねって。

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