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喫茶店あれこれ

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喫茶店やコーヒーまわりのあれこれを集めました。
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記事一覧

喫茶店百景-basement-

 帰宅途中に、ある建物にふと目がいった。ずっとむかし、その建物の2階にバーがあったのである。  ずっとむかし、というのは私が幼いころのことで、このマガジンにはその時代のことを思いだして書く記事が多い。  近所の、その2階にあったバーには父親とその友人たちに連れられて行っていた。ビリヤード台がおいてあったのは憶えている。暗くて、他の景色はよく見えなかった。大人のまねをしてビリヤードで遊んでみたり、つまみのチョコレートを食べるなどして過ごしていた。  店の名は「basemen

コーヒー味くらべ(春霞編)その2

 先日投稿した記事の続きです。タイトルに春霞と書いたけれど今日はとても視界がすっきりした天候でした。  いただきもののストレートコーヒー4種のうち、今回は残りの2種、エルサルバドルとメキシコの記録です。 * エルサルバドル Republic of El Salvador 中央アメリカの中部に位置するラテンアメリカの共和制国家、エルサルバドル。グアテマラとホンジュラスに国境を接しており、南と西は太平洋に面しています。中米で最も人口密度が高い国なんだとか。 コーヒー栽培

コーヒー味くらべ(春寒編)その1

 先日コーヒーを飲みに行った先で、マスターからおみやげにと4種のコーヒー豆をもたせてもらいました。  今朝コーヒーを淹れるタイミングで、それぞれのちょっとした記録をつけてnoteに書いとこうと思いつきました。ストレートコーヒーをまとめて数種類味わう機会というのもそうあるものではないですし。  今日開封したのはケニヤとコスタリカ。 * ケニア Republic of Kenya インド洋に面した東アフリカの国、ケニア共和国。北のエチオピア、南のタンザニアもコーヒーの産出

喫茶店百景-うちの場合・2-

 最近このマガジンの記事を書いていなくて、なんとなくさみしい。以前書いた、かつてうちの店にあったメニューをまた、思いだしながらいくつか書いてみる。 *  両親がやっていた喫茶店は、自家焙煎珈琲が売りものだった。もちろんその他にも、軽食やデザート(というほどでもないけれど「スイーツ」は違う)などといった、いくつかのメニューがあった。子ども時代に、多くの時間を店で過ごした私は、両親たちがお客の注文に応じて飲み物や軽食を作るさまをしょっちゅう眺めていた。  そんなイメージのなか

週末の夢のかけら

 週末にAmazonPrimeVideoをごそごそしていて、ふと目にとまった映画を観た。  1957年から1965年にかけて録音された、ジャズ・ミューシャンたちのジャムセッションを収めたテープ(合わせるととても長い)と膨大な写真(とても多い)をつかい、ドキュメンタリー映画に仕立て上げたものだった。  録音と撮影をしたのはユージン・スミスという写真家で、映画のタイトルは『ジャズ・ロフト』。  場所はマンハッタンの6番街に建つ、がたがたのロフトだった。 *  もと報道写真家を

喫茶店アルバム-店主のメガネ-

 コーヒー豆がきれそうだ。  父が焙煎したコーヒー豆を受け取るために、ある場所で待合せることにした。  そういえばこの店に来るのは久しぶりだな、などとおもいつつ店内に入ると、父は先に着いてカウンターに席をとっていた。店主の平井さんに挨拶をして私も座る。  父が飲んでいたダッチコーヒーの冷たいのがおいしそうで、同じものを注文した。ステンレスの脚付きカップが涼しげでいいとおもった。  先輩(父のこと)の娘というのもあってか、平井さんはやさしい。どうも前から感じていたことであ

喫茶店百景(short version)-待合せ-

 お茶の誘いをもらってにこにこと待合せ場所に向かいました。私が先に店に着いたので、「あとからもう一人来ます」と言って席をとりました。  いいですよね、こういうの。  両親が店を持っていた時代(このマガジンは主に両親の店まわりのことを書いています)、喫茶店というのは待合せ場所によく使われていたものでした。  いえ、現代でだってそういう場所なのは変わるところのないものでしょう。違っているのは、昔は携帯電話などというものがなく、店にはそういうお客からの電話がよく入ったものです。

喫茶店アルバム-あめいろ-

 私が普段飲むコーヒーの豆は、定期的に父が焙煎しているものです。ストックがなくなる前に連絡をしておいて、私の昼休みなんかに会って受け取ることが多いです。 *  コーヒー豆が欲しくて父にメッセージを入れたら、珍しく場所の指定をしてきた。市内中心部にある喫茶店だった。  その店のことは、存在は知っていたし父の知人と聞いたこともあったけれど、店に入るのは初めてだった。父は後輩の店だと言っていた。  少し話を脱線させるけれど、父は以前自分の店を持っていた。  父は学生時代から喫

喫茶店百景(short version)-一枚目の-

 ひとつ前の記事で英語圏で使われる慣用句のことを書いたけど、今日はふと一枚目のパンケーキを思い出した。  the first pancake.  パンケーキの生地を準備して、フライパンを火にかけてバター(油)をひいて生地を流し込む。フライパンの温まり具合とかが今ひとつで、最初のパンケーキは失敗しやすいことから「失敗作」のことを言うみたい。  海外ドラマを観ていたら出てきたやつで、ドラマの中ではゴタゴタの口げんかの時に、長男が母親に向かって「僕は一枚目のパンケーキ?」と嫌味を

喫茶店百景-うちの場合-

 昨夜ねむるときにレモンのことを考えていたら、連想的にレモンスカッシュのことが思いだされた。喫茶店のメニューの、レモンスカッシュ。そうしたら今度は、このごろ喫茶店マガジンの記事を書いていないことをおもって、何か書いてみたくなった。 *  両親がやっていた喫茶店は、自家焙煎珈琲が売りものだった。もちろんその他にも、軽食やデザート(というほどでもないけれど「スイーツ」は違う)などといった、いくつかのメニューがあった。子ども時代に、多くの時間を店で過ごした私は、両親たちがお客の

喫茶店百景-2階-

 先週末の午後に喫茶店でコーヒーを飲んだ。その店はむかし両親の店があった場所にも近い、商店街の一角にある。階下がたばこ屋、2階が喫茶店になっている。  窓際に席をとって座り、コーヒーを頼んだ。ふたり連れだったから会話を交わすなどする。会話が途切れたり、まあそれをしている間にもときたま窓の外に目がいく。人が行き交うのが目の端で動くからだ。  この店にくるのは何度めかで、だから初めてではなかったのだけれど、そうかここは2階なんだな、とおもった。あらためてそうおもったのは、ここに来

喫茶店百景-懐かしい面々-

 父が店を閉めてから会わなくなった人は多い。それでも日常うろつく生活圏内が重なる場合であると、道端でばったりなんていうこともごくたまにある。  今日はそんないくつかのうちから、わりと最近のものでも書いてみる。 * ■栗山先生(仮名)の場合/シチュエーション 道端で遭遇 「あら、お嬢ちゃん久しぶりやねえ。お父さん元気? そうね。近くでもぜんぜん会わんもんねえ。おい(長崎弁。俺)この間脚ば折ってさ、へへ、入院しとったとよ。やっと退院したとばい。(笑っている) ねえねえ、コンち

喫茶店アルバム-Go upstairs-

 以前どこかに書いたとおもうんだけれど、うちの父はある縁によって、現在もコーヒー豆の焙煎を続けています。自身の店は2019年の後半に、いろいろの事情で閉めました。 *  仕事を終えて、そろそろ帰宅しようとしていたときに父からメッセージがきた。いま豆の焙煎中で、もうじき終るからコーヒーを飲みにおいでという誘いだった。豆の焙煎は、店を閉めた数か月後から同じオーナーのもとで続けさせてもらってたんだけれど、いま焙煎機を置いて焼いている店舗は、半年ほど前にオープンしたばかりのところ

喫茶店百景-カウンター脇の物置-

 両親のやる喫茶店で子ども時代の多くの時間を過ごした。  ガラスのはめ込まれた木製のドアをぎぎっと開けると、すぐ右手は会計の帳場となっていて、反対側がカウンター席のある調理場だった。調理場から見渡せるような格好で、帳場をはさんで客席がコの字に配置されており、つまり帳場は店のおよそ真ん中付近だった。  学校が終ると、自宅ではなくて店に行くのが日課だった。母が仕事を終える19時くらいまで、色んなことをして時間をつぶして待っていた。  だいたいはカウンターに座って本や雑誌を読ん