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言葉が生まれるときはいつだってひとり

強気と弱気をいったりきたりしている。

「こんなわたしだって、幸せになっていいはずだ。」という強気と、「もうこれ以上なにかを失いたくない」という弱気と。
こんな気持ちについて誰かに説明できるはずもなく、所在が無い。こんな感情と一生付き合っていかなくちゃならないのか、と溜息をついた。わかってる、自分の責任を自分で取るということはそういうめんどくさいことを受け入れるということだ。

自分にとっての大切なものだけを選んだときに発生する「失くさなくてもよかったもの」の可能性に対して傷付かない訳ではない。
たったひとつの何か、たとえば、出会う順番が違えば、また違う判断を下していたかもしれない。未来はそれほどに紙一重だ。

漫画『凪のお暇』で

男女間の悲劇の引き金はいつだって”言葉足らず”

という台詞があったけど、いつだって人間と人間のあいだで起こる悲劇は“言葉足らず”の他ならない。
それに加えて、故意かそうでないかは別として「意思表示をしていない」ということが意思表示になる、ということをつい最近思い知ったのだった。考えてみればそうなんだけど、今まで考えに至らなかったのだ。

言葉にしなければ全部なかったことになってしまいそうで、それがとても怖いから懸命に紡ぐ。けれど、それがときに邪魔になることも知ってる。
どんなに唇や肌を重ねていたとしても伝わらないものと、手のひらを重ねることでしか伝わらないものと。

得るものがないと知ってから人生は輝く。ないものを数えるのではなく、今あるものに目を向けていくことは堅実に生きるための方法だ。
だとしても、あるものすらわたしはきっと疑ってしまうからキリがない。感情が理性を凌駕してしまう。
こんなんじゃ、誰ひとり守れないよなぁ。ただ唯一の自分ですら。

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