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ハイウェイ         

あのハイウェイ。

あそこに上ろう。

ボヤボヤしてちゃいけない。

のんびりしてるとチャンスを逃しちまう。

そう、急いで上らないと。

俺には時がないんだよ。

そして金もないんだ。

ああ、だけど何も心配なんかしちゃいない。

そう、何もかも心配いらない。

俺はまた「俺」になれるんだ。

あのハイウェイの先には全てが詰まっている。

この暗闇が明けるまでに、突っ走るんだ。

なに、すぐに目的地には着くさ。

だから月がてっぺんに見えている間に、こっから出ていくんだ。

俺には見える。

あのハイウェイが。

幸いにハイウェイに通ずる「キー」も持っている。

こっから塵一つ残らず立ち去ってしまうんだ。

二度とこの地に引き返すことはないだろう。

あいつらにもう会えないのは寂しいな。

そしてベイビー、もう一度キスしたかったよ。

あぁ、思い返せば良い事もあったんだな。

悪くはない。

悪くはないが…。

何もしてくれない。

んで、家から追い出されるのはもう御免さ。

俺には新しい目的があるんだ。

だから…

ハイウェイに通じる「キー」を持って

ここを出ていくよ。

もう戻りはしない。

全速で、旅立たせてもらうよ。

ぼやぼやしている暇はないんだと…。


ニューオーリンズからルイジアナ、ワイオミング、ミネソタまでを貫く全長1,400マイル(約2,300km)の長い道。

ハイウェイ61号線。

「デルタのメイン・ストリート」や「ブルース・ハイウェイ」と呼ばれ、しばし音楽の題材でも扱われている。

ボブ・ディランの名曲、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を収録した「ハイウェイ61」という名作アルバムがあったり、ミシシッピ・ブルースマン、フレッド・マクドゥウェルが61号線に対するブルース・マンとしての情景を込めた「61ハイウェイ」など、作品は色々あり実に興味深い。


自分がもしもあの世に召されるようなときは、ハイウェイ61に埋めてくれとした先達ブルースマンたちの願いと同様に歌って締めくくるマクドゥウェル。
ハイウェイは農夫として特定の場所に留まざるを得なかった男の、いつか自由に旅立てる道という究極のイメージである。

ブルース百歌一望 日暮泰文著
143ページより抜粋

1959年、ミシシッピ丘陵地帯のコモという小さな町で民族音楽研究家のアラン・ロマックスによってフレッド・マクドゥウェルは発見される。

農夫として暮らしを営んでいたマクドゥウェルは、アランに見出されたことによりブルース・マンとしての道を歩むことになる。

当時年齢は50代を超えていたとか。

現代風に言うと「遅咲き」ってやつなんでしょうね。

ちなみにアランとミシシッピで初めて会った時に、マクドゥウェルの演奏を録音している。

マクドゥウェルにとってはこれが人生で初めての「録音」だったそうで、機械越しに聴く自らの声と演奏にそれは大変興奮したそうだ。

アランがこの出会いの時にマクドゥウェルの演奏を4日間に渡って録音する。

その際に録音した中の一つに「61ハイウェイ」があったそうだ。

引用でもあるようにハイウェイ61は一種のメタファー(隠喩)のような存在なのかもしれない。

❝自由に旅立てる❞

ハイウェイは一種の憧れの情景のようなもの。

マクドゥウェルはそんな思いを込めていたのかな。

実際にはマクドゥウェルの住んでいた村とハイウェイ61はやや離れているそうだ。

それだけハイウェイ61は離れた場所にいたマクドゥウェルにとっても、憧れの場所であった…。

そうともとらえれるのかも。

ちなみに、ブルース音楽重要地点でもあるミシシッピ州クラークスデイルの東側にハイウェイ61は道を走っている。

そのクラークスデイルからまもない地点ではハイウェイ61と49号線が交わる「十字路」がある。

ロバート・ジョンソンが深夜悪魔に魂を売り、凄腕のギターテクニックを身に着けたと言われる「十字路」。

そのようにも言われているそうだ。

49号線をさらに南東の方向に行くと、タトワイラーという街に着く。

エリック・クラプトンが18歳の頃、ヤード・バーズ時代バックで演奏をしていたサニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡの墓がある場所でもある。

色々と調べてみるとこの一帯はブルースの重要地帯であることが伺える。

ハイウェイ…。

61だけではなく、現在ではインターステイト・ハイウェイ55やローカルの51号線、前述した49号線など道は様々。

それは今いる場所からの「自由」への象徴なのかもしれない。

今ある環境からへの「変化」としても。

ブルース・スタンダードでもある「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」。

古くはビッグ・ビル・ブルーンジーのナンバーと言われ、そこから数多くのミュージシャンがカヴァーをしてきた。

2000年にB・B・キングとエリック・クラプトンが共作したアルバム「ライディング・ウィズ・ザ・キング」にも収録されている。

歌詞では主人公がハイウェイへの「鍵」を持っていると歌われる。

そして今いる場所をもう出ていかなくては…。

走って出ていくんだ。

歩くのでは遅いんだ。

う~ん。

この急いでいる感じがゆったりとした曲調と違った感じで、何となくではあるが切羽詰まった何かがあるんでしょうね。

月が山の上から見えて来たら出発して、夜が明けるまでハイウェイを走ったりするなどの描写があり、「クロスロード・ブルース」にもあるように「夜」という時間帯が絡んでいるのも考えさせられる。

その時間帯が自分にとって動きやすいのか、はたまたその時間でないと駄目なのか。

もしくは「夜」というのが一種のメタファーなのかもしれませんね。

その場所で付き合っていたであろう彼女ともう一度キスしたかったことや、二度とこの地には戻らないと強い覚悟を示す描写もある。

そして歌詞の和訳では家から俺を離して…っとうような場面も。

それをそのままの意味でとるのか、「夜」や「家」を何かのメタファーとしてとらえるのか…。

その深みは非常に興味深いものがある。

果たしてハイウェイに上るための「鍵」ってなんなんでしょうね。

ハイウェイに上り、新たな場所で目的に向かって歩むための手段…。

「鍵」は「音楽」なのかもしれませんね。

強い思いで故郷を後にして、ハイウェイに乗りブルース・マンとして生きていく。

ハイウェイへの鍵は、自由への「キー」でもあり、自らを自由にしてくれるのは「音楽」なのかもしれない。

そして、先人達はどんな思いでハイウェイに乗り故郷を後にしていったか。

そんな思いを忘れないためにも「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」は後世に歌い継がれるブルーズのスタンダード・ナンバーになったのかと思ったり。

いずれにせよ、「ハイウェイ」とブルーズの関係の深さを考えさせられるナンバーだ。

ひたすらに優しく、B・B・の味わい深い声と共に暮れ行く夕日を思わせる感慨深い演奏。

月が山の上から見える頃に、あのハイウェイへ…。

一つの移動手段だけではない、憧れともいえるあの「ハイウェイ」。

ますますその地へ行って、この目で見てみたいものだ。

記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!

・冒頭の詩のようなものは「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」の歌詞を参考にしながら、独自の解釈を付け加えて描いてみました。





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