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「さよーならまたいつか!」もやっぱり歌いたい。

「ちょっと変わったキャラ」が周りの人間がもっている”フツー”の価値観を動かしていく(変えていく)そんなドラマが好きだ。
「僕らは奇跡でできている」の相河一輝。
「ラジエーションハウス」の五十嵐唯織。
「厨房のありす」の八重森ありす。
「ATARU」のアタル / チョコザイ。
「僕の歩く道」の大竹輝明。
特に「僕らは奇跡でできている」はとてもいいドラマだった。
相河先生や、アリの研究をしている沼袋先生など、コミュニケーションに少々難のある(自覚のあるなしの違いはあるが)人物と、他人に忖度したり自分の価値を高めるために頑張りすぎるまわりの人物との対比がとても上手に細やかに描かれていた。

「ちょっと変わった」とか「普通と違う」とかいう言葉は、あくまでも普通の人間視点の表現なのかもしれない。だとしたら「普通」とはいったい何なのか?普通であることが本当に素晴らしいことなのだろうか。
誰にも迷惑をかけず、健全な価値観をもち、人との関わりも特に問題なくこなす。そういう人が本当に存在するのだろうか。

ADHDなのかもしれないと自分を見つめはじめてから、「普通」ってなんだろう、「普通」でないことがそんなにいけないことなのか、と考えることが多くなった。
普通とか定型発達(←この言葉もあまり好きではないが)とか言われる人達は、ほんとうにまともなのか。っていうか、「まとも」って何?

そして私たち【ちょっと普通と違う人間】はその普通の価値観に何度傷つけられてきたことか。ただ、相手は罪の意識がないし悪意のない善意というものもあるので、こちらが勝手に傷付いてきたのかもしれない。

米津玄師さん。
『Lemon』で興味を持って、この人どこか普通と違うなーとは思っていた。のちに彼が発達障害を抱えていることを知り、それを克服して溢れ出る才能を開花させたのは素晴らしいと思った。
新曲(今話題の朝ドラ『虎に翼』の主題歌)「さよーならまたいつか!」のmvの中で彼はとてものびのびと自由に羽ばたいている。
「KICK BACK」の彼はめちゃめちゃ筋トレしたりトラックにふっとばされたりパルクールしたりとかなり過激だったが、「さよーならまたいつか!」の中の彼は見ていて気持ちが良い。楽しそうだ。

今更、と思うが米津玄師さんのように才能も開花させられず、人との関わりにおいてなかなか心が休まることのない自分はこれからどうすれば良いのか。

幸い、漫画や音楽が好きで、面白い人やもの、作品へのアンテナ(嗅覚)は人一倍あると思う。これはADHDの特性といってもいいかもしれない。
色々なエンタメ系メディアを楽しんで自分のものにしていくしか、自分に与えられた道はないと思う。

というわけで「さよーならまたいつか!」がまたしても歌いたくなった。
これは・・・ハードル高そう。
でも「KICK BACK」をようやく歌えるようになったので、大丈夫そうだ。頑張ってみよう。

誰か、こんな自分でも受け入れてくれる人と一緒にカラオケに行くその日のために。