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真のインクルーシブ教育とは

私は最近「幼児教育」にハマっています。主に海外の論文を調べたり、比較したりしながら、最高の幼児教育は何か?を探し続けていました。その結果、見つけたのは、「遊びを中心としたインクルーシブな幼児教育」です!

「えーなんでインクルーシブが最高の教育なの?」
「インクルーシブで得をするのは、特別支援の子供たちだけでしょ?」
「普通の子供たちにとっても最高の教育ってこと?」

そう思う方、多いですよね。

それは日本では、インクルーシブ教育が正しく伝わっていないためです。
間違った解釈で広まってしまっています。
日本で一般的に理解されている「インクルーシブ教育」と、世界的に言われている「インクルーシブ教育」には、根本的な解釈の違いがあります。

問題はそこじゃない!日本のインクルーシブ教育 

先日国連から、日本の特別支援に対して「分離教育をやめてインクルーシブを導入するように」と圧力をかけられたという話がニュースになりましたよね。
日本のメディアは「分離教育 vs インクルーシブ教育」という対立構想で論じていましたが、問題はそこではありません。
国連が問題視しているのは、「分離教育という外側のシステム」だけでなく、「日本の特別支援教育の中身」の方なのです。

アメリカの特別支援も分離教育

実は、インクルーシブ先進国のアメリカでも、日本と同じ分離システムを採用しているんですよ。日常的な生活に支援が必要な子供たちは「コミュニティベース」と呼ばれる特別支援学校に通っています。
ある程度身の回りのことは自分でできる子供たちは、日本の特別支援学級と同じ、公立小中学校内にある特別支援学級に通います。

でも日本のように「分離教育を撤廃しろ」とは言われていないですよね。なぜなら、個別のニーズを満たしているからです。

日本とは比べ物にならない!?アメリカの特別支援教育への取り組み

日本がアメリカ型特別支援を目指すことは、おそらく不可能でしょう。それは根本的な歴史や考え方が違うからです。

人種差別が根強かった1960年代のアメリカでは、人種差別撤廃運動と同時に、障害者差別をなくそうという流れも起こりました。1970年代には、障害を持つすべての子供たちが、最高水準の教育を受けられるようにすることを約束した障害者教育法:IDEA(Individuals with Disabilities Education Act)が成立しました。不平等に対する命を賭けた撤廃運動で勝ち取った平等ですから、外圧でしぶしぶインクルーシブ教育を取り入れただけの日本とは、社会的熱意、政治的意思、資金力とも比較になりません。

この法律のおかげで、アメリカの特別支援の子供たちは、自分のニーズに応じて専門家(言語療法士、理学療法士、作業療法士、行動療法士など)のサービスを個別に受けることが可能であり、そのために発生する費用は、3歳から22歳の誕生日の前日まですべて無償で提供されます。

日本でも、アメリカの特別支援サービスを取り入れて、アコモデーション(日本では「合理的配慮」と言われている)とモディフィケーション(カリキュラム等の変更)を導入していると言っていますが、アメリカの支援の手厚さとは全く違います。
その他、サポートスタッフの人数も少ない、最も制限の少ない環境で学ぶ権利もない…。とにかく日本の特別支援は、インクルーシブに必要なリソースはほとんど揃っていない、というか中身が無いのが現状です。

日本の場合、支援を必要としている子供の権利や幸福のためというより、行政のためですよね。「福祉もちゃんとやってますよ」っていう事実を作るためだけですよね。国連にはそこを指摘されているはずです。

法的効力を持つアメリカの個別指導計画:IEP

IDEAが定めた特別支援サービスの中で最も注目すべきは、IEP(個別教育計画)でしょう。これは、生徒一人ひとりの現在の能力レベル、目標、必要な支援やサービス、進捗状況などに基づいてカスタマイズされる個別の指導計画です。最大の特徴は、学校と生徒の間の法的拘束力のある教育契約であることです。したがって、学校はその中で約束されたことをすべて厳密に守らなければなりません。もし学校がIEPを守らなければ、訴訟を起こされ、学校は必ず敗訴することになります。

日本の個別指導計画:IEP

日本でも、米国と同じ「IEP」という名称で、特別なニーズを持つ子供たちのための個別指導計画が導入されています。しかし、日本のIEPはアメリカのような法的効力を持たないため、ほとんど活用されておらず、作成すらしていない学校もあります。作成しても、保護者用と先生用の2種類のIEPを作り、後者は機密文書扱いで、校内だけで閲覧できるようにしているところもあります。これはひどいですね...。日本における子供の権利はいかに蔑ろにされているかがわかります。

日本の文化的特徴&価値観

日本は人権の意識、人として皆平等という意識が薄いですよね。
文化的に仕方ないです。
日本は、先輩•後輩、上司•部下、店員•客のような上下関係の社会ですから、上の者は下の者の人権を無視する行動、ハラスメントやいじめ、モンスタークレーマーが後を絶たない社会になっています。

また日本は同質的な文化でもあります。日本に住む人口の97.9%(The World Factbook, 2022)が日本人であり、単一民族の割合が世界で最も高い国の一つです。日本は他国と陸続きではなく、言葉の壁も大きく、一生を日本で過ごせるほど発展しているため、他国の人たちと比較して「違い」を受け入れることに慣れていない私たちです。

日本では、「違う」には「異なる」と「間違っている」の2つの意味がありますもんね。つまり、「違う」ことは「間違っている」と考える文化で生活していますから、多文化やインクルーシブを受け入れることがなかなか難しいのは仕方のないことです。

校長室の前に掲げられた「みんな違ってみんな良い」

これはとりわけ教育現場において顕著です。特に中学校は、異質なものを許さない文化です。なぜ、靴下の色や髪をまとめるゴムの色まで校則で決める必要があるのでしょうか。

私が教員していた中学校では、校長室の前に
「みんなちがって、みんないい」
という言葉が掲げられていました。

これは、
「みんな同じであるべき 」
という暗黙のルールがあることを認めているようなものです。だって普通、当たり前のことをわざわざ言ったりする必要なんてないじゃないですか。

このような社会では、特別支援に対するスティグマがまだ強く残っていて、なかなか進んでいかないんです。

国連は日本に何を要請しているのか?

国連が日本に要請していること、それは

現在の画一的な教育システムを廃止し
生徒一人ひとりのニーズに合った教育を提供する

ということです。「インクルーシブ教育」とは、
ただ特別支援の子供たちを通常学級に在籍させ、
みんなと同じ授業を受け、
みんなと同じ課題をこなすこと、

つまり
みんなと同じ」
を目指す教育ではありません。

「本物のインクルーシブ教育」とは、
障害の有無、才能の有無にかかわらず、
子どもたち一人ひとりが
平等に学ぶ機会を得られる教育のことです。

ですから、みんなが一人一人、自分のニーズに合った、別々のレベルの課題に取り組んで、自分の能力を最大限に伸ばす機会が平等に与えられることを「インクルーシブ教育」と言うのです。

同じ学年だから、同じ性別だから、同じクラスだからと、一人ひとりの能力のニーズを無視して、同じ教室で、同じ教材で、同じことを学ばせる教育は、誰のニーズにもあっていません。画一的な教育は、特別支援の子だけに合わないのではなく、誰にとっても適切では無いということです。みんなこれに気が付いているのに、変わっていかないんです。
それは、
日本は、他の国とは違い、法律やシステムを人のために変えるのではなく、人を法律やシステムに合わせようとする国ですから。その結果、人々が犠牲になることが多く、本物のインクルーシブが進まなくなってしまいます。

日本では、「インクルーシブ教育=質の平等」と考えるのが一般的なので、この考え方を変えない限り、教育の機会の平等は実現しません。

そこで、幼児教育から、真のインクルーシブを始めることが重要だと思うんです。子供たちがまだ偏見のないうちに、ひとりひとりの違いを個性として尊重し、自分は自分に合った学び方をし、みんなが違う考え方や性格を持っていることを認めながら、仲良くやっていくスキルを身につけさせたいと思っています。彼らが大人になって、世の中の価値観を変える方が、政府や法律を変えるのを待つよりも、より早く現実的な変革につなりますよね、きっと。
そういった意味でも、インクルーシブ幼児教育が最高の幼児教育と言えます。


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