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喫茶店百景-カウンター脇の物置-

 両親のやる喫茶店で子ども時代の多くの時間を過ごした。
 ガラスのはめ込まれた木製のドアをぎぎっと開けると、すぐ右手は会計の帳場となっていて、反対側がカウンター席のある調理場だった。調理場から見渡せるような格好で、帳場をはさんで客席がコの字に配置されており、つまり帳場は店のおよそ真ん中付近だった。

 学校が終ると、自宅ではなくて店に行くのが日課だった。母が仕事を終える19時くらいまで、色んなことをして時間をつぶして待っていた。

 だいたいはカウンターに座って本や雑誌を読んだり、宿題があれば片づけるなどしていた。お客さんのなかには近所に連れ出して遊んでくれたり、お菓子を買ってくれたりする常連さんもいた。いごこちがよかった。
 私は学校という場所が好きじゃなくて、理由は容姿のことでばかにされたり、仲間外れにして笑いものにされたりしていたからだった。あまりに学校がイヤだったようで、学校での記憶というのはほとんどない。例えば担任の先生がどんなふうだったとか、クラスに誰がいたのかとか、そもそもクラスがいくつあったのかとか、ぜんぜん思いだせない。

 その点店で過ごす間は安心だった。大人たちは誰も私をからかったり、ばかにしたりしない。店の子ということもあったかもしれないけれど、大人たちにはもっと大事な物事があっただろうし、私にとってはくだらないことで子どもをいじめるようなことはしない存在だった。
 学校でどんなことがあったのか、母などには話していなかったとおもう。いまでもあまり変わっていないけれど、そういうことを生活に持ち込みたくなかったし、母親というのはそんな様子を聞けば心配するだろう。人を落ち着かせなくするようなことはなるべくなら言いたくない。

 お店では安心していられたけれど、それでもときたまひとりになりたくなった。自宅は子ども部屋みたいのが3つあって、兄と姉と私という3人きょうだいだったけれど、姉と私は勉強部屋と寝る部屋でそれぞれシェアしていたから、家にもひとりの空間なんてなかった。
 ひとりになりたくなったとき、私はよくレジスターのおいてある帳場の脇につくられた、物置に隠れた。大人からすると腰くらいの高さの小さな扉がついていて、物置の奥のほうは大人でも膝を伸ばして立てるくらいの空間があった。といっても奥には荷物がいっぱいで、扉を開いた小さな空間に、体操座りをして目を閉じるのが私の物置での過ごし方(?)だった。
 物置だからとうぜん窓もなく、むっと空気のこもった場所だった。私はどちらかというと閉じ切った空間は好まないけれど、物置にいると人と顔を合わせたり言葉を交わしたりしなくていいから、たびたびそこに隠れた。どう考えてもおかしな子どもだけれど、両親も何も言わなかった(言ったかもしれないけれど覚えていない)。

*

 ときどきあの物置が懐かしくなる。
 自分だけがどうのというつもりはまったくないけれど、生まれ持った性別のおかげでときどき不快なおもいをすることがある。それは単純に、女性だからとか男性だからということで判断も考慮もできないことなんだけれど、ちょっとしたことで女性というのはなめられがちなところがある。私が暮らすのは地方であるから、まだまだそういう社会的な空気もあちこちに残っていて、たまに真剣に反吐が出そうになる。
 男性だって、男性であることでわりをくうようなこともあるかもしれないし、ただ私は今のところ女性しかやったことがないので自分の経験でしかものを言えない。そこらあたりはお許し願いたい。

 まあなんか、そういうことがあるとときたま、あの閉じ切ったちんまりした物置という空間を、ちょっとだけ懐かしく思いだしてしまうことになるのだ。

*

今日の「ズボラ」:寝室(っていうか)の蛍光灯が切れかかっているんだけど、あまり点けないから数か月放置しています。でもそろそろ買いに行かなくっちゃ。
トップ画像は昨日買ってきたガーベラ。200円でした。

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