フォロロマーノ_

【読書メモ】広場の造形①

やっと院試が終わり、来年からの進路も確定したのでまたのんびりと書いていきます。
前回の本は...ごめんなさい、期限がきたので図書館に返してしまいました...

今回の本は1889年にウィーン出身の都市計画家カミロ・ジッテによって書かれ、ヨーロッパの古代広場から中世・ルネサンス、近世にかけての都市と広場の歴史について『芸術』の観点から考察している。(と思う。まだ読み切っていない。)

序章

本書の書かれた動機のようなものが書かれている。

【新しい建築と古い建築】

新しい建築は「箱のような」ものであり「混乱と退屈」を生むのに対し、古い建築は「調和と魅力」を生むと断言している。
また、新しい建築は古い建築を手本に近づけていくべきとも主張している。

少々激しい主張のようにも思われるが、この本が執筆されたのが1889年であることを考えると納得がいくかもしれない。
1889年といえばパリ万博が開催され鉄骨スケルトンのエッフェル塔が物議を醸した年である。
またこのころから建築における機能主義といった考え方が徐々に広まっていったようである。これは後に「モダンデザイン」となり、「装飾」が「罪悪」と見なされるまでに徹底された。

このような背景を考えると、本書で書かれているのはこのような考え方とは真逆の立場をとっており、わざわざ「建設」という行為を「技術」と「芸術」に二分して、「芸術」のほうを尊重すべしと明言している理由も理解できそうである。

【広場の性格の新旧比較】

今日の広場とギリシャ都市のアゴラのような古代広場との大きな違いは、日常生活との距離感に尽きる。
ここでいう日常生活とは集団で行う祝祭や市民の評議会の会合などである。
こういったことは現代では屋内の閉鎖的な空間で行われている。
このことは、裏返すと古代において「建物と都市広場との間の相違が実質的には無かった」ことを示している。

では、古代広場とは劇場のような建物の一種としてみなされていたのだろうか。また現代においてもそうすべきだろうか。
結論からいえば、古代広場は単なる都市建築群の一部ではなく、「幾世紀を経て純粋な芸術表現となった作品」である。
当時の広場とは個々の家族にとってのアトリウム(中庭)のようなものであり、数多くの柱や彫像がよく見渡せるように「広間の壁にそって」秩序立てて配置された。
これこそ「偉大な民族の世界観照の知覚表現」である。

とカミロ・ジッテ先生は言っている。
広場に集められた芸術品は数百数千に上ったというが、正直どうしてそこまでして集めようとしたのかいまいちよく分からない、が、ともかく現代の私たちの感覚からしてもローマの広場に立ち入って芸術を感じないことは無いし納得はできた。
著者はこういった古代都市を最高傑作として考えており、それを最高傑作たらしめている原則を見出して生き返らせる必要があるとしてこの章を締めている。

次の章からより具体的な分析に入ると思われる。
今度こそ失踪しないように続けて読みます...

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