カレイドスコープ的散文
以前、長崎出島にあったオランダ商館で商館長として滞在していたヘンドリック・ドゥーフという人物について書いた。出島というちいさな居留地に出入りが許されていた丸山遊女と彼ら商館員との交わりのことなども調べてみたい、という考えを頭の隅にもっている。それを今日、ふと思いだしてキーボードを打っていて、ある人物に出合った。
正確には、ある人物が書いたものを読んだ。
そのひとは平野威馬雄という名で、彼は混血児である。自身の体験から混血児にまつわることについて、救済のような活動をしたり、書き物をしたり、したらしい。
平野レミさんの父である。それで、名前だけは見たことがあった。
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私が読んだのは、『レミの母たち』という本のなかの「明治百年混血記」という項で、そこで長崎丸山の遊女、ドゥーフと関係のあった園生と瓜生野および彼女たちが生んだ子どもたち、それからシーボルトと其扇、娘いねのことにふれてあった。
本の題名にあるレミは娘のレミのことでなく、『家なき子(Sans famille)』の登場人物にちなんだ名づけらしい。
『レミの母たち』では戦時中の日本で生まれた数々の混血児と母親たち、そして彼らをとりまく当時の境遇などを、その現実を書き出し、世間に訴え、問いかけてある(全部は読んでいない)。
先に「彼の体験から」と書いたが、彼自身混血児だったことで周囲から差別をうけて育ったのだという。
丸山遊女のことを調べ、書こうとおもったのに、いま私はべつのことを考えている。べつのことというのは、私たちは異質のものを見ると異質であるためにそれを理解できずに攻撃(この場合、差別)をする生き物なんだな、ということである。
それと同時に、異質のものに出合うことで自分を知るのだということをおもった。
たとえば自分が日本人であるということは、日本に暮らしている間にはそう意識に浮かんでこないけれど、外国に行くと(あるいは外国人にかこまれていると)自分は日本人なんだということを強く意識することになろうし、サラリーマン家庭の友人と付き合っていて自分が商売人の子であることを意識したり、男性を見れば自分が女であることを感じ、宗教人と話していて自分がいかにそうでないかを知るとか、そういうことは日常にあふれている。
こんなふうにして、われわれは外の世界を通して自分というものを発見していく。個人間のそれが集団や国家ということになってくると、文化交流がおこる。われわれはそうやって進化(?)してきた。
こういうことをやっていると、当然のことながら摩擦が生じることもある。衝突やあらそいごとはエネルギーを消耗する。私はそういうことがむかしから苦手である。
だけど年を重ねていくぶんずうずうしくなってきた私は、衝突をおそれたり避けたりしてもイイコトはない、という考えに変わってきた。結果がどのようなものになったとしても、自分がもっている意見や考えを曲げたり引っ込めたりしていたのでは、成長をさまたげてしまう。と、おもう。
なにか主張をした結果、それが叶わず失望を得たときの行動として、そのエネルギーを恨みつらみに向かわせないことにも注意したい。
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幼少のころから差別をうけ、学校には馴染めず、進学しても不当な扱いを受け、薬物中毒に陥り、治療入院中に盗みをおかして指名手配をうけたこともある平野氏は、その間に文筆をしたり、しなかったりして生計を立てている。女性方面もいろいろな様子である。太平洋戦争を過ごし、その後の占領時代に増加した混血児と自身の体験をかさね、救済活動へと向いていったらしい。
もっていくべき場所がわからずに持て余して生きてきた怒りのエネルギーが、混血児たちの救済という行動となって現れたのかもしれない。
この社会的活動という点だけをとりあげてみれば慈善であるのだけれど、人間全体をなぞったときにそうでない部分があることは、正しい存在というふうに感じられる。輝きが強いとそのぶんだけ影も濃いのが理というものであろう。
混血児たちの救済活動は、彼自身の救済であったのかもしれない。
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丸山遊女たちの話題はどこへ行ったのか? またそのうちに書きたい(とはおもっている)。
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