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長い言い訳を書いてたら

46歳、平らな郊外から山あり谷ありの鎌倉に暮らし始めて2年ほど。日々、筋肉の重要性を感じている。

昨年の冬から初夏まで近所を20分ほど走っていたが、暑くなってきたのを理由に、寒い季節が来るまで休むことにした。

しかししかし、寒い季節が始まっても走り出さない。

駅までは山越えをするが、徒歩で往復してもしんどくなくなったり、長くて急な坂道でも自転車のギアを一番軽くする必要がなくなったり。少しずつではあるが、身体は土地に慣れてきている。うん大丈夫、走らなくても。

加えて、着替えるのが面倒だとか、誰かに見られたら恥ずかしいとか、たまに膝に違和感があったとか、やらない理由を塗り重ね、自分で自分を納得させる。

しかしながら後ろめたさはあり、図書館で目が合ったのは松浦弥太郎さんの『それからの僕にはマラソンがあった』だった。松浦さんの本を手に取ったのもずいぶんと久しぶりである。

走ると心地よく疲れ、終わる頃にはたっぷりの自己肯定感に包まれる。頭のモヤモヤも取れ、いいことしかない。本にも同じようなことが書かれていた。

走らない長い言い訳を書きながら、ふと、ちょっと走りたくなっている自分に気づく。「走らなければいけない」の「しなければ」がべっとり張りついて気持ちが動かなかったが、つらつら書いていたら、さらりとしたものに変わりつつある。

微塵も走りたい気持ちが湧かなかったのに、書いていたらポッと生まれていたことに自分がいちばん驚いている。

まだ走ってはないけど。




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