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世界最高の毒親文学「カラマーゾフの兄弟」とは?

19世紀を代表するロシアの文豪ドストエフスキー。
その代表作である「カラマーゾフの兄弟」が毒親の精神的呪縛からの解放に非常に優れた小説だというお話し。

ドストエフスキーが好き。
だけど、長編どれも1000p以上あるので本読む速度が遅い僕としては読み切るのなかなかしんどい。

でもそれを乗り越えて得る価値がある感動や、心をかき乱すような人間への深い洞察を得られるので頑張って読みます。
最近、カラマーゾフの兄弟を再読しました。

1度目読んだときは僕自身が毒親の過去のトラウマとか、当時の人間関係で悩んでいたこともあって、
その頃に出会ったドストエフスキーの「罪と罰」「白痴」「悪霊」そして「カラマーゾフの兄弟」のなかに描かれている深い人間への洞察に心が救われました。

ドストエフスキーの小説は一つの作品中でも様々なことが語られます。
・罪悪感と贖罪
・道徳の問題
・貧困の苦しみ
・叶わない恋愛の苦しみ
・ニヒリズム
・社会主義革命
・神と現実の不条理の間で揺れる信仰
・家族の問題

なかでも、最初にカラマーゾフの兄弟を読んだ後に衝撃を受けました。

そのときの僕は親から自立して生活していたし、連絡も基本的には絶っていたし、
毒親に対しては「もう何も、人間として当たり前の常識も期待しない。毒親とは関わらない。」と決めていたので、毒親の呪縛から抜け出したと思っていました。

しかし、カラマーゾフの兄弟を読んだあと、ドストエフスキーに人生ではじめて「毒親を大切にしなくていい」と面と向かっていってくれたと感じたんですね。そして、本当は心の一番根っこの部分ではまだ毒親の呪縛から抜けれてなかったんだなぁ・・・と感じました。
今回、再読してこれは特に毒親に悩む人は必読書だな・・・と感じたので紹介します。

物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。
Amazon、カラマーゾフの兄弟(新潮社)商品紹介

パワー系毒親のフョードル・カラマーゾフと、その息子3兄弟が主要な登場人物です。
さまざまなテーマが語られて、それぞれメインだと言えるくらいの重厚さなのですが、ここでは親子関係のことだけにセリフを引用しながら絞ります。

カラマーゾフ老人のような父親は、父親とよぶわけにいかないし、またその資格もありません。父と認められぬ父親に対する愛情など無意味であり、不可能であります。
前掲 下巻 第12編 誤審464p(kindle)

「父親、母親」という言葉は世間では神秘的な意味合いを持たされすぎています。
親子の絆や、親子愛が良しとされ、それが理想であることは認めますが、親が親としての役目を果たさないとき、もしくは子どもに対して悪影響な人格的に欠如した親であるときの世間の無理解は子供を苦しめます。

その疑問に対して、彼は紋切り型の返事をされる。『あの人はお前を生んだのだ、お前はあの人の血肉なのだ、だから愛さなければいけない』青年は思わず考えこむでしょう。『だって親父は俺を作りにかかったとき、俺を愛していただろうか』ますますいぶかしく思いながら、青年はたずねるのです。『はたして俺を作ろうと思って作ったんだろうか? ・・・(省略)・・・親父が俺を作っただけで、そのあとずっと愛してもくれなかったのに、なぜ俺が愛さなけりゃいけないんだろう?』
前掲 下巻 第12編 誤審467p(kindle)

僕自身の経験として、母親の問題について、親戚からは思春期の反抗期からくる不仲だと思われたり、送別会のカラオケでかりゆし58の「アンマー」を悦に入ったように歌われたりして、虫唾が走りました。
一般的に子育てに苦労が多く失敗がつきものなのは想像できますが、それと毒親の人格の欠如から生じる子どもへの加害行為は別の次元の問題です。しかし、第三者からみると同じ問題に見えるのでしょう。

彼らは自身の経験を重ねて悪気もなく言うのです。
「いつか親の苦労がわかる」と。

「アンマー」で歌われる親の献身的な行為は何もしてもらってないのに、それに対する子どもの感謝の気持ちだけは一方的に要求されるのです。

子供を作っただけではまだ父親でないことや、父親とは子供をもうけて、父たるにふさわしいことをした者であることを、率直に言おうではありませんか。
前掲 下巻 第12編 誤審466p(kindle)

親は親であるだけで子どもから無条件に感謝されるべき存在なのか。
子どもを苦しめる行動をいくらとっても親は偉大なのか。
その後の子どもの人生に将来にわたって悪影響を残すような、精神的・肉体的に治らない傷痕を残しても感謝しなければならないのか。

こう改めてハッキリ言葉にして問われれば誰しもNOと答えるでしょう。
しかし、実際に起きている事実としての毒親は、問題としてハッキリ言葉で表現されているわけでもなく、世間は無自覚に親への感謝の気持ちを子どもに要求します。

そして、さらに深刻なのは子ども自身もこの問題がどんな性質のものなのか気づかず、親への感謝という概念と、自分の心で慢性的におきている苦しみのあいだで苦しむのです。

まとめ
カラマーゾフの兄弟は長大で、登場人物も多く名前も分かりづらいし、日本人には馴染みのないキリスト教の話も入ってくるので読むのは苦労しますが、ちょっとしたコツさえ掴めば、単純にめちゃくちゃ面白いし、人間の内面への洞察が半端じゃないし、毒親の悩みも解決してくれるので(多分)オススメです。
ぜひ読んでみてください。

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