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耳成山登拝が懐かしい、役小角

 今日は指圧を受けてきた。いまの鍼灸院には4年ほど(もっとかも)通っていて、通い始めたころは身体ぜんたいの消耗がはげしかったから頻繁に指圧も鍼もやってもらっていた。ずいぶん楽になったし、ここ2年くらいは間隔をあけつつ定期的に指圧だけを受けているかんじ。
 前回のときには右肩が痛んで、これはときどき起こる。毎回気になる痛みや症状を訊かれるので、そこのところを伝えたらその位置を確認したうえで先生が「心臓からきているかもしれないですね、ストレスや寝つきがわるいときなんかもここにきますよ」などと言った。肩まわりは筋肉が複雑に重なっていて、ほんとうに痛みの出ている場所、その原因を突きとめるのはすごくむずかしいんだそうだ。
 処置をしてもらっていたら、先生は続けて「ひとり暮らしって、なんでも自分でやらないといけないですからね」とぼそりと言った。

 ひとりでの生活は気楽で、自由で、どんなふうにでもやれる良さがある一方、先生の言うとおり何をやるにも自分である。住まいに不具合が生じて業者に入ってもらう立ち会いも、掃除も洗濯も食事も買い物も衣替えもクリーニングもあらゆる手続きも自分だし、虫の退治とか風邪のときのおかゆとか(食べないけど)割れた食器の処分とか一体何に分類していいかわからないゴミの処理とか排水の詰まりとか(詰まったことないけど)、まあとにかくあらゆることをほとんどひとりで引き受けなくちゃならない。当たり前といえば当たり前、自分で選んだんだから文句を言うことでもない。
 文句は言うつもりはないけれど、日常生活の中でそこらへんを汲みとってもらえる機会ってほとんどないことから、先生のせりふに少しだけ心がなごんだ。

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 最近いくつか読ませてもらった本の著者、山本兼一氏の作品で役小角を題材にしたものに興味を持って、これもせがんで読ませてもらった。この頃『ガラスの仮面』を一気読みするなどしていたから少し時間がかかって、ようやっと今日読み終えた。
 『役小角絵巻 神変じんべん』と言うタイトルで、飛鳥に代わる新しい京の造営につとめる持統天皇(鸕野うの)と、国を造るための体系や制度に倣う気のない山暮らしの役小角をはじめとする民を取り巻くあれこれが描かれている作品だった。
 読んでいてまず耳成山みみなしやまが出てきたのに驚いた。一昨年友人らとの登拝ツアーで訪ねた場所だった(トップ画像は耳成山で撮ったもの)。ほんとうは三輪山に登る予定だったが、その前日の緊急事態宣言発表により三輪山が封鎖されてしまって決めた場所だった。初めて聞く名だったし、三輪山に比べひっそりとしていた。
 役小角は昨年末に訪ねた元興寺や、石鎚山に縁があるようで、私が行った元興寺と小角の時代とは場所がちがうけれどやはりハッとしたし、石鎚山といえば尾道・千光寺で同じ名を持つ修行場にも出合った。ちょっとずつ場所がちがったりするとはいえ、こう重なるとちょっと気味がわるい。
 読んだ作品は小角の視点で書かれているから、国造りをする側がわりをくっている感じだけれど、作品の後半からもうかがえるとおり規模の大きなものの主導には苦労も多い。

 ひとり暮らしに伴う世話についてのことを言うと、それがときにはしんどくったってそこは自分というひとりの人間におけることでしかなく、たとえば家族や会社のような組織、何かしらのコミュニティとなってくると面倒は増える。小説の中の人物の言葉にもあるが、自分で責任を負うことなく誰かや何かに従うことを好む種類の人だっているわけで、そういう人々はある見方をすると怠惰であるという場合も出てくる。
 税を取り立てたり田地を管理するために民を従わせる行為はわるく見えることもあるけれど、もっと大きな範囲を視野に入れものごとを眺めるとそうせざるを得ない行為でもあったりする。何かを成そうとしたときには責任や面倒が生じるから、やりたいのだったらそれらも丸ごと引き受けなくちゃいけないというわけだ。こういうことは何かに対して不満を持ったとき、注意しておいたほうがいいポイントとおもっている。

 持ち物と言い換えてみると、身の回りのものが増えるということはすなわち管理するものごとが増えるわけで、私はそれがイヤで面倒を減らす生活を心がけた時期があった。自分の世話で精いっぱいというしょぼい私は、生活におけるモノを極小につとめようとしていたのである。
 それをひと通りやってみて、こんどはそんな小さく収まっていることがイヤになってきてやめた。欲望を感じたらその感じたままにやってみたっていいんだし、それで面倒が増えようともそれくらいやってやろうという気もちを持とうという気になったのだ。
 会社組織とか家庭といったものを持ち、主導する立場の人からするとこんなの、比べるのも申し訳なくなるようなことであるので、そういう方々にはやはり恐れ入る。ときには他人から憎まれたり嫌われたりするようなことさえ引き受けて、大きな責任を抱えているのに、それを周囲に感じさせないような人がいるものだ(アピールする人もいるけど)。すごいなとおもう。

 ところで『役小角絵巻 神変』は興味深かく読み終えたんだけれど、いくつか読んだ彼の作品の中では終りかたとかがちょっと、うーん、というところはあった。でもこの時代のこともよく知らなかったし、訪ねた土地と重なる部分があるなど読みやすくて良かった。
 またどこかに行きたくなった(投入堂とかいいなあ)。

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今日の「記念日」:1865年の3月17日には何があったか? あの有名な(たぶん)「信徒発見」です。158年前かあ。

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