うつくしいものに驚くこと ayako nagae

シュタイナー教育、治療教育、フリースクール、子どもたちに導かれながら新しくうつくしい共…

うつくしいものに驚くこと ayako nagae

シュタイナー教育、治療教育、フリースクール、子どもたちに導かれながら新しくうつくしい共同体的家族、コミュニティの暮らしを実験体現中。分け隔てなく混ざり合い、皆それぞれが個性を生かしあい暮らす多様性のかたちは世界を救うと思う日々そこへ向かって創造中

マガジン

  • 彼ら(=わたしたち)のみえる世界

    〝わたし(=彼)のみえる世界〟 〝わたし(=彼ら)のみえる世界〟 〝彼(=わたし)のみえる世界〟 〝彼ら(=わたし)のみえる世界〟 〝彼ら(=わたしたち)のみえる世界〟 どれが的を得てるだろう どれが伝わるだろう どれがよりわたしに観える本当を言語化させるだろう 彼らの中からみえるわたし。 彼らを通してみえる世界。 人間の本質 世界、宇宙の意図

  • 園だより〜子どもが物語る四季の景色

    園だより 〜子どもが物語る四季の景色、いのちの然るべき時間の流れ ー 成長発達していく過程はその子その子それぞれに然るべき時間の流れがあって、成長発達にも個性が現れます 季節の流れとその子その子それぞれのいのちの然るべき時間の流れが合わさる時 あぁこの子も確かにこの子自身の成長発達の過程を歩んでいるのだな と 安堵しよろこび、希望に胸がいっぱいになります それはまた、わたし自身の、わたしを取り巻く世界の本質をわたしに教えてくれてもいます そんな日々を愛と感謝にのせた お便りです

  • Life is art ー 子どもが導く多様性の世界

    人生とは、今世 地球に肉体を持って生まれた意味とは、その肉体を使ってその時その時の自分を1番ときめいてワクワクする素材で製作 創造 表現 体感することだ!シンプル! 真の芸術家・プロフェッショナルは世界を救うと思う その行為そのもの 生み出すものそのものが本質的だから 関わる人すら本質的な自分に導く それは人に安心をもたらす それはもう世界平和に繋がると思う わたしが今1番ワクワクするキーワードが 『多様性』 そして今わたしをそこに導いてくれるのが 『子どもたち』

  • 宿り木保健室

    −しがらみなく すなおに ゆだね 休める 場所 –しがらみなく すなおに ゆだね ともに在れる 場所 −しがらみなく すなおに ゆだね つながれる 場所– すこし疲れた時 しがらみ(既存の枠組み・役割)なく 誰もが来れて 誰もひとりにしない場所 【休む場所 そして 気付く場所 】 しがらみ(既存の概念)を横に置いて 改めて今ここから 自分で、みんなで 観てみる 健康?暮らし?コミュニティ?教育?循環?愛? どう観ればいいか どう考えるか をみんなで見つける場所。 世界(わたしの外側)と 自分(わたしの内側)の本質を知る。 本質的なものは うつくしく いとおしい 愛そのもの。 愛することを学ぶ場所。 そして 個人と家族と社会を大きな拡大家族にする場所。 その橋渡しになる場所。 新しい個人と社会の在り方を創造する場所・集い・時間

  • 五感が共鳴する事ーご機嫌にそして祈りのようにそんな日々の綴り

    女性は五感を共有すると理屈を超えて瞬時に繋がり合える感覚になれる んだそうです その瞬間の至福さ 満たされる感じったらない そうしてそういう 毎日の日常の 1つ1つの 小さなたくさんの 行為が所作がその繰り返しが 祈りのようで在りたい そんな日々の綴り

最近の記事

どうにもめんどくさいやつで。

どうにもめんどくさいやつで、 どうしたら機嫌が良くなるのか、何が機嫌を損ねるのか。どうしたらこの落ち込みから引っ張り挙げられるのか、止まることができないこの人をどうしたら止められるのか。すぐ動けなくなるこの人を動かせるのか。 なんとも気難しく、繊細過ぎてなんて言葉をかけたらいいのか、何が地雷になるのか困ってしまう。 いつも想像を越えてくる。 日々試行錯誤、ほとほとまいっております。 弱いの。外界からのストレスに。刺激に。 化学物質にも、暑さや冷たさにも、湿気や乾燥にも、音

    • 立ち位置の 再確認

      日曜日の夜 そもそもなんだかおかしくて ここのところおかしくて 左半身のいろんなところが滞ってるような、腫れてるような感じがしてて。 左眼の、ものもらいからの 左耳、ボーッとなんだか聴こえない 見たくないの?聴きたくないの? ぼやぼやわたしのひだりがわ 日曜日の夜遅く 眩暈がしたの 小刻みに揺れてる感じ なんだか不安になって どうしよう もしもうすぐ死ぬとなったら と想像したら 出てきた言葉は 「そう来たか!」 だった 以外と動じぬわたしに笑う わたしは

      • 6歳、次の時代へ

        寒さの中にも暖かさを感じる日が増えてきました。 6歳になった子どもたちが巣立ちゆく季節。 人間は7年をひとつの区切りとするリズムで生きていきます。 最初の7年である0〜6歳はからだをつくることにエネルギーが向かう時。 生きることへの欲求、からだを感じ動かす。ひたすらに自分の器に向かってきた時。 歯の生え変わりが始まる6歳を迎える頃は大きな変容を迎え、からだをつくるために、自分の器に向かっていたものが自分の外側の世界に向かい始めます。 成長発達していく過程はその子その子

        • 覆い(境界線)をつくる

          このところほしぐみではよくオイルケアをしています。 冷えた風にあたり暖房で乾燥もする季節 カサカサした肌は子どものからだを〝覆う〟機能が弱くなっています 覆いがないと風や衣服などの些細な外側の刺激に対しても敏感に反応し、常に刺激を受けている状態。落ち着かない状態になります。 そうした目覚め過ぎた状態でいると、周りの人の気配や空気感にもいつもより過剰に反応しそわそわ、ピリピリせずにはいられなくなります。 カサカサする季節、植物性のオイルなどそれぞれの子どもの肌に合うもの

        マガジン

        • 彼ら(=わたしたち)のみえる世界
          1本
        • 園だより〜子どもが物語る四季の景色
          9本
        • Life is art ー 子どもが導く多様性の世界
          15本
        • 宿り木保健室
          3本
        • 五感が共鳴する事ーご機嫌にそして祈りのようにそんな日々の綴り
          41本
        • うつくしい家(自己紹介 )
          2本

        記事

          内側に光を見出すークリスマスの頃

          日が短くなり、外側の光が最も小さくなるこの季節、クリスマスの4週間前から特別な時間がはじまります。 まず子どもたちが体験するのは〝りんごろうそく〟。 暗い部屋の中螺旋状の道を辿った先で手にしているりんごろうそくに灯火をもらいます。 外側の光が小さくなる時に内側の光を強めていけますように。 これから先のその子その子の人生において困難に出会った時、光を観ることができますように。 そうした祈りに包まれてひとりひとり体験をします。 おやつの前に毎日生誕劇を体験します。 おやつの時

          内側に光を見出すークリスマスの頃

          静けさをつくるー意識的に聴くということ

          急に寒くなりました。 それでも日中は暑い日もあり、子どもたちも本調子じゃなく、そわそわイライラしがちな様子です。 あれしたいこれいやだと気が上がっている時や日常の中の習慣として、 子どもが〝意識的に聴こうとする〟瞬間をつくるように心がけています。 たとえば リモコンやスイッチは子どもにとって魅力的なもの。その時に、 「ちゃんとピッて鳴るか一緒に聴いててね」 と子どもに伝え、まず大人が静かにして機械に耳を傾けている様子をみせます。 ピッと聴こえたら子どもを見てお互い聴

          静けさをつくるー意識的に聴くということ

          冷やさないーまんべんなく温かさを。

          お盆が過ぎ、秋の訪れ 最近また明け方寒くなり、日中暑いのにもかかわらず身体の奥に冷えが残りやすい季節になってきました 身体の感覚の鈍感さや敏感さ不快感などがあると特に身体の末端に意識が向きにくく上へ上へと気が上がり熱も頭にこもります 熱は原動力。冷えて動かなくなる部分もオーバーヒートする部分もからだ全体の不調に繋がります 昔から頭寒足熱がいいとされます 機嫌が悪かったり、ごはんの食べが悪かったりそんなことも冷えが原因なことは多いです 何はともあれほしぐみではよく足湯をし

          冷やさないーまんべんなく温かさを。

          自分のからだと出会い、世界に触れる

          ⭐︎ぐみは理学療法士と一緒に毎日を過ごしています。 今はこどもたちそれぞれの個性がそれぞれの特性を持った身体とがんばって慣れ親しんでいく時期。 例えばお着替えの時間、 この子がズボンを脱ぐ時 少しでも多く自分でできる部分を増やすにはどういう場所で、どういう体制で、どう声かけをしたら、自分でできることを楽しみながら行為に繋げられるか、 そんなことを考えています。 ほんの少し身体の向きを変えてあげたり、指一本の力で少しここを支えてあげる、 たったそれだけと思うようなことで

          自分のからだと出会い、世界に触れる

          習慣がわたしをつくる

          新しい生活がはじまって2ヶ月半、 いろいろな新しい習慣が身についてきました 思い通りにいかず泣くことがあっても、その後で習慣となりよく知ってる活動があることでそちらに意識が向き、安心し、すぐ切り替えられるようになりました 知っていること、できること、 が増えることは安心をつくります 繰り返し、リズムがある暮らし は安心をつくります 子どもそれぞれの毎日の中に“いつもの習慣”が増えることは イレギュラーなこと、新しいこと、なにか不快なことが現れた時も、それを乗り越える力

          泣くこと

          1ヶ月が過ぎました 4月はじめ 新しい環境に戸惑い泣いて、少し慣れてきて。 2週間経ち 状況や様子がわかりはじめたことでまた泣いて、そうしてまた笑顔の時間が増えてきました。 きっとまたすぐ新しいことと出会い、新しい自分の気持ちと出会い泣くのだと思います。 お迎えの時お母さんを見て涙が溢れる。 離れている間無我夢中ではじめてのことに戸惑い目一杯触れて笑って、我慢して、頑張って、そのあとだから溢れる涙。 そんな新しい人たちの緊張感を受けてか先輩のお姉さんはまた、別人かのように

          自分と世界と出会う場所

          ⭐︎ぐみは 今年度 子ども3人 スタッフ2人の 5人ではじまりました 子ども同士の大きな集団に入る前に必要な 自分の身体を感じ、 自分の身体を取り巻く世界との出会いを体験し 自分以外の他者との関係をつくりはじめること 新しく入園してきた彼らがこれらのことを獲得していく為に ⭐︎ぐみでは マンツーマンに近い形で大人が手助けしていきます 自分の身体は居心地がいいな 自分の周りの世界は居心地がいいな 安心して世界と関わっていきたいな 彼らがそう思える環境づくりと治療教育に

          人間は相手に自分の好きが伝わった時、わたしの好きが理解された時 よろこびを感じるものなのですね

          ✉︎ 先生へ …あーずっと、 人間にとって本当の喜びとは何か。を また、本当の喜びを感じれるようになる為には。 ということを学んでいたのかな と思いました 自分の意志で動くことのよろこび 世界と、全てのイノチと出会うことのよろこび、関係することのよろこび 自分が世界と影響し合い繋がっていると感じるよろこび 自分が世界を理解し、世界から理解されるよろこび 自分の持って生まれた意図が世界の意図と重なり合い自分を含めたみんなで未来を創り出すよろこび ただみんなそれをしたいだ

          人間は相手に自分の好きが伝わった時、わたしの好きが理解された時 よろこびを感じるものなのですね

          わたしの中心にいる気分

          「わたし今きめ細やかだよね 人が声をかけてくれるね 必要なタイミングに一瞬だけしかお腹が空かずいつも満たされてるよね わたしからのお金の循環がうつくしく鮮やかで声に出ちゃうほど瞬時に還ってくるエネルギーに満たされるよね」 一度体感したこれは そのうちじきにもう既にわたしの中庸で在るもの

          聴覚から得る情報は視覚のそれより今必要なものが必要な分だけ確実に深くわたしに定着する。からの、音声配信気になるの巻

          わたしにとって音楽は 空間を創り出してくれるもの としてのはたらきが大きかった 朝の気分、あの映画のあのシーンのような気分、この人たちと共にいる気分、 室内でも外でも自由自在に。 鼻歌なんてまさに、結界そのもの ー 長野に来てから以前みたいには音楽を聴かなくなった 空間を演出しなくてもいい時間が増えたというか そもそもいる場所とわたしの気分が合っていることが増えたというか。 自分が能動的に音楽を響かせる時に 空間を創り出す要素より 趣味嗜好を満たす要素を多く求める

          聴覚から得る情報は視覚のそれより今必要なものが必要な分だけ確実に深くわたしに定着する。からの、音声配信気になるの巻

          セクシャル的な要素が問題なのではなくて そもそもの人と人とが関係することや愛に対しての概念が根本的に変わるんじゃないの?って話

          〝窮鼠〜〟を観てから原作の漫画も気になって登録してる電子コミックのアプリ内で少しだけ(試し読み分だけ)読んだらそこからボーイズラブ枠の漫画がオススメされまくってきてさ 深く捉えようとしたことがなかったからなんだけど わたしの中でボーイズラブって 流行りジャンルというか このネタだと今人気だからこのネタ使いました 的な感じで描かれてる物が多いイメージだったのと やたらに趣味嗜好というか性癖的な描写というかAVみたいなノリで描かれてるものが多いイメージで わたし自身にシンクロ

          セクシャル的な要素が問題なのではなくて そもそもの人と人とが関係することや愛に対しての概念が根本的に変わるんじゃないの?って話

          〝窮鼠はチーズの夢を見る〟もはや愛と希望しか溢れ出ないのです

          〝窮鼠はチーズの夢を見る〟 すごくよかったの それはもうなんていうか 観た後次の日のみならず数日続くぐらいの余韻で。 思い出すと至福でにやけてくる感じの。 もう一個その前に観た 〝生きてるだけで、愛〟 ってのも久々すごく気に入ったのね そんでふと改めて気付いたのが 自分の中で殿堂入りしてる特別に感じる映画と思ってたのが全部 恋愛ものだったことに気づいてびっくりした 自分的に意外だった ジョゼと虎と魚たち 人のセックスを笑うな 生きてるだけで、愛 窮鼠はチーズの夢

          〝窮鼠はチーズの夢を見る〟もはや愛と希望しか溢れ出ないのです