見出し画像

私を置く

春の日差しが安定しはじめた5月5日、天平祭りに行ってきた。
娘とよく行く平城宮跡では、季節ごとにお祭りが開催されていて、ほとんどの場合、天平行列が行われる。
華やかな天平衣裳を身に纏った人々が朱雀門までまっすぐのびる道を行列をし、遷都の再現などをするのだ。
毎回、見応えがあるイベントなのだが、私はとりわけ女性の衣装を眺めるのが好きだ。
普段見かける着物とは異なり、唐文化の影響を色濃く受けているそれは、春の喜びで満ち満ちて、あちらこちら、色とりどりに咲きみだれている花のようと言ったらいいのか、はたまた、この世に遊びにきた天女の衣と言ったらいいのか、見ているだけでうっとりしてしまう魔法の力がある。

実際に見るに勝るものはないと思うが、
リンクを貼っておくので、よかったら見てみてほしい。

天平祭り公式HPより

この行列の他にも、鷹匠による放鷹術が見れたり、奈良時代の市を体験できたりと、その時々で面白いイベントがたくさん行われているのだが、お祭りといえば、なんといったって屋台である。
よばれないわけにはいかない。
娘を夫に預け、美味しい匂いをたどって歩けば、すぐに屋台エリアだった。
幼い頃、お祭りでよく見かけたものといえば、唐揚げ、フライドポテト、焼きそば、たこ焼きなどだったように思うが、今は、それらに加えて、いろんな国の料理が並んでいる。
チヂミ、ケバブ、小籠包、ビリヤニ。思い出せるだけでも4カ国ある。
どれも良いなと歩いていたら、偶然目に入ったのが、パッタイの文字であった。
私はタイ料理が大好きで、夫と2人で西宮に暮らしていた頃、よく食べに出掛けていた。
とても懐かしい気持ちになり、近づいてみると、店主のお兄さん(私より10くらい年上だろうか)がちょうど米麺と具材を炒め合わせ始めたところだった。
しめしめ、出来立てが食べられるぞ、と早速列に並ぶ。
「もう少しでできるから待ってね〜!」とお兄さん。
私は待つのは苦になりませんので、どうかお兄さんの良きように…という思いを込めて、「はい」と返事をした。
するとお兄さんは「お姉さんはハーフ?」と話しかけてくれた。
幼少期によく聞かれていたが、時代のせいか今ではあまり聞かれなくなった質問だった。
(私はハーフと呼ばれることや聞かれることにあまり抵抗がない。ありがたいことに血や国籍が原因でいじめられたり差別された事がなかったからだと思う。褒められる事も多く、経験として、ハーフという言葉がポジティブなイメージと結びついている。ただ、その言葉自体は、どちらかの血を基準として考えている点で視野が狭いと思うので、誰かにこの言葉を使う必要はないと考えている。それに、国籍を取り払えば、皆、両親の混血だ。)
「そうなんですー、母がブラジル人です。」
「そうなんやー、じゃあ国の言葉は話せるの?」
「いえ、それが話せなくて。すごく後悔しています。」
「やっぱりそうやんね、ちょっとこの子に言ってやってよ!」
お兄さんが親指で指さしたのは、隣でお会計係をしている小学校高学年くらいの女の子だった。
父親であるお兄さんから話を聞くと、女の子のお母さんはタイの方で、
女の子はタイ語の聞き取りはできるが、話すことはしないということだった。
女の子は父親が話している間、遠い目をしていた。
私は思春期特有の、「またお父さん、勝手に私のこと話して、遠回しに説教してるわ」という目なのかと思い、
出来立てのパッタイを受け取りつつ「そうなんですね」とお兄さんに返事をして、
お会計をしながら女の子に、老婆心で「恥ずかしかったりするのかな?でも、お母さんの国の言葉や文化は大事にしたほうがいいよー」と言ってしまった。
その言葉を聞くなり、その子はより一層、遠くを見つめたように見えた。
一段暗くなった目を見て、触れるべきでないところに触れてしまった、その不快感を耐えさせてしまっていると悟った。
そして、事情も知らずに一方的に判断して行き過ぎたことを言ってしまった、という思いでパニックになった。
以後、なんと声をかけたらいいか分からなくなってしまい、「ありがとうございました。」と言って去ってしまった。
最低だ。
傷つけておいて、フォローも謝罪もせず立ち去るなんて、大人が子供にすることではない。
出来上がったパッタイを持ち帰り、みんなで食べている間も、帰る道すがらも、1ヶ月以上経った今でも、もし叶うなら、無責任な言葉を放ったことを謝りたいと思っている。
そもそも年齢に関係なく、人には人の生活がある。自分の人生を生きて、自分の責任で判断をして選択をして生きている。
その判断や選択をとやかくいうことは他人にはできない。
結果に責任も負えないし、その人の人生を生きていないのだから、正しく判断できない。
接しあった断片だけを見て様々なことをジャッジしていくが、あくまで、『見えてる範囲で』『自分が生きてきた経験という色眼鏡をかけて』そうジャッジしたと自覚しておかなければならない。
また、自分の二の舞を演じて欲しくない時や、自分とは異なる意見を正したい時は、口調が強くなったり、強制に近い言い方になる時が多々あるが、
それは、自分の過去をやり直したい、自分を擁護したいという、自分にフォーカスされた言葉なので、今一度、謙虚に状況を捉え直したほうがいい。
とは言いつつ、こうやって考えていくと人は何も話すことができなくなってしまう。
だけれども、人は言葉を持ってるし、生きとし生けるもの全ては作用しあって、なんとか生きのびている。
だとすれば、私には一体何が許されているだろうか。
今の所、私の結論としては、私についての事実と感情を言葉や態度で置いておくことでないかと考えている。
投げかけるのではなく、渡すのでもなく、置いておく。
できれば、丁寧に形を整えて、温度のある私を置いておきたい。
差し出がましい自己主張を見聞きしてもらう負担を和らげたいからだ。
今回であれば、母の懐かしさを全身に感じつつ、母の文化を大事にしなかったので後悔しているという事実を言葉にして置く、ただそれだけで良かったのではないかと思う。
作用するかもしれないし、作用しないかもしれない。
ただ、私を置く。傷つけない最良の手だと思う。
今後、女の子にしたようなことはないように気をつけていきたい。


ーーーーーーーーーーーーーー
こう書きながら、昨日、夫に些細なことでキツく投げつけてしまった言葉と態度を思い出し、反省している。
家族だと自分と相手の境界線が曖昧になりやすい気がする。
だから、相手の場所まで自分の範囲と勘違いしてしまい、芽生えたそのままの感情がポンと言葉になって飛んでいってしまう。
自らの感情の幼さ、野蛮さを恥じるとともに、境界線をぼやかしてしまう目を鍛え直さなければならないと思う。
精進します。。。
ーーーーーーーーーーーーー

おしまい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?