昔のつらさを話せる場《ヤングケアラー交流会の話》
先日、ヤングケアラーの交流会に行ってきた。
ヤングケアラーについては「親が精神疾患」というワードでSNSを検索していたことで知った。目に留まった記事では、精神的に不安定な親御さんのサポートをする10代の子が取り上げられていた。
私も成長過程において精神疾患の親の影響を強く受けている。正確には親自身からの影響というよりも、その家庭内の空気。しんどくなったり頑張れなかったり、生きることにネガティブな自分の考え方はその過去から形成された。
万が一身内に見つかったときのために書いておくけれど、恨んだりしているわけではない。過去のことはもういいのだし、親も辛かっただろうと思う。両親には幸せでいてほしい。ただ事実として、当時の家庭環境が私という人間が出来上がるのに強く影響しているというだけだ。
そうしてヤングケアラーにまつわるSNSを見ていくと、近くで交流会が行われることを知った。私は自分が「ヤングケアラー」と呼べるのかわからない。私は親の面倒を見ていない。ただ耐えていただけだ。
でも、心のどこかにずっとある辛さを話せるのはここだと思った。そして「ヤングケアラー」「元ヤングケアラー」である人たちの話を聞きたいと思った。場違いだったら謝ろうと思いながら、参加の申込みをした。
結果、行ってよかった。
6名ほどのグループに分かれてそれぞれの経験を話し合ったのだが、共感する言葉がいくつもあった。
「親を傷つけたらまた寝込んでしまうから思ったことがあっても言えなかった」「そんなにしんどいなら生まないでほしかったと思ってしまう」「親を支えてくれる人がいると子どもとしても嬉しい」「子ども時代が一番しんどい。逃げ場がないから」……他にもたくさんある。自分だけじゃなかったんだと何度思ったことか。
話をする中で泣いてしまう人もいた。一見普通の、むしろ華やかなオーラを纏っている人でも、思い出して泣いてしまうような経験をされている。私もかなりこらえていた。今も引きずって、話をしてつらくなってしまうのは自分だけではないのだと目の当たりにした。
話が進む中で、結婚や出産の話題になった。私はどちらも考えていない、したくない。するとその場の女性がみんな同じだった。悲しいけれどそれが少し嬉しかった。
自分の家のことは、子どもの頃は周りの目を気にしてなかなか言えない。大人になってからはそんな過去のこと特に話さない。そして昔も今も、話したところで同情はされてもなかなか分かってもらうことはなく、共感などされないのだった。似たような立場で吐き出し合えることが嬉しかった。泣いてしまったりしんどい話もあったけれど、場の雰囲気は明るかった。
私はもう当事者ではないし、他の方の話にもあったけれど、その過去があるから今がある、という「今」にやっと辿り着けてはいる。心のどこかにその過去はずっとあるけれど、うまくやっていきたい。
一番気にかかるのは今現在ヤングケアラーである人たち。子どもってやっぱり辛い。何かできることを探したいと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?