見出し画像

【またの機会がやってきました/抹茶色からの~色の話】~世界もココロもグラデーションでできている~313

こんにちは
八彩理絵子(やいろりえこ)です。

前回はnoteの中での素敵な引き寄せ合い(愛)があって、感謝の気持ちというお話をしました。

今回は以前にあげたこちらの記事を最近アップしたことで、読み返したら
「抹茶色」についても書いてるのですが、

最後にこんなこと書いてまして・・・

『関連する色名としては、茶人・千利休の名を用いた「利休色」「利休茶」「利休鼠」などあります。その話はまたの機会に・・・』


ということでまたの機会(笑)
「利休色」「利休茶」「利休鼠」の3つの色について調べてみました。



利休色(りきゅういろ)

千利休は茶道を大成した人物として知られ、侘茶(わびちゃ)を追求したとされています。茶色系統が流行した江戸時代に登場した色名で、くすんだイメージがあり、緑みがかっているのが特徴です。

千利休が愛用したかどうかは不明ですが、お茶の色が緑であることから、緑がかった茶色や鼠色を利休好みとしたという説があるそうです。

※茶道の様式は16世紀に〈わび(侘)茶〉として千利休により完成されました。

※表面的な華やかさを否定し、質実な美を追求。 自己主張が少なく、調和を重要視した侘び茶に利休は「静の中の美」を見出しました。



利休茶(りきゅうちゃ)

利休茶(りきゅうちゃ)とは、色あせた挽き茶のような緑がかった薄茶色のことです。室町・桃山時代の茶人・千利休(1521~159)が好んだ色だとされています。

この色名が文献に現れたのが、利休死後の江戸中期ごろであるため、その時代の呉服屋が千利休の名を使って、流行色を作ったとも言われています。




利休鼠(りきゅうねずみ/りきゅうねず)

山鳩色に似た色。わびさびを感じる江戸時代に流行した色。

利休が好んだという色という意味ではなく、利休から茶道を連想し、茶葉や抹茶の緑色に思いが及び後世の人が名づけた色名のようです。しかし、『茶人・千利休が好んだという色』と表記されている文献もありました。(?)

タイムスリップして千利休さんに何色がお好きなのか聞いてみたい!!



抹茶色から
「利休色」「利休茶」「利休鼠」
の3つの色について調べてみました。


茶道について良かったら見てくださ~い🥰

今日はここまでになります。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。




お・ま・け

北原白秋が最初に作詞したという『城ヶ島の雨』と言う曲の中に「利休鼠の雨」とあります。

        
    雨はふるふる 城ケ島の磯に
    利休鼠(ねずみ)の 雨がふる
    雨は真珠か 夜明けの霧か
    それとも私の 忍び泣き

    舟はゆくゆく 通り矢のはなを
    濡れて帆あげた ぬしの舟
    
    ええ 舟は櫓(ろ)でやる
    櫓は唄でやる
    唄は船頭さんの 心意気

    雨はふるふる 日はうす曇る
    舟はゆくゆく 帆がかすむ

「利久鼠の雨」とは、暗い緑に灰色をまぶしたような雨のことのようです。作詞当時、社会的にも経済的にもどん底にあった白秋の心境を反映した「陰鬱な雨」という感じかもしれないということです。


『城ヶ島の雨』作曲者の梁田 貞(やなだ ただし/1885-1959)は、北海道札幌市出身の作曲者
代表作は、『どんぐりころころ』、『とんび』など。

『城ヶ島の雨』を調べると3作ほどあがってきたので、聴いてみました。こちらの美空ひばりさんの曲のイントロが凄いドラマチックでしたので、こちらにアップしました。


『城ヶ島』という響きも素敵だなと思いましたが、こちらの素敵な写真が目に入り、まだ行ったことのない「城ヶ島」に行ってみたいなぁと思いました。

馬の背洞門

城ヶ島を訪れたらぜひ立ち寄りたい名所、「馬の背洞門(うまのせどうもん)」は自然が作りだした見事な景観です。岩が長い年月をかけ波で削られてアーチ状になっています。周辺の磯では、干潮時に潮だまりができ、ウミウシなど色々な種類の海の生き物を観察することができます。(横須賀三浦地域県政総合センターのページより引用)

「城ヶ島」とっても素敵なところのようです。
「恋する灯台」ともありましたよ~ロマンティック💗

気になった方はこちらからどうぞ・・・

https://www.pref.kanagawa.jp/docs/d2t/chiki/jyogashimaosusume.html



最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

大切なお時間をありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?