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ゆるいつながりのなかで、自分の弱さをさらけ出す

自らのネガティブな感情や体験を、note や Twitter に書いてネット上に発信する。
みんなが自然にやっていることだけど、改めて「ネガティブなことを書く」ことのよさってなんなのだろうか?

自分を客観的に把握できる

まず「書くこと」のよさとして、自分を客観的に把握できる点がある。
ネガティブになっている自分を、文字に起こして可視化することで、文章から自分を客観的に捉えてみることができる。

友人の恋人の話を聞いていて、「それべつに大したことないじゃん」とか、「それって相手のせいだけじゃないような気がする」「そんな人やめといたほうがいいよ」などと思うことがあるだろう。

文章になったネガティブな自分と向き合ってみることで、その悩みの相談相手に、自分がなることができる。つまり、自らストレスに対処する「セルフケア」が実現される。

実際に心理療法として、「日記療法」というものがある。日記療法には、書くことで自分が抱えている問題のパターンが可視化され、それを読んだ人のみならず、自分もそれを自覚できるメリットがある。

では、相手が自分をよく知る人ではなく、 “知らない人”  である場合に発信することのよさってなんなのだろうか?

ネット上のゆるいつながり

インターネットが普及した情報社会では、自分の身の周りにいるお互いを直接知り合う人同士だけでなく、“お互いの顔を知らない・直接話したことはない” 人同士のコミュニティを、ネット上に広げることができる。そのため現代のつながりには、リアルやネット等、複数のレイヤーが存在するといえる。

直接「見たよ」というフィードバックがもらえなくても、たとえば note ならダッシュボードでビュー数を把握することで、「誰かに見てもらえた」という実感をもつことができ、承認欲求が満たされる。

匿名だととくに、場合によってはよく知る人に話すより、吐き出しやすいこともあるかもしれない。


社会における信頼できるつながりのことを、ソーシャル・キャピタル( Social capital、社会関係資本)と呼ぶ。ソーシャル・キャピタルは幸福感と関連があり、強い・濃いつながりだけでなく、弱い・薄いつながりをもつことが、時として助けになることもある。

また、そのような “ゆるいつながり” をもつことのよさは、「弱い紐帯(ちゅうたい)の強さ」という概念で説明される。

社会的に強いつながり(=強い紐帯)をもつ人々は、生活環境やライフスタイル、価値観などが似通っているために、自分と同じ情報をもつことが多い。一方、つながりが弱い(=弱い紐帯)人々であれば、自分とは違ったライフスタイルや価値観などをもつので、思いもよらない情報を与えてくれる存在になりうる。

たとえば、その試みの実践例として、“異業種交流” や “産官学連携” がある。所属や専門性、年齢の異なる人とのつながりをもつことで、日々新しい価値観や考えに触れ、視野を広げることができる。

自分の弱みをさらけ出すことは、自分のためになる一方で、勇気が必要だ。しかしきっと、ゆるいつながりのなかでなら、自分がもつ弱さをさらけ出す勇気がもてる。

また別の機会に、誰もが抱える “弱さ” である「ヴァルネラビリティ」についても書いてみたい。


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