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生きている限り心に寄り添う本と出会って、ジンバブエへ行った『ゼンゼレへの手紙』

心の奥深くにいつもひっそりと生きている本がある。
何度でも読み返し、そっとカバンに忍ばせ、ふとした瞬間にその本の言葉を思い出す。
長い年月のあいだ、ずっと一緒に生きているような本。
わたしにとってその一冊とは間違いなくJ.ノジポ・マライレ氏著の『ゼンゼレへの手紙』だろう。(ベッシー・ヘッド作品とは別だ)

最近、もう何度も読んでいるのだけれど、またこの本を味わいつつ丁寧に読み返していた。

『ゼンゼレへの手紙』は、ジンバブエに暮らす母親のシリが米国ハーバード大学に留学している娘に宛てた長い手紙の形式を取った小説である。

ジンバブエの農村に生まれ育ったシリは、弁護士の夫と結婚し娘のゼンゼレを育て上げた母親。
新しい世界へと羽ばたいていく娘ゼンゼレに宛てて、アフリカのこと、人生のこと、ジンバブエの解放闘争での経験、愛について、家族について、アフリカの頭脳流出、そしてこの世界に未だ蔓延る人種主義や差別のことを語る。

母親から娘への愛情あふれることばは美しくリアルだ。

この作品は、1996年ニューヨークで出版された。
著者のマライレ氏は、ジンバブエ出身の神経外科医である。
ハーバード大学からコロンビア大学、イエール大学を経て医師となり、ジンバブエに戻った現在は起業家として活躍しているマルチな才能を持ったひとだ。

英国植民地であるローデシアが、人々が多くの血を流した解放闘争を経て独立しジンバブエになる。激動と変化の時代を生きてきたのが母親シリであり、著者のマライレ氏なのだろう。
そのリアルな経験が、作品にはふんだんに詰め込まれている。

わたしがこの本に出会ったのは、大学を出てエディンバラ大学に留学する前のことだから、もう二十数年も前だ。日本語版は1998年に出版されているから、おそらく99年ごろではないかと思う。

ちょうどわたしも初めての英国留学を前にし、ハーバード大学に留学する娘に宛てた手紙というこの作品に親近感を覚えたのかもしれない。

わたしは学部生時代からアフリカ研究をしていて、2000年にエディンバラ大学アフリカ研究センター修士課程に留学したときには、この本をお守りのように鞄に入れて持って行った。

当時はもちろん、やがて自分が2005年にジンバブエに赴任することになるとはまったく思っていなかった。

2001年にスコットランドから帰国してから、どうしてもアフリカで仕事をしたくて試行錯誤していたけれど、2005年に偶然ジンバブエの日本大使館での仕事の公募を発見し、思い切って応募した。
本当に行きたかった国はベッシー・ヘッドの暮らしたボツワナだったけれど、ジンバブエは隣だしいいか、と雑な発想だった。

それでも初めての国に暮らすとなったとき、少しの不安を抱えるなかそっと背中を押してくれたのは確実にこの本だったと思う。

作品いっぱいに綴られた母親シリの温かく優しく力強い言葉。見たことのないジンバブエの風景。
この本が心の奥にあったから、ジンバブエに行けることがうれしくてたまらなかった。

その後、長い年月を経てわたしはいくつかのアフリカの国を仕事で訪れ、国際協力の仕事で念願通りアフリカに関わり、年齢も重ねた。

時を経て、理解も感動もより深くなっているかもしれない。この作品の色鮮やかさと温かさは変わらず、何度読んでもあいかわらずわたしは涙を浮かべずにはいられない。

心にぴったりと寄り添ってくれるこの作品の存在は、わたしが心を正常な位置にして生きていくのにとても重要な指針をくれる。ひとつひとつを味わい身体に染み込ませたいくらいに。

確実に心の奥底に棲んでいる温かく正常な何かは、わたしが生きているあいだずっとそこにいてくれるだろう。

そんな本が存在するだけで、人生の豊かさが格段に変わってくるのは間違いない。

四半世紀を経て、まさか自分が出版レーベルを立ち上げるとは夢にも思っていなかった。
わたしが、この本を大切な宝物にして生きてきたように、雨雲出版の本がこれから誰かの人生にそっと寄り添うものであれば、そんな嬉しいことはない。(もちろんベッシー・ヘッドの作品も。それ以外も)

美しすぎて、全部を写経したくなるくらいだが、一部だけ引用する。

翻訳も美しい。

ゼンゼレ、あなたは珍しい鳥。その華やかな羽の色と、優雅な飛び方、美しい歌で外国に行ってもきっと目立つにちがいない。群れのなかでひときわ人目を惹く美しい容貌をそなえている。そのひとつは肌の色。国のなかでは、あなたはキャラメル色からチャコールグレーまで、いろいろな色合いの肌の色を見慣れている。外国人はわたしたちの虹のような微妙な色のちがいを見分ける目を持っていない。彼らにとっては、わたしたちはひとつの煩わしい黒という色でしかないのだ。

『ゼンゼレへの手紙』



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