見出し画像

即興,インスタレーション -田中泯×名和晃平 初コラボ[彼岸より]@YCC県民文化ホール

 1月11日、甲府駅。


 彫刻家の名和晃平、舞踏家の田中泯との初のコラボレーション舞台が、YCC県民文化ホール(山梨県民文化ホール)で開催されると知り、チケットを入手して心待ちにしていた。

名和晃平×田中泯、初のコラボ

 タイトルは、『彼岸より』。

舞踏?インスタレーション?

 一切の予備知識なくして、まずは鑑賞することにしていた。

 舞台構成は、かなりシンプルだ。舞台向かって左手に、一本のポールのようなもの(山?山と横向きの人間を象った何か? にも見えたりする)が置かれ、その頂点に、下記記事の《PixCell-Kannon#7》と同様に透明の球体(セル)で覆われた、ピクセル的な鳥がとまっている。(わたしの印象では、火の鳥的な、なにか大きなものを象徴する大型の鳥に見えた)。

 ぼろをまとった独りの男(田中泯)が、舞台右手の「穴」からゆっくりと顔を出し、出てくる。動きは非常にスローだが、緊張感がある。前から5番目の席でも視界があやしくなるほどの、大量の霧(スモーク)が流される。

 嵐が起きる。男は手に入れた「火」を全身で護ろうとする。いつのまにか男の全身は(血で?)赤く覆われている。男はひたすら、苦しそうにしながら、何かに抗い、進んでいく。爆発?、風、地鳴り、大量のスモーク。

 「ダンス」「舞踏」からイメージしていたものとは異なり、はじめは戸惑った。でも観ているうちに、どこかでこのような鑑賞をした記憶がよみがえってきた。それは、現代アートのインスタレーションだ。

 わたし自身がダンスに詳しいとはいえず、アートのほうが少しましなくらい、という経験の差はあると思うが、そんなわたしの感想としては、「これは、舞踏家が身体を駆使した、インスタレーションなのではないだろうか」と。

NHKの取材動画を観て

 1時間と少し、で終演。「えっ、これで終わり?」と思った観客も多かったのではないかと思う。まばらな拍手、ためらいのような空気が会場に漂っていた。じつはわたしもそのひとりだ。舞台に、田中氏と名和氏が並んで立つのを見て「ああ、終わったんだ」と思った。

 情報量の多い舞台だったとは思う。ただ、もしかして幕間があり、そのあとで、何か決着をつけるような、ダイナミックな舞踏の世界が展開するのではないかと期待もしていた。でもそうはならなかった。

 一体何だったのだろう? と思いつつ、帰路ではまだ「答え合わせ」はせずに、一夜明けて、関連情報を読んでみた。

 最も詳しいと思われるのが、NHKの取材動画だ。

ダンサーの田中泯さんと、彫刻家の名和晃平さん。
国際的に高く評価される2人が、京都にある名和さんのスタジオで舞台芸術の作品を作っています。
既存の表現を超えようとそれぞれに活動してきた2人のコラボレーションの様子をお伝えします。
作品は、来年1月、田中さんが暮らす山梨でお披露目されます。

同上

即興の「場踊り」×現代アート

 この舞台全体が、名和氏と田中氏によって綿密に創りこまれていた。上の動画の中で、田中氏は「穴から出るのに10分はかかるよ」と笑っていた。時間的な感覚はそのとおりだったと思う。その最初のシーンで、物語が流れ出る。時を同じくして、実際に、霧の川が流れ出る。

 中盤での大きな変化は、男が拾い上げる「棒」の存在だ。同じく動画内で田中氏の語る「棒の存在で、舞台が大きく変わる。棒を持つというのは、遊びか暴力かのどちらしかない」は、重要な意味を持つのだろう。

 これらは「今」やっていることだ、2人の芸術家はそう確認しあってこの舞台を作ったという。現在でも未来でもなく今。「今の僕たちが、いろんなことに腹を立てているし危惧を感じている」「それはどこかで表明しなければならない」と、田中氏。

 「やっている最中は、お互いハラハラしている。でも、僕は彼にがっかりしないですんでいるし、彼は僕にがっかりしないですんでいる」――そんな緊張の上で生み出された作品。

 インタビュー動画を見て、舞台を鑑賞したさいの自分の感想を重ねてみれば「ああ、だから・・・」という納得感があった。もちろん、そうした作家たちの意図とは別に、自分なりの感想があってもいいのだけど。

 即興の「場踊り」。それを含む世界はやはり、現代アート、インスタレーション的なものとして捉えてもいいのかな、と、わたし自身は思った。

優れたアートは人の心に傷を遺す

 優れたアートは、人の心に引っかき傷を遺す――。あるイベントで聞いて、それ以来いつもどこかにある言葉だ。

 最後のモヤモヤ、それは、インタビュー動画での田中氏のコメントにも繋がる。予定調和やハッピーエンドでは決して終わらない現実。

 そんなひっかき傷を負いながら、同時にどこかカタストロフィもあった。いまだにまだまだモヤモヤしながら、自分のなかで少しずつ消化している、それは、優れた作品だからこその傷跡、なのだろう。



この記事が参加している募集

イベントレポ

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?