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戦争史跡を訪れて考えたこと。

しばしば、風景を見に行くために、あちらこちらを見に行く。その中には、時たま、史跡が含まれることが多い。それは実際に遺跡だったり、過去に合った重大なことを伝えるための場所だったりする。見る人によっては忌避する写真もあるが、未来の人が役立つなら、過去に会ったことを伝えるために、是非とも書かなければならないという建造物もある。それが、この史跡。

これは、数か月前、東大和を訪れた時の話である。

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ここは東大和にある建物で、戦時中に変電所だった建物。

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さて、この建物は、よく見ると窪みらしきものが多数あるのがお分かりいただけただろうか?近くで見てみると・・・

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実はこの窪みは・・・空襲の後である。

実は私が行ってきたのはここ。

この戦争史跡の近くには軍事工場がかつてあって、度々空襲が起きてらしい。

激しい空襲で窪みができる中、建物自体は残ったということで、そう当時の惨状を示す貴重な建物だと言われている。

実のところ、なかなか、こういう建物は見る機会がなくて、こういう建物があるんだねという感想だけだったのだけど・・・この写真を実家の祖母に見せたのだが・・・

「今時の若者は空襲を受けた建物の写真を見たことがないんけ?」

と言われた。

大体のものは取り壊されてるから、こういった建物を見るというのは難しくなっているけど、戦時中から戦後を生きた人からすれば、しばしば見た光景だったのかもしれない。

この時、祖母の一言で考えさせられたのは、ジェネレーションギャップというのは恐ろしいなということ。

祖母の時代のあたりまえの光景は私ら若者にはあたりまえではなくなっていて、祖母の時代にあったことは歴史の教科書や話から聴いてはいるけど、あまり実感が湧かないという状況だということを再認識させられた。

いずれは、自然災害か何かは分からないけど、こういった遺跡は消えてしまうかもしれない。だからこそ、可能な限り残していきたいと考えたわけ。具体的に何があったのかを伝えるために。

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