それは、誰への愛?

「貴方の為を思って…」
このセリフ、昔から嫌いとまでは言いませんが、苦手なんです。なんか、それを聞くだけで妙にガッカリしてしまうのです。

「それは、ほんとに私の為?」

こう思う瞬間って、特に10代の頃に多かったなあ。反発とか、思春期とか、全知全能感とか。今回は、そんなことをテーマにnoteを綴っていこうかと思います。ポンコツ故に、色んな人から色んな状況で注意を受けているので具体例はちゃんと出せます。笑

こういう反発心とかを抱く対象って、やはり身内が多いんじゃないかな。お父さん、お母さん、兄弟とかね。身内で遠慮がないからこそ、他人には出来ないような表現でソレを伝えるというか、ぶつけてくるというか。

私も、正直何度かそれを家族にしてしまったことがあります。その度に、「ああ、何であんな言い方しちゃったんだろうなあ」「もっと他に伝え方とか、タイミングとかあったよな」と反省ばかりしてしまいます。でも、反省できるだけまだマシだと思うようにしています。そこは自分の誇れるところです。

自分のことは自分でしないと、将来苦労する。それってほんとに当たり前のことだと思うし、頭では分かっているけど…どうして上手く飲み込めないんでしょうね。どうして素直に、いい子になれないんでしょうか。昔から、「うるさいな」と口走ったところから、既に後悔が始まっている気がします。

形だけでも成人して数年経った今、ひしひしと感じていますが…親の言ってることって大体間違っていない。もちろん、生きてきた時代が違うので、世代特有の価値観の違いはあるんですけど。それは別として、生きていく上での基本的なところは大体当たってる。「なるほどなあ」と思う度、ありがとうとごめんねが心の中でぐるぐるする日々です。笑

さて、そんなこんなで、今度は「え?ほんとにそれ私の為を思ってる?」って思う瞬間や、言葉遣いについて書いていこうかな〜、と思います。

たまに、たまにですよ、ほんっとにキツいことを言ってくる人いるじゃないですか。笑 大体、余計な一言を付け加えてくるの。しかも、大体パーソナリティを傷付けてくるようなこと。笑 注意と見せかけて、ストレス発散に使われちゃったなあ、と思うアレ。アレだけはね、何年経っても心に残るし後からリスペクトも出来ないのです。

「何の為に大学出たの?」
「もっと頭使いなよ。脳みそついてる?」
「これだから女は…何も考えなくていいね」

今でも頭に残っている、“注意のついでに言われて傷ついた余計な一言”ベスト3です。ちなみに、全部前の職場にいた時に言われました🖤傷つくー!

学歴のこととか、ジェンダーのこととか。びっくりするくらい、「それ、今の注意と何の関係があんの???」ってことばかり。もう恥ずかしながらね、そっちの余計な一言にフォーカスしてしまって、最初の注意の内容とかほとんど吹っ飛んじゃうんです。笑 「あ、嫌われちゃったのかな」みたいな。伝えられる必要がない一言を言われちゃうと、それだけでシュンとしちゃいます。

こんな話を伝えると、イマドキの若者だね〜弱いね〜考え過ぎだよ〜キレやすいね〜って、言われるんですよね。笑 まぁ、確かに考え過ぎだから気にしないようにしよ〜!って思うこともあるんですけど。むしろそれが大半なんで、さっきの3つはそれだけ刺さったんだなあと思います。だって、自分が価値を見出している部分を“鬼の首を取ったよう”に言ってくるんだもんね。不快だよ。

まぁそりゃ確かに、気にしなくちゃそれまでだし、相手にもそんなつもりがなかった〜で言えば収まると思う。でも、でもね、“余計な一言を言う人達は受け流せ”文化を、これから先の世代にも根付かせていくのは違うよなあ、と思うんです。私は。

だって、どう考えても悪習じゃないですか。

そりゃ、注意をしなくちゃいけない場面は出てきます。その人が正しいことをしてくれないと仕事が円滑に進まないとか、自分以外に注意できる人がいないから、敢えて厳しい言葉をかけるとか。

それがきちんと伝わる注意やお叱りを受けた時は、“イマドキの若者”だって素直に受け取るし、次は頑張ろうって切り替えられるんですよ。言葉遣いや表情、声のトーンや抑揚からも、その人の想いや愛情って伝わりますから。

全ての若者が、全ての注意に無作為で傷ついているなんて思わないで。

何度、こう思ったことか。何度、悔しい思いをしたことか。

私が生まれた平成7年は、義務教育が全てゆとり教育だった、超絶マッハゆとり世代だと言われています。甘ったれてるとか、今後の日本を背負えるのかとか。ネット上や時々現実の世界でも、そんな心ない言葉を吐く大人達を沢山見てきました。

「私達って、そんなに打たれ弱い世代なのかなあ…」そんなに、私達より上の世代の人達は、打たれ強くて、どんな物事にも真摯に向き合えて、何の反抗心や疑問も抱かず生きてきたのか。一人残らず。ほんとに、ほんとにそうなのか?

ただ、弱かった人たちを“なかったこと”にしているだけではなくて?????

生意気ながら、そう思ってしまいます。だって、時代は違えど…同じ国で若者をやってきたじゃないですか。

もう平成が終わるまで後2ヶ月弱ですが、この時代だからこそだと、思うのです。インターネットが発達し、誰でも自分の意見を全世界に発信でき、簡単に行動が起こせるようになった今だからこそ、嫌なものは嫌!と主張できる環境があるだけではないのでしょうか。あ〜でも、その世代それぞれの景気も関係するのかな。ううん、断言は出来ないけれど。

全自動レジになったことで、あたたかみを感じられない時代になったとか、云々かんぬんよく聞きますが。Twitterでも、常に世代間のギャップに関するツイートにぶら下がるリプ欄で、討論が繰り広げられていますが。

私達ゆとり世代も、その下のさとり世代達も、立派な血の通った人間です。貴方のお子さんやお孫さんにとっての、大事な大事な子どもなのです。

だから、簡単に“コイツらは理解できないから”、“弱い立場だから”、“このくらい言っても傷つかないだろう、バカだし”、“俺らの時も、こう言われてきたしな”みたいな

クソみたいな下心は、簡単に見抜けますからね。何年、日本で人間やってきたと思ってるんですか。愛を装った言葉の暴力はお辞めなさい。

あ、もちろん私達世代にも言えることですよ。相手をナメたような態度は必ず相手に伝わりますから。私は、全ての同世代、もしくはそれ以下の世代の子を庇うつもりはありません。いち人間として、慈愛を持って生きやがれ。って話ですね。

ここまで長く長く、アツく、熱意を持って話を展開して参りましたが、遂に結論部分に参りました。長かったですね、お疲れ様でした。論文だったら、分かりづらいと大ブーイングの袋叩きだったことでしょう。嗚呼、これがnoteで良かった。笑

とにかく願うのは、思いやりを持って発言できる人が増えるといいなあ〜ってこと。ここまで強気で言っていますが、私も決して完璧ではありません。イライラしてるとついキツいことを言ってしまったり、考えたりしてしまうことはあります。

でも、その頻度を減らそうとすることは、誰でも簡単に始められることなんじゃないかな〜、と思います。相手が大切にしていることや、パーソナリティに関することは振りかざさないとか。あくまでも、注意点と、それが何故悪いのか、しか伝えないとか。ちょっとだけ、表情に気を使ってみるとか。笑

生意気な23歳のクソガキの、戯言なのかもしれません。だけど、だけれど、私は強く思うのです。

平成の次の世代で生まれてくる子達に、こんな惨めな思いをしてほしくない。無駄な苦労や悲しみを抱えてほしくないし、誰かのストレス発散で傷ついてほしくない。「これだから〇〇世代は〜」なんてひと括りにされてほしくないし、どんなパーソナリティを持った子達も、笑顔で過ごせる時代にしていきたい。自分の意見を自由に発信できる時代を、若者として生きられた私達が、この負の連鎖を止めるしかないんです。私達が、やるしかないんです。

AIの発達やら何やらで、どんどん人と人との繋がりが希薄になっていくんだと思います、今後も。でも、そんな希薄な繋がりを、ぜーんぶお互いの思いやりや愛に溢れた関係にしていけたらいいな、していこうな!!!!!と強く思います。

平成が、もうすぐ終わります。次の時代は、今以上に愛に溢れた時代にできますように。

ご清聴、ありがとうございました。