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【長編小説】 異端児ヴィンス 6

 その時期は、まさに焦燥が私の人生を突き動かしていた。まるで、私というれ物を飛び出し、焦燥そのものが主体となって前へ前へ進もうとしているかのようだった。何かに追われるように私は走り、何かから隠れようとするかのように、突然息をひそめた。誰かに自分のプライベートな領域に侵入してこられるような感じがいつもしていて、かと言って助けを呼ぶこともできないのだ。もし助けを呼ぶにしても、相手はいつも、「どうして欲しいの? どうやって助けて欲しいか具体的に叙述しなさい」と言ってくるので、自分がどうしたいのかを整然とまとめて提出できない私にとっては、助けを求めるという行為自体が成立しないのだった。
 
 その頃私は、日本食レストランで働いていた。始めたばかりの頃は色々と覚えることも多く、大変だったけれど、慣れてくると仕事はすべて同じことの繰り返しになってしまい、体力的なことを別にすれば特に苦にはならなくなった。そんな中で、私は自分が接客をする仕事が好きだという、意外なことを発見した。以前、日本人観光客相手に短期間のツアーガイドの仕事をしていたとき、何となく感じていたその感覚をレストランの仕事は確信に変えてくれた。
 十一月に入ると、トバイアスが仕事の仲間に加わった。突然スーパーの仕事をクビになった彼を、私がレストランのオーナーに紹介したのだ。ちょうど厨房のスタッフがひとり辞めたところだったので、オーナーの柚木さんは快くトバイアスを雇ってくれた。職にあぶれて失望していた彼の力になることができて、とても嬉しかった。トビーは厨房の裏で食材を運んだり、皿洗いをすることからスタートしたが、たまに目が合うと、人懐っこい可愛らしい目を輝かせて笑いかけてくれた。そんな彼の顔を見ていると、私のほうも俄然元気が出てくるのだった。
 レストランの仕事が午前中のときは、外でテオと落ち合って遅めの昼食を摂り、夜はフランス語の学校に行った。ここにも私にはたくさんの仲間がいる。
 オスカーはメキシコ人で、レベル1のクラスのときから一緒に学んでいる。彼にはアレハンドロという兄がいたが、アレハンドロは不真面目さが学校に目をつけられ、レベル2の途中からほかの学校に変わってしまった。オスカーは本当はオスカルというのだが、わざと英語風にオスカーと呼ばせている。
「どうして自分のオリジナルの名前で呼ばせないの?」
 と、あるとき聞いてみたことがある。すると彼はちょっぴり肩をすくめて、
「だってこのほうが皆に受け入れられやすいんだよ。それに僕はオスカルよりオスカーって響きのほうが好きだし。カッコイイだろ?」
 と言った。身長百八十五センチを越える立派な体躯のオスカーだが、そんな風に笑うと童顔のせいで、まるで十八の少年のようなのだった。彼自らが教えてくれたオスカーの名の由来、「神の矢」という意味も、何だか彼にとても似つかわしく思えた。
 英語読みのほうがカッコイイ。そういうことか。私はヴィンスのことを思い出した。彼も本当はヴァンサンなのに、ヴィンセントと英語風に呼ばれることにこだわっていた。やはり一般的に英語はクールなのだろうか?
 クラスルームには、すでに二、三人の生徒が入っていた。
こんばんはボンソワール、オリヴィア」
 私は一番手前にいた長身の女性に声をかけた。オリヴィアはスペイン人だ。エキゾチックでセクシーな雰囲気を持つ彼女は、文句なしにクラスで一番の美人だった。去年のクリスマスパーティーで、エルサルバドルでモデルをしていたというダンス自慢のヴィダルと二人で披露したアルゼンチンタンゴは見事だった。ピンと伸びた背中、形のいい小さな頭にぴったりと黒髪を撫でつけて、いつもよりうんと濃いメイクを施していた。にわか仕立てのデュオだったにもかかわらず、彼らはまるでプロのように息の合った情熱的なタンゴを踊って見せた。学校じゅうの誰もが、彼女とヴィダルのダンスに目を奪われた。
 前半と後半のクラスの間には、十五分間の休憩がある。皆それぞれコーヒーを飲んだり外へ煙草をふかしに行ったりして過ごすのだが、私はその時間にレイモンドと会話することを楽しんでいた。
 ケベック州の西部、英語圏であるウタウエ地方出身のレイモンドは、優しく唄うように話す。彼の声音は私にとってとても聞き心地がよく、心の琴線に触れるようだった。ほかの人たちは彼の声を聞いて、何とも思わないのだろうかと不思議でならなかった。
 ともかく、そんな風だったから、私にとってレイモンドとの会話は、その内容よりも彼の声を聞くことのほうが肝心だった。何かあってストレスを感じた日などは、休憩時間が待ち遠しく、私は誰よりも早く階下の休憩室に下りていき、レイモンドの〝声〟を待った。
「とりとめのない話をしようか?」
 こう言って彼はいつも始める、当たりさわりのない穏やかな話を。彼は誰も攻撃しない、何も批判しない。ただ春の日溜まりのような柔らかな声で、お天気のことや自分の仕事のこと、近所の人々のことなどを話すのだった。
 
 鮮やかなモザイク画のように、バラエティに富んだ人々が私の日々を彩っていた。彼らのほとんどは移民者であり皆一様に貧しくて、誰もがそれぞれの身上におけるひと筋縄ではいかない問題を抱えていた。けれどどんな場合にも、そこには自分で自分の生き方を選び取った者の誇りとたくましさがあったように思う。それは人生の本質というものを見せてくれるようであり、私の中で生涯忘れられぬ光景となった。彼らから受ける刺激を消化、吸収した私は、これら得たものすべてはこれからずっと自分の血となり肉となり、おそらくは私が死んでからあとも、誰か後継者によって絶えず受け継がれていくに違いないものだと確信していた。でなければ、いったい誰が世界を豊かにすることができるだろう?
 

 究極的に見てテオはいつも正しいことを言った。つまり彼の理論が的を得ていて、突き詰めて考えると結局彼の言うことが真理を物語っているということだ。例えば彼の説、どんなに紆余曲折を経ようとも、結論的にはおしなべて「その時どきを楽しんでいる人こそがもっとも美しい」ということも、生物学的に見た人間の男女が生涯を通じて同じパートナーと過ごすということは基本的には有り得ず、そしてもしも果敢にそれに挑戦しようというのならば、お互いに肉体的精神的な欲求を満たす場面においてたゆまぬ努力と工夫、そしてできる限りの譲歩をしなければならないのだということも。
 私はいつも彼の理論に反論しなかった。なぜならそれが全く正しいということを否定できなかったから。完全過ぎる彼の説には、疑問を挟む余地さえも残されていなかったのだ。しかし彼の理論が完璧であればあるほど、私はますます独自の理論を編み出して彼に対して展開することのできない自分の無力さに肩を落とすのだった。
 この力関係のアンバランスさ、それが折りに触れて私の中にある不調和、不協和を増幅させていった。テオはそのことに気づくだけの繊細さと注意深さを持ち合わせていたに違いないけれど、それについて口にすることはなかった。彼にとってはそれは一種の落とし穴で、何処にあるのかもいつ現れるのかもわからない、不安を感じさせる正体の知れないものだったのだろう。それゆえに彼は、それを何と認識していいのか、どう言い表していいのかわからなかったのだ。

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