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高校生での妊娠を考える〜子育ての社会化の必要性〜

今日は『まだ見ぬあなたに』の上演会とトークセッションに参加してきました。

神戸市長田区にあるはっぴーの家ろっけんさんお邪魔してきました。

はっぴーの家ろっけんさんは多世代型介護付きシェアハウスという珍しい場所づくりをしています。前に記事で見てから一度訪問してみたかったところの一つです。私がまた記事はこれです!

「1人のプロより100人の素人」

「エゴを社会化」

とても共感できる理念です。私が大学院生で妊娠・出産をして、託児ボランティアを募集する時にこんな個人的なことで勝手にボランティアを募集していいのかな…周りに迷惑なんじゃないかな…等々悩んでいた時にこの記事を読んで、とりあえずやってみよう!と思うきっかけをくれました。首藤さんは子育てが夫婦2人だと大変という個人的なところからこのはっぴーの家ろっけんさんを始めたそうです。そしたら今ではこんな大きなコミュニティとなっているそうです。週に200人はすごい…。「個人的なことは社会的なこと」とはまさにこのことですね。

さて、本題から逸れてしまいましたが、今回はっぴーの家ろっけんさんで上映された『まだ見ぬあなたへ』は、同級生の男の子との間で妊娠をしてしまった17歳の少女のお話です。中絶できる週数を超えてしまい、どうすることもできなくなった少女は自殺をしようとするのですが、図書館の司書さんが止めに入るというところから物語はスタートしました。結果的に少女は養子縁組を選択しました。

妊娠がわかった時には本人たちの気持ちは全く無視して、本当に妊娠しているのか?嘘を言っているんじゃないか?親は何していたのか?中絶できる週数を超えていると言っているのに堕ろすべきだ、育てられるはずがないと口々に言っていた大人たち。そして、自主退学をするように勧める学校。

誰も妊娠したこと、新たな命が生まれることを祝福されない状況。妊娠という現実から目を背けて、責任問題ばかり問い詰めて、生まれてくる子どもや本人たちの思いはまるっきり無視される。未成年であることから妊娠したのは少女であるのに、自分の身体になされることについて、自分で決められないのである。もっと本人を中心として、建設的な話し合いをすべきではないのか、と思いました。妊娠したことを責めるのではなく、どのような選択が可能なのか、これからの人生について一緒に考えてくれる人が必要である。

少女は結果的に子どもを養子縁組に出すことを決めており、子どもを育てられなくても責められるべきではない、いのちをつなぐということがとても大切なことなのだというメッセージが込められていました。

少女は出産が近づく中で子どもを育てたいという思いも待っていたが、今後の生活を考えた時に自分も子どももダメになってしまうと考えたため、養子に出すことを決めた。個人的には、養子縁組という制度のことを知ってもらう、普及させていくことはもちろん必要であると思うが、一方で何歳で生んでも子どもを育てることができる環境を整備することも大切だと考えている。本当にしたい選択(中絶、養子縁組、自分で育てる)ができ、どの選択をしても責められることのない社会になるといいなぁ…

後はやっぱり子育ての社会化が必要だと思う。10代で生んで1人では育てることが難しくても、周りにたくさんの大人がいたら皆で助け合いながら子育てをすればいい。今日の上演会の参加者の1人が「血縁を超えたつながりの中で子育てをしていく」と言っていた。まさにその通りで親が子育てをしなければならない、という考え方からもっと自由になることが必要だと思う。親だけで子育てをするのはしんどい。それは年齢関係なく言えることだと思う。実親や義父母を頼れない場合もあるし、実親や義父母だからこそ頼るのが難しいこともある。もっと周りに頼れる人が増えていけば、できることも増えるし、何よりも子育てが楽しくなるんじゃないだろうか。

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