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インド料理のこと2-4(結) How to Make a National Cuisine/Arjun Appaduraiを読んで

だらだら、つらつらと続けてきたこのシリーズの最後です。まとめていきます。
前提として、このエッセイは国民的な料理という曖昧なものをどうすれば国民がイメージできるようになるんだろうって問題に取り組んでいます。

例えば、私自身は日本の国民的な料理といえばと聞かれたとき、なかなかすぐに出てこないです。でも、別の人に聞いたら、そばであったり、うどんであったりラーメンであったりと、すぐに出てくることもあるんじゃないかなとも思います。
そういった、国民的な料理のイメージはどこから生まれて、どうやって強くなっていくのかといった過程の1つを示したのが、このエッセイです。

料理本が国民的な料理をつくる力学
なぜ、料理本が国民的な料理をつくる(決める)ことに関係しているのかですが、料理がレシピ化される過程で本来の料理から変化した点に求めることができます。
  ・民族料理を主食・副菜・飲料などのどれかにあてはめること
  ・メニューという考えの導入
  ・北インドからみた南インド料理の創造
  ・隣接する地域の料理が似ている場合、情報の多さで民族料理が決まること
  
他にも、多くの事例が紹介されていますが、いずれも地域・民族的料理を違う視点からみること、捉えなおすことで、地域・民族的だけではない、インドの中にある料理、大きな意味でインドの料理として料理本の中で紹介されています。
著者はこうしたインドの料理として紹介された姿に国民的な料理の影がみえているのかもしれませんね。

内容があまりに濃すぎて、まだまだ消化しきれていませんが、料理はもともと家や村など狭い範囲でつくられていたものです。それらが地域や民族的な場所を離れ、レシピ化されたり、レストランのメニューになる中で失われたことや加えられた意味、そういったさまざまな動きの中で、国民的な料理がつくられていくことを、このエッセイから学ぶことができました。

最後に
アパデュライは、現代世界の料理本を文化遺物(アーティファクト)としてとらえるべきと指摘しています。
私は、こうした視点から日本のカレーを捉えなおしてみたいと思っています。カレーが日本の国民料理として定着した過程を書いた本は多くありますが、なぜ洋食として入ってきたカレーがインド料理と言われ、インドにはカレーがない[1]のに、カレーといわれるのかといったことを、アパデュライが言うように料理本からみていくことはできるのかなと思ったからです。
仮称「なぜインド料理はカレーといわれるのか」として始めたいです。


脚注
[1] いくつかの本で、インドの料理にカレーはないという指摘(森枝1989;三尾2015)がされている。厳密にはまったくないというわけではなくレストランなどでは、〇カレーというメニューが掲載されている場合がある。ただし、別に民族・地域的な料理の名称があると思われる。

参考文献
Appadurai, A. 1988 How to Make a National Cuisine: Cookbooks in Contemporary India. Comparative Studies in Society and History Vol. 30(1), pp. 3-24. Cambridge University Press.
三尾稔2015「環流する文化と宗教」三尾稔・杉本良男(編)『現代インド6』東京大学出版会、pp.3-24.
森枝卓士1989『カレーライスと日本人』講談社

森枝卓士1989『カレーライスと日本人』講談社


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