宮島の印象

昼間鈍行(8)小雨降る宮島でモノ思うの回(後)

宮島と言うと厳島神社のイメージが強いが、実はそれ以外にも数多くの寺社仏閣がある。人混みを抜けて、ちょっと裏へ探っていけば厳島神社の影でひっそりと佇むそれらに出会える。

五重塔が見えたので近くまで言ってみようと少し登った途中に、小さなお茶屋さんを見つけた。"岡茶屋"、とあった。時代劇で旅人が腰を下ろして茶でも啜っていそうな良い雰囲気のお茶屋さんで、自分もそんなひとりの気分を味わってみたくて暖簾をくぐる。

"力餅"(ちからもち)が代表的なメニューだということで、僕もそれを注文すると、こう言ってはなんだが普通のきな粉餅とお茶が出てきた。それでも、小雨に降られながら宮島口駅からしばらく歩きっぱなしだったので、ほのかな甘みとあったかいお茶が身体に染み渡る。厳島神社周辺ほど人でごった返してもいないので、僕は久しぶりに一息ついて、ぼんやりと通りを眺めていた。

近くに"千畳閣"(せんじょうかく)という名所があるとのことなので、帰りのフェリーに向かう途中で立ち寄ってみることにした。

それは、真っ黒だった。塗られた色では無い。数百年という時間が滲み出ている。

千畳閣は16世紀に豊臣秀吉によって慰霊を目的に建立され、千枚の畳が入るほどの大きさという意味で"千畳閣"と名付けられたらしい。(実際には900枚程度らしいが、それでも相当な広さである。)

太い柱が重厚な天井と屋根を支えている。天井を下から見上げると、真っ暗な闇の中に何点もの絵や彫り物が飾ってあるように見えるが何だかはわからない。その容易に姿を見せない様が、実際以上の建物の奥行きを偶然に演出しているよう感じた。

千畳閣には壁がない。だから、黒ずんだ何本もの柱の向こうに宮島の弥山原始林が遠くで青々しく茂っているのが見える。黒色との対比で、より鮮やかな緑色を放っている。

耳をすますと、小雨のささやくような音しか聞こえない。雨が音をかき消しているのか、自分以外に人ひとり居ないだけなのか。

現代的なものが周囲に無いから、何だかひとりで大昔にきてしまったかのような妙な感覚に包まれる。

しばらく目の前の光景と聞こえてくる音に浸っていると、「これらは全て、形を変えているだけだ」という考えに至った。

千畳閣を成す木々は当然かつてどこかの地で生い茂っていたものであり、向こうに見える原始林と本質は変わらない。千畳閣に、原始林に降り注ぐ雨は、これもまた形を変えているに過ぎず、かつては海の一部だったのだろうし、誰かの体液として生命を維持していたに違いなく、はるか上空を雲として漂っていた日々もあるだろう。

道中、僕が食べた、"力餅"。実はかつてこの千畳閣を建築する最中、工事を行う力夫たちに振舞われたものに由来するのだそうで、彼らのお腹を満たし、仕事の活力を与え続けたことからいつしか"力持ち"をもじって"力餅"と呼ばれるようになったらしい。考えてみればこの餅もお供のお茶も、形を変えた草木と水に過ぎない。

手前に見える漆黒の柱も屋根も、遠くに見える草木も、降り注ぐ雨も、さっき食べた力餅もお茶も、結局は形を変えながらあり続けているだけなのだ。

僕らの大先輩たちは生きるためにそれらの形の変え方を工夫した。身体的、精神的充足のために"加工"した。もちろん不可逆的なものでは無く、きちんとまたいつか自然の中に還っていけるような加工を。きっと千畳閣も、放っておけば、いつかは朽ちて山の一部になれる。

何の本だったか忘れたが、「日本という島国には、資源と言えば湿潤な気候の中で豊かに育った草木と豊富な水くらいしか無く、かつて人々はそれらとうまく共生するよう工夫せざるを得なかった」という旨の文章を読んだことがある。

僕は学がないので仏教のことはサッパリであるが、日本という国で「無常観」のような考え方が仏教と共に浸透した理由も、何だか頷けたのだった。

帰路、ふらりと立ち寄った土産物屋で名物の焼きガキをひとつ味わって外に出たら、さっきまでの小雨がいささか強まっていた。外国人観光客が、何かを叫びながらフードで頭を隠して屋根のある場所へ駆けている。僕も足早にフェリー乗り場へ向かい、宮島口駅へつくと広島市へ向けて僕は再び山陽本線に飛び乗った。

すっかり充電の減ったスマートフォンで見た天気予報は、広島に着く頃には大雨になっている、と告げていた。

***

厳島神社と千畳閣の印象の違いをおすそ分け。
片方を手で隠してそれぞれ見てください。

_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_ > 読んでいただきありがとうございます <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄