- 運営しているクリエイター
記事一覧
わたしの中心にいる気分
「わたし今きめ細やかだよね
人が声をかけてくれるね
必要なタイミングに一瞬だけしかお腹が空かずいつも満たされてるよね
わたしからのお金の循環がうつくしく鮮やかで声に出ちゃうほど瞬時に還ってくるエネルギーに満たされるよね」
一度体感したこれは
そのうちじきにもう既にわたしの中庸で在るもの
聴覚から得る情報は視覚のそれより今必要なものが必要な分だけ確実に深くわたしに定着する。からの、音声配信気になるの巻
わたしにとって音楽は
空間を創り出してくれるもの
としてのはたらきが大きかった
朝の気分、あの映画のあのシーンのような気分、この人たちと共にいる気分、
室内でも外でも自由自在に。
鼻歌なんてまさに、結界そのもの
ー
長野に来てから以前みたいには音楽を聴かなくなった
空間を演出しなくてもいい時間が増えたというか
そもそもいる場所とわたしの気分が合っていることが増えたというか。
自分が能動
〝窮鼠はチーズの夢を見る〟もはや愛と希望しか溢れ出ないのです
〝窮鼠はチーズの夢を見る〟
すごくよかったの
それはもうなんていうか
観た後次の日のみならず数日続くぐらいの余韻で。
思い出すと至福でにやけてくる感じの。
もう一個その前に観た
〝生きてるだけで、愛〟
ってのも久々すごく気に入ったのね
そんでふと改めて気付いたのが
自分の中で殿堂入りしてる特別に感じる映画と思ってたのが全部
恋愛ものだったことに気づいてびっくりした
自分的に意外だった
小さな的を射るような 夜空の星をひとつ探すようなこと
あたらしい年のはじまり
年末に冬至やらグレートコンジャンクションやら大イベントが目白押しだったこともあって
それらに比べ、大晦日も元旦も節目感を体感せず変な感じだったけど
街中がある意味一年で最もいつもと様子が違ってそれこそ何か時間が外れた数日という感じがして
いつもしないことをしたり
ただただまったり時間を過ごすことで
〝正月っぽい〟と感じた
いつもと違うことは普段より自分の内側に意識を
鬼滅の刃とワンピースとコロナと子どもたちと満月
鬼滅の刃がグリム童話的、メルヘン的に
子どもたちはもちろんもはや、大人たちの魂の栄養にもなっている
というのはここのところよく出る話題
そして今朝ふと思ったのが
あーまさに今グランドラインに入ったんだなみんな揃って!
だった
すごいなー世界は。
ちゃんと少し先の世に浸透する形で、最も良く作用する形で、変化を不得意とする大人たちに最も気付かれない安心させる形で
子どもたち世代が観るアニ
ハゲって思考放棄が原因で、白髪ってエゴイズム的思考が原因なんじゃないか。って思う
2018 秋分
ネガティブや過去を掘り下げる思考 と
今を創造する構築的でポジティブな思考 の線引きができるようになった
そこからの今、
自己顕示欲や承認欲求からくる
エゴイズム的思考と
具体的な誰かや
具体的な事象に対する考察や分析である
行為に沿った創造的な思考との
線引きができるようになった
で、思ったことが
ハゲって自分や世界の本質に対して目を背け思考停止、思考することを放棄してし
ただそこに居ることの難しさと単純化
人工物の中で佇んでいると「大丈夫?」って言われちゃうけど
森の中山の中海、自然の中にいるときはただそこに居るだけでもう成立する
落ち葉が落ちるのを見てる
風が鳴るのを聴いてる
ただそこに居るだけで
息をして生きてるだけで
ほかのいのちと同様にわたしは成立できてる営んでる
そしてそういういのちの動きを感じることほど興味深く、飽きないこと、安心することはない。そして思い出させる
そうしてだからそこに居
浅田家 と beの肩書き
このあいだ 久しぶりに友だちと
〝beの肩書きワーク〟をした
ざっくり言うと
名刺などに書かれる一般的な肩書きが
〝do→なにをする人か〟を表すのに対し
〝be→どういう人か〟という本質的なその人を表す肩書きを見出そう というワーク
ひとりでもできるけど複数の人でやるのがおもしろくて
相手にその人の新しい肩書きをプレゼントするシステム
目から鱗的な、でもまさにその人の本質を現す発見があっておも
自分に影響され過ぎてはいけないようにおもう
自分に影響され過ぎてはいけないように思う
自分は媒体で在るような
気付いたらそうなっているような
子どもたちの中にいる時のような
自然の中にいる時のような
自分の意思ではないような
意志の力漲るような
わたしを包む人たちが、世界が、わたしを動かしていると感じると同時に
わたしの行為や思考、在り方全てが
わたしを包む世界を創っていることに気付ける
そうした瞬間の重なりが暮らしと成っていくそう生き
全部自分にしてることで 同時に 全部世界にしてることなんだな と思う。
人と関係するのって見事にきっちりフィフティーフィフティ50/50に作用し合ってる
やってあげてると思う時は同じだけもらってるものがあるし
療育してると思ってる時は同じだけ治療されてるし
愛をそそいでると思う時ももちろん愛をそそがれてる
やってあげてる
という思いはすごく傲慢で暴力的な思考、暴力的な行為だと思う
だけれどその状態の時ですら気付いてないだけで同じだけ相手からちゃんともらっている
平成生まれの人が中心になるだけでうまくいくと思う。というのと令和時代の〝軽さ〟のはなし
うまくいかない、揉め事が多い、という職場や組織コミュニティは
「中心となる人を昭和生まれの人から平成生まれの人に変えてみたらいいよ!」
と声を大にして言いたい
有能でやる気に満ち溢れ高い意識の元、身を挺してまでも仕事に打ち込んでくれていた尊敬する昭和生まれのスタッフたちがことごとく去っていった戦場の惨状のようなここ数年ののち、
2020年の今年、意図せず、結果として、平成生まれのスタッフたち