書くことは生涯の友 2023年10月【1】
「なぜ書くか」という問いに対する私の答えは単純。書きたいから。
高校生の頃、不登校になった。アルバイトもせず、毎日図書館にこもって、たくさんの本を読んだ。そしてたくさん書いた。高校2年から大学に入学するまでの2年間、ほとんどひとりですごした。話し相手は両親と弟だけ。
自分の考えや気持ちを伝える相手が圧倒的に足りなかった。だから私は書きまくった。2001年から2005年頃の話で、まだインターネット環境を持っていなかった。来る日も来る日も、紙のノートに、思いの丈を書き綴っていた。
ペンを持ってノートに向かう。そうすると自然に文章を書くことができた。書いても書いても書き足りない。手が思考に追いつかなくて悔しかった。ボールペンの替芯をいつも持ち歩いていた。すぐになくなってしまうからだ。
胸ポケットに小さなノートとペンを入れていた。それに思いついたことを何でも書いていた。この習慣は20代まで続いた。
30歳になる頃には、書かずにいられない衝動は収まった。それでも、書くことは思春期に得た生涯の友。ペンを持ってノートに向かうと、今でも17~18歳の頃にタイムスリップしたような感覚に見舞われる。
友もなく、もちろん恋人もなく、ひとりで図書館にこもって過ごしていた。薄暗い青春時代だ。それでも、この時期を振り返ることは楽しい。
現実ではなく観念の中で生きていた。目の前の事象ではなく、それを見て喚起された思考と感情の中で生きていた。それは豊かな時間だったと思える。
書くということは、自分の思考や感情を書いているはずだが、どうも昔からそうだとは思えない。思考より先に文章が生成されている気がしてならない。
自分とは別の人格が文章を書いている。だからそれを読む時、誰かとおしゃべりしているみたいに感じる。あるいは誰かから送られてきた手紙を読んでいるような感じ。書くことはコミュニケーションなのだ。
こんなに楽しいことは、やめられるものではない。私は思春期に、良い友と出会った。
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