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人生に、よりみちを。

2015年くらいからはじめたnoteのIDをTwitterなどと統一させたくて、イチからスタートすることにした。

過去のログを完全に消してしまうのは少しもったいない気がするので、再編集して載せたり載せなかったりしようかと思っている。(ID変更で一番もったいなかったのは購入・購読していたマガジンや、フォローを消さなくてはいけなかったことだなあ)

過去に書いたものを隠したり消したところで、なかったことにはならないし、そんなことで簡単にリスタートできるもんじゃないってくらいに、残念ながら人生は地続きってことはわかっているつもりだ。
それでも、未来のわたしのために今のわたしが残していきたいことや気持ちの置き所として、自分自身が拾い続けれるようにするためには多少整えることはしたほうがいいと思った。
そうやって過去に手を加えているうちに思う。人生は編集していけるはずだと。(この段落は前ID時に投稿した文章ほぼそのまま使用しています)

再編集にあたって、大ファンのDr.ゆうすけさんの投稿にこんな言葉があった。のを思い出す。

「過去」が「今」を作るのではなく「今のあり方」が「過去へのとらえ方」を変えて「未来への嘱望」も変わるということばがすごい好きなんです。 今の生き方を変えれば、過去の経験の意味付けも変えられる。過去は変えられるんですよ。
だったら、今は生きづらいかもしれないけど、まず今の生き方を肯定できるようなアプローチの方法とか思考の材料をとりあえずいっぱい集めてくれば、どっかで何かがヒットするかもしれないよね。

IDを変える前から購読しているマガジン『月刊 自己肯定感』は有料なのだけど、ぜひ購読して読んでほしい)

この言葉が本当に好きだ。携帯のメモ帳にコピペしてはときどき取り出すようにして何度も読んでいる。

わたしたちは毎日知らず知らずのうちに様々な選択をしていて、それこそ、息をする行為ひとつですら立派な編集行為だと思う。もう既にあらゆるところで言われているのだろうけど、編集って編集者が行う特別なことじゃなくて、誰にとってもものすごくありふれた「日常的」な行為なんだろう。

だから、「生きてるって編集」だと思う。
そして、わたしはこの編集行為について、愛を込めて「よりみち」とよびたい。

わたしの人生は「よりみち」だらけだ。
はたから見たら、間違いだらけのポンコツ人生かもしれないけれど、いつしか「自分自身がなにより自分の味方でいなきゃだよなあ」って思うようになってから、随分と生きやすくなった。

まだまだ転んでばかりいるけど、よりみちは決して遠回りなんかじゃない。無防備な自分のままで、自然とそう肯定できたとき、大袈裟だけれど生きていてよかったと心から思えたし、少なくとも、そのことをわたし自身がいちばん面白がってる。
そのことを出来る範囲でいいから、自分のために書き記していけたらいいな~なんて思ってる。(書かないかもしれないけれど)
なんにせよ、日常から溢れた分を時折綴れたらな、と思います。

人生に、よりみちは必要だ。
わたしは、このよりみちを誰よりも楽しく歩んでいく。


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