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8年前の海


8年前の3月11日 。
各メディアがこぞって掲げる言葉に対して
年々 疑問を感じます 。
風化させないとか 忘れないとか 、
そういうことではないよね っと 。
そうじゃなくて わたしたちは
伝えていかなければいけないんだよね っと 。

まずその前に あの日見た光景や心の感覚は
忘れたくても忘れられない 。
こう思い出している今も
心臓がどきどき早くなります 。
ふと忘れた頃に 自分や家族や恋人が
水にのみ込まれる夢を見ます 。


あの日の 2011年3月11日 、
立っていられないほどの大きなゆれも
どんより暗い空から降る3月の雪も
目の前でみた真っ暗な波も
家の中に入り込んでくる水も
暗闇の中で聞こえた助けを求める声も
水が引いたあとの映画の中みたいな世界も
あのときのにおいも雰囲気も気持ちも
ぜんぶぜんぶ 忘れられない 。


だけれどわたしが言いたいことは
大変な思いをしたよ辛い景色をみたよ
っという体験談ではなくて 、
また同じようなことが起こったとき
どう行動するべきかということ 。


どこのテレビ局も3月11日が近づくと
足並み揃えたかのように
被災地の今を報道します 。
それはやっぱり本質がちがうなと思ってしまう 。
どうしても涙を誘ってるようにしか思えません 。

大切なのはなぜ忘れてはいけないかということ 。
必要なのは 前向きな心構えや対策 。


まずは
津波警報が出たら必ず必ず避難すること 。
ここは大丈夫だろうの感覚は捨ててください 。
わたしの住む場所は海岸沿いではありません 。
だけれど 被害がとてもとても大きかった 。

それから
逃げるときは車は捨てて自分の足で 。
自宅が海岸沿いではなかったものの  
仙台港から2kmほどの距離で 、
産業道路と呼ばれる大きな道路に面しています 。
その道路には波に追われて逃げてきた車で
動けないほど渋滞していて 、
そのまま動けずに犠牲になった人が
とても多かった 。
助かった人は車を置いて近くにある
頑丈で高い建物に自力で逃げた人です 。
数メートルの差で生死が分かれるんです 。
だから 自分の足で出来るだけ早く
高台に避難すること 。

海沿いに住んでいなくても
通勤路や通学路で被害に遭ったり 、
旅先で津波が起きたりするかもしれない 。
ひとりひとりが そういう気持ちを心のどこかに
とどめておかなければいけないと思います 。


震災が起こったときわたしは
高校3年生になろうとしているときでした 。
どんどん歳を重ねても 8年たっても
あの日の出来事は鮮明で 、
むしろ震災に対する気持ちが増しています 。
だからこそ 経験を通して得た心構えや対策を
伝えられるだけ 伝えたいと思っています 。


.. でもなによりも震災での一番の衝撃は
こういう 、命が関わる危機で
人の本質が分かると知ったこと 。
良くも悪くも 。本当に人間性が出ます 。

それを踏まえて
わたしはこの両親のもとに生まれたことも
その頃から変わらず今の彼が恋人だということも
幸せだなと心から思います 。


画面の中のこの小さな場所で
どれだけの人が読んでくれるのか 、
また来るかもしれないいつかの
心構えにしてくれる人がいるのか
分からないけれど 、
どうか誰かのもとに届いていますように 。

だけれど 一番はこの学びを使うことなく
毎日が穏やかな海であることを祈るばかりです 。


ちなみに
災害時の食料として準備しておくものは
一食でおわってしまうような
レトルト食品やカップ麺ではなく 、

切りもち 、乾物 ( 春雨やわかめなど ) 、
それからガスコンロにガスボンベを
準備するのがおすすめです 。
家にある野菜や悪くなる食材から順番に
お鍋を火にかけて 毎日たっぷりと
汁物を作りました 。
春雨をたっぷり入れてカサ増ししたり 、
おもちを入れて お雑煮にしたり 。
腹持ちもいいし 、栄養も摂れるし 、
食材も無駄にならない!
おかげでわたしたち家族は配給に並ばず 、
避難所にも行かずに済みました 。
 ( 二世帯住宅でぎりぎり一階のみの浸水でした ) 

いま思えば キャンプみたいだねえ!と
わりと楽しんで過ごしていたと思います 。
そうしていなければ みんな心が
保たなかったのかもしれないけれどね 。
津波がきた次の日にはバーベキューしました 。
キャンプ道具をフル活用!

ピンチのときこそ楽しむべき!
楽しんだもん勝ち精神が
強かった両親のおかげで
辛い記憶でいっぱいにならずに 、
震災のときの出来事が笑い話に
出来ているのだろうなっと思います 。


やっぱり海はきれいね ᐝ




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